第46話 あるあるボーイミーツボーイ

 吹きよせる風は僅かなに潮の香りを含み、ときに優しくときに強く吹きよせる。

 そんな中で佇む少女の胸元を飾る二筋の赤いリボンがヒラヒラと揺れ、ウェストラインの高い白ワンピースも風になびいていた。

「どうして、こんな格好をしないといけないのかな」

 少女は少女にしか見えぬ姿の晟生せおであった。もちろん男である。

「おっと」

 一際強い風が吹きよせ、晟生はつば広帽子とスカートの裾の両方を押さえつけた。その姿は、まるで避暑地を訪れたお嬢様のようだ。本人の気分はさておいて、似合っている事だけは間違いない。

 ただし、好きで着ているわけではない。

 皆が街へお出かけするという事で、もちろん皆との付き合いもあって同行する事にしたのだが、当然ながら着替えが待っていた。晟生が男だとバレぬためだと、満面の笑みをした愛咲あさき初乃ういのに更衣室まで連れていかれたのだ。

 度重なる着替えで疲労困憊しながらも、それでも何とかミニスカートを拒否した事は我ながら立派だと晟生は思っている。そして妥協の末に辿り着いた格好が、このレトロ風ワンピースなのであった。

 そこまで配慮された晟生が街中で一人立っているのは理由がある。

 一緒に行動する愛咲たちトリィワクスのメンバーは背後の衣料品店にいるのだ。

 新しい服選びに夢中な彼女たちに意見や感想を求められると返事に窮するわけで、さらには下着類にまで話が及ぶとなれば逃げ出すしかないのだった。

 斯くして一人ぼんやりと、シズオカの街を眺めている。

 随分と変わった――が、しかし晟生は元の街並み自体は知らぬない。ただ自分が生きていた時代の一般的な風景と比べ変わり果てたと思うだけだ。

 建物類は二階建て止まりで、しかも木造瓦葺きが大半。コンクリート製のものは、殆ど見られなかった。道路もアスファルト舗装もされておらず土を叩いて固めた状態か採石を敷均してある程度。時折通り過ぎる車両や陸港に並ぶ陸上艦の存在がなければ、過去にでも迷い込んだかと思ってしまいそうなぐらいだ。

 そして通りを歩く人々を見れば服装など豊かさからは程遠いものの、表情や動きは活気に満ちている。貧しいながらも希望に満ちていた。

「悪くない街なのかな」

 何となく投げやり気分で呟くと、晟生は大きく伸びをして気分を切り替える。ちらりと後ろの店を振り向くのだが、同道して来たトリィワクスの面々が出てくる気配はない。

 女性が服を選ぶのに時間がかかるのは当然だが、今は更に長くなる理由がある。

 それは全ての服が古着だからだ。物資が欠乏した状況において一般的に流通する服は古着が中心。規格品のように同じ服が大量に並ぶわけではない。だから選ぶまでに余計に時間がかかるというわけだ。

「服なんて着られればいいだろうに……」

 見た目は女の子、実態は男の晟生にとっては理解できぬ事である。それで急かさぬだけの分別はあるものの、早いところ何か食べに行きたい気分であった。

 充分に待った事であるし、そろそろ催促しても良いかもしれない。そう思って行動に移そうとすると、目の前に車が止まった。

「おっ、これは……」

 晟生が声をあげると、中から女性が数人降りてきた。

 それも所謂ところのメイド姿で銃器を所持している。しかも即応できる体勢や目配りなどは、何らかの軍事訓練を受けている事を容易に想像させた。気付いた歩行者たちは関わりを避け足早に離れていくのだが……晟生は興味深げに車を見つめたままで何も気付いていない。

「やっぱりそうだ、これ四代目の新型ジムクード。もしかしてレストア品!?」

 一部の塗装は剥げ錆も生じ、全体として痛みが見られるそれは、かつて暮らした時代で見かけたものだ。買い換えの最候補に考えカタログまで取り寄せていたが、まさか二百年の時を経て目にする機会があろうとは思いもしなかった。

 銃器を構えたメイドが聞こえよがしに咳払いするのだが、晟生は一向に気にせず車の周りをウロウロする。ついには銃口を向けられるのだが、それさえ気付かないままフロント側から車体下部を覗きラダーフレームを見ようとするぐらいだ。

「うーん、よく見えないな」

「なんだ貴様、興味があるのか」

 そんな声が運転席のドアが開けられると同時に降ってきた。

 野太く低い声色は明らかに女性のものではない。別の性別である事は明白だが、今の晟生は少しも気付かない。今は車に夢中なのだ。

 ただし格別に車が趣味とか興味があるわけではない。ただ、自分の知っている存在がそこにある事で、遠い異国で出会った同郷のような気分になっていた。

「もちろん。フルモデルチェンジする前に乗ってたからね」

「ほほう、三代目に乗っていたのか。エンジンはどうだった」

「ターボ搭載といっても、坂道なんかアクセルをベタベタに踏んでも加速しなかったよ。新型は出力と圧縮比の改良で加速が良くなったと聞いたけど、どうなの。でも前のが燃費十をきるぐらいだったから、燃費も落ちたかな?」

「加速具合はかなり良いぞ。燃費は十三か十四ってとこだな」

「あー、それでも十三ぐらいなんだ。二十ぐらいからが普通だと、やっぱりちょっと厳しいな。でもまあジムクードは燃費で選ぶもんじゃないけど」

「分かってるじゃないか」

 ガハガハと笑う声に――ようやく相手が男だと気付いた。

 やや太めと表現すべき大柄な体躯。キャップ帽にサングラスを引っかけ、黒シャツにカーキ色のハーフカーゴパンツ。シルバーアクセのネックレスに、両手に腕時計。その姿――好意的に表現して、ミリタリー系ファッションのおっさんだ。

 トリィワクスで女性たちに囲まれた生活をしてきただっけに、男の太い腕と脛の毛が妙に懐かしく感じてしまう。ちなみに今の晟生は、産毛すらない滑らかな肌をしているのだが。

「あれ、もしかして男?」

「何を今更。それで本当はどんな用事だ、俺に用があるのだろ?」

「いや別に暇なだけ。それより後部座席はどう、やっぱり乗り心地は悪いまま?」

 全く気にした様子のない晟生の様子は予想外だったのか、その男は面食らい無精髭――恐らくは態と残している――を指先でしごくように擦り目を瞬かせた。

「おい、俺は男だと言ったぞ」

「それは見れば分かるけど」

 晟生が訝しげに言えば、男は何度も目を瞬かせた。

 何を言われたか、言葉は分かっても理解が追いついてないらしい。一方で周囲の女性たちは主を侮辱された従者――間違いなくそうだろうが――の如く顔を顰めている。

「金が欲しいのか?」

「は? なんで初対面の相手にそんな事を言うわけ。もしかしてこの辺りって、そういうタイプの人がいるんだ。恐いな」

 そもそも今の晟生は金には困ってない。この時代の金銭感覚に換算すれば、手持ちだけでも十数億円。総貯金額は数兆円なのだから。

「だったら俺の遺伝子が欲しいんだろ。いい加減素直に言え」

「そんなもの要らない」

「なんでだ」

「だって、そんな趣味じゃないから」

 晟生は嫌そうな顔をして身を引く。何が哀しくて男から遺伝子なんぞを貰わねばならないのか。想像するだけで身震いしている。

「おい聞いたか、お前たち」

 何故か男は喜色を浮かべ、芝居がかった仕草で両手を広げて見せた。

「いま俺は生まれて初めてフラれたぞ! 凄いと思わんか」

「「「若様、おめでとう御座います」」」

「ありがとう! ありがとう!」

 メイドたちが拍手の代わりに銃器が叩く中で、男は大袈裟に声をあげた。

 道行く人々は変なモノを見る目をして足早に通り過ぎていく。その変なモノの一員に自分がカテゴライズされているようで、晟生は違うと叫びたかった。背後の衣料品店を見るものの、仲間は誰も出てこない。それであれば、こちらから逃げ込むべきだろう。

 そろりと逃げようとするのだが、しかしメイドたちに回り込まれた。

「しかし、この俺に失礼な事を言うとは……お前、面白い奴だな」

 なんだか猛烈に嫌な予感がしてきた。乙女ゲームか少女漫画でありがちな、偉い人に逆らって気に入られてしまうベタ展開のようではないか。

「気に入った。いいだろう、貴様に俺の遺伝子を提供してやろう」

「要らないと言っただろ。おっさん耳が遠いのか」

「なっ!? 俺をおっさんだと、そうか俺をそう呼んでくれるのか」

「何で喜んでんだ、どこの誰だかしらないけど大丈夫か」

 拳を握りしめ歯を噛みしめる晟生の姿は可愛い女の子にしか見えない。傍目にはおっさんと口論する可憐な少女だという構図だ。

「何だ俺を知らないのか。ふうっ、この俺を知らない奴がいるとはな」

 男は手の平を上に向け肩をすくめてみせた。相変わらず芝居がかった仕草だ。

「聞いて驚け、俺はこのシズオカを支配する靄之内もやのうちグループ総裁、靄之内寛太だ」

「あっそう。だったら、さっさと帰って仕事したら?」

「お前の名を聞かせろ」

「勝手に名乗って人の名を聞くなよ……」

「しかし、勝手に俺の車を見ていたのはお前だろう」

 至極当然の意見だ。最初に関わったのは晟生の方なのだから。

「……ヒサモリ運送会社所属の空知そらち晟生せお。はじめましてさようなら」

 逃げようとする晟生であったが、やはりメイドに回り込まれた。靄之内に付き従う彼女は柔やかな笑みを浮かべるが、絶対に逃がすつもりはないといった強い意思を感じる。

 その間にも靄之内は胸に手を当て陶酔した顔で呟く。

「お前と話していると楽しいな。なんだろうか、この気持ち……これが恋!?」

「うわっ、気持ち悪い。そんなものは錯覚だからね。溝に捨ててしまえ」

「晟生、君を靄之内家の屋敷に招待しよう。そうだジムクードの後部座席を知りたいのだったな。以前と変わらぬ乗り心地を確認するといい」

「モデルチェンジ前と同じ? 乗りたくない!」

「ははっ、固い乗り心地こそが良いのではないか。さあ乗れ、行くぞ」

「放して放せ、買い物の途中なんだ。せめて仲間に連絡を」

 騒ぐ晟生は車両の中に押し込まれた。

 通行人たちは様子を見ているのだが、相手が靄之内と知って誰も何も言わないらしい。まさに権力社会の弊害だ。

 晟生を後部座席に押し込み車は発進した。

 少し後――衣料品店のドアが開き、大量の紙袋を手にした少女たちが出てくる。

「おーまたせー! あれっ晟生どこ?」

 初乃は不思議そうに左右を見回した。

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