第47話 やけ食い気味で海の幸

 案内された部屋は天井も床も灰色で照度もやや暗く、調度品も極力排除された殺風景さだった。しかし、その全ては眼前の景色を際立たせるための演出だ。壁面三方は全て透明なガラスとなり、何一つ遮るものもなく外が一望できる。少し張り出した窓際は床すらガラスだ。

 深みと重みのある青が視界の下半を、奥行きと明るさのある青が上半をそれぞれ占め、両者の間に存在する白んだ水平の線さえなければ世界の全てが青であった。それは奇跡のように美しく、まさに絶景としか言い様がない。

「どうだ、これを見せてやりたかったのだ。お前は運がいい、この時期のこの時間帯にしか見えない景色だぞ」

 靄之内もやのうちに声を掛けられるまで、晟生せおはその景色に見とれていた。

「確かに一見の価値はあったかな」

「そうだろう、そうだろう。ここ数年で一番で景色だぞ」

「うん、分かった見た。だから元の場所に返してくれない? きっと面倒事になると思うから」

「そう急くな。食事ぐらい食べていけ、普通では食べられないようなものだぞ」

「人の話を聞いてよ……」

 晟生はぼやくが靄之内は聞く耳を持たない。

 後ろにメイドを引き連れた男は究極の我が儘っ子とでも言うべきか、最終的には自分の思うように事が運ぶと思っているらしい。そのため晟生が何を言おうとも意見を変えないし聞く耳を持たないようだ。

 仕方なくソファに座ると、靄之内も当然のように横に座った。

「言っておくけどね、何が起きても知らないから」

「ほう、何が起きるか楽しみだ」

「忠告はしたよ。だから後で何が起きても文句を言わないでよ」

「もちろんだ」

 トリィワクスの面々は仲間のためであれば平然と敵を殲滅するような女性たちなのだ。それがどんな反応を示すか。貴重な男が攫われたと知って、果たして何をしでかすだろうか。晟生には分からない。

――きっと迎えに来てくれる、と思う。

 少し不安になるのは、これまでの人生で他人に慕われるという経験がないからだった。

「どうした元気がないぞ!」

 靄之内は励ますように言って野太い声で笑った。そうした点は良い男で、少し鬱陶しさがあるものの友人とするには案外良いかもしれない。ただし、無理矢理連れ去った事は許してないが。

 次々と食材が運び込まれ、これみよがしにアイランドキッチンで料理が始まる。

「随分と羽振りが良い事で」

 大量に饗された食事を前に晟生は皮肉を含め言った。

 自動調理機ではない手料理が貴重である事や、その食材が高価なものである事は知っている。シズオカの街で活気はあるが貧しげな人々を見ただけに、そんな嫌味の一つも言いたくなる。しかし出された食事は勿体ないのでしっかり食べるつもりだが。

「うちは武装船団で漁をしているからな。海棲生物どもに襲撃されても問題ない」

「海棲何だって?」

「海棲生物だ。かつての大戦で海に放たれた生物兵器で、その姿は人が海に適合したような――」

「あっそう、さあ食べよっかな」

 面倒になった晟生は言葉を遮り食事を開始した。話を遮られた靄の内だが、気を悪くした様子もなく、そのまま一緒に食べ出す。もちろんメイドの女性たちは一列に並び後方に控えている。

 靄之内は刺身を一切れ持ち上げ、ぱくりと食べた。それは、まるで子供が得意そうに自慢するような仕草である。

「どうだ、魚など見た事も食べた事ないだろ――」

「あっ、これはクロマグロだね。中トロぐらいが好みなんだけど、大トロも美味しいね。でもまあ脂が強いから一つで充分だけど。あっ、そのカツオは鮮度が良いからマヨネーズはなしで。できれば大根おろしを添えてくれたらいいのに」

 あっさりと言ってのけた晟生に靄之内は悔しそうな顔だ。行儀悪く箸で別を指し示す。

「ぐぬぬぬっ。だったら、これはどうだ! これは知るまい!」

「別にブリぐらい分かるでしょ。でも、今は旬じゃないから照り焼きにしたら美味そうな感じだね。あっそこの人、大アサリ焼くならバター入れないで。味は醤油と酒だけでお願いします」

「……だ、だったらこれだ」

「伊勢エビの刺身ぐらい分かるって、馬鹿にしてる? しかもこれも旬じゃないでしょうに、見た目重視で出したなら感心しないね。ところで海老汁はある? えっ、ないの!? うーん、そこは汁にすべきでしょ」

 文句を言いつつ晟生はバクバク食べていき、靄之内をはじめとする面々は驚きをが隠せない。ただしそれは、旺盛な食欲に対するものではなかった。

「お前何者だ……」

「何者って自己紹介で空知晟生だって名乗ったよね。聞いてなかった?」

「そうじゃない。天然魚は市場に出る事はないし食べる事だってないはずだぞ。調理法どころか魚の種類さえ知らないのが普通なのに。なんでそんなに詳しい」

 靄之内が期待していたのは、超高級料理に畏れをなし躊躇う姿であった。そんな驚く相手の前で平然と食べ、さらに驚かせてやろうという目論見だったのだ。

 しかし晟生は余裕で平らげたあげく、文句まで言っている。

 これでは靄之内の方が驚くしかないというわけだった。

「さてはお前、どこぞの県からお忍びで来たVIPだな」

「何バカ言ってるかな。そんなわけないじゃない。生まれも育ちも庶民だよ」

「お前みたいな庶民がいてたまるか」

「そう言われてもね。あ、サザエかハマグリがあれば追加で焼いて欲しいな」

 晟生は熱々の大アサリをハフハフ言いながら食べ、残った汁まで飲んでいる。

 少しずうずうしいが、それは久しぶりに同じ男と遭遇したからに他ならなかった。遠い異国で同郷と遇えば、妙に仲良くなるのと同じ事だ。そして、どうせ愛咲たちが迎えに来るだろうと開き直って平然としているのだった。

 なお、晟生は自分の見た目を完全に失念している。可愛い見た目のまま、ポンポンとお腹を叩いているが、とんでもない量を食べたとは思えない様子だ。

「お腹いっぱい。ごちそうさま」

「むっ、どういたしまして」

「しかし船団を組んで漁とは随分と余裕だね。維持するだけでも大変そうな感じ」

「そこは問題ない。なにせ我が靄之内グループは油田を保有しているからな」

「若様、それは!」

「おっと、これは極秘事項だったな。許せ」

 鋭い叱責に靄之内もやのうちは苦笑すると、お付きの女たちをいなす。これは口が軽いというよりは、晟生を驚かせてやろうという魂胆だったに違いない。

 だが次の瞬間、室内の誰もが硬直した。

「そっか、ここらには相良油田があったよね。なるほど、まだ残ってたんだ」

「おいなんで知ってる……」

「え、牧の原で相良油田って言ったら有名でしょ。軽く濾過するだけで使える石油が産出する場所だよね」

 晟生が何故知っているかと言えば、歴史改変系小説において主人公が現代兵器無双をするため必ず登場する場所だからだ。もちろん知っているだけで、その場所に行った事もなければ見た事もない。現地がどうかすら実は知らないのだが。

 しかし、そこは靄之内一族の富と権力の基盤で、厳重に秘匿された事項だ。

「まあ気にしないでよ」

「気にするに決まってるだろ。お前、本当に何者なんだ」

「ちょっとだけ昔の事に詳しいだけだよ」

 呟いた晟生は憂いを帯びており、まるで何か哀しい思いがあるかのようだ。

 確かに目覚めれば二百年が経過し世界は荒れ果て、自分の知る存在など一つもない。あげくに姿も美少女風に変化してしまっている。

「そうだ、質問だけど。この辺りで凄い研究してる人とかいない? 西の方の都市で空間移動に関する研究をしてる人がいるって聞いたけど」

「……聞いた事がないな」

「残念」

「しかし仮に凄い研究をしていたとして、それを簡単に教えると思うか?」

「なるほど、それもそうだ。じゃあ、やっぱり情報屋を探して調べて貰うしかないかな。今度は信用出来そうな相手を選ばないと、うん」

 鮮やかな青の景色を背に腕組みして悩む晟生は、何かとても美しい生き物に見える。靄之内は口を軽く開け、心奪われたように見とれてしまう。

 しかし晟生はムッとする。

「なんだよジロジロ見るな」

「むっ、すまん」

「そういうデリカシーのないのって、良くないと思うけど」

「すまん」

「こんな場所まで無理矢理連れてきて……まあ、ご馳走してくれたのは嬉しいけど。もっと相手の事を気遣った方がいいと思うよ、本当にね」

 言いながら同性の気安さで靄之内の肩を叩いた。

 トリィワクスの中で女の子に囲まれた生活はハーレム気分で嬉しいものの、やはりどう言っても気を遣う部分はある。それだけに久しぶりに会った同じ男の存在に軽く上機嫌なのだ。

 そんな気分でいると、靄之内が突如として立ち上がり野太い声で宣言する。

「……俺は決めた。俺はこの女と結婚する!」

 もちろん指さされているのは晟生であった。

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