第45話 アメでネコを釣る
強襲揚陸艦トリィワクスは速度を落とし、地面に点在する誘導標識に従い進路を変更した。次の寄港地であるシズオカは目視できていないが、もう近くまで来ているらしい。
少し離れた土地に木々が整然と並び、それが枝葉を揺らす向こうには青味を残した田園が広がっていた。そこで作業に勤しむ人々が手を止め視線を向けて来る。だが直ぐに興味を失い作業を再開。どうやら陸上艦など見慣れているらしい。
「農業なんて……なんだか珍しい」
「殆どの土地は汚染しているからね」
「この辺りは土地の汚染が比較的少なかったのと、この辺りを収める一族は羽振りがいいおかげだね。それで土地改良も積極的に進んで農業が可能って事さ」
振り向くと艦長席の
それで察した晟生はポットを運び、お代わりの緑茶を注いであげる。艦橋でぼんやりしているのも芸がないからと、そうした雑用を買って出ていた。
他のクルーの間を一巡しながら尋ねる。
「土地の汚染ですか?」
「大戦時に散布されたか、漏出したか知らないけどね。有害物質が土を腐らせてんのさ。そこで育った作物を口にした人も汚染され……大戦の残り香が人類を苦しめてんのさ」
「今もですか?」
「そうだよ。作物がつくれるまでなった場所も増えちゃいるがね、まだまだ難しい場所の方が多い。言っとくけどね、食糧を買うんなら安いのには手を出しなさんなよ。そういのは有害土壌で育てられたもんだろうからね」
「えっ、そんな危ない品が流通してるんですか!?」
流石にそおれはないだろうと思ったが、和華代は肩をすくめてみせた。
「プラントで生産され合成される食糧は汚染がないんで高い。けどね金も自動調理機もない連中は、身体に悪いと思っても安い物を食べるしかないんだよ。食べなければ確実に死ぬんだからね」
「…………」
金のある者は自動調理機で料理を忘れ、金のない者は料理をして汚染物質を口にする。なんとも皮肉な状況だ。
和華代は頬杖をつき前を見つつ、横目で視線を送ってきた。
「そりゃそうと、ここシズオカは海産物の水揚げがあるんだよ。ああ、もちろん海産物は汚染されてないらしいけどね。その料理はできるかい?」
「魚介類系なら出来ますよ」
「よしっ! ちと高いけど仕入れておくとしよう。美味いもの頼むよ!」
「構いませんけど海産物は高いのです?」
「そうさね、おかげで偽物の合成品が出回ってるぐらいさ。ちょっとした小金持ちが調子にのって海産物を買って騙されるって事は多いからね。注意するんだよ」
「……なるほど」
それで晟生は全てを理解した。
あのラーメンの味がどうにも腑に落ちなかった理由は、ミシェの鰹節や煮干しが合成品だったからに違いない。それ以外に考えられない。
「しかし知ってるかい。海産物ってのは水に浮いた艦で捕まえるらしいんだよ。艦が水に浮くなんて、不思議なもんだね」
「いえまあ……艦が陸を移動する方が不思議ですけど」
「そうなのかい?」
そんな事を話すうちに、シズオカの街が近づいてきた。
◆◆◆
シズオカの入港審査は他よりも厳しく臨検まで行われていた。
見られてマズイ事はないのだが、やはり見られたくないものもある。艦内に立ち入り検査をする県職員の相手でトリィワクス内は何かと忙しい。
晟生が男と気付かれぬように――気付かれる事はほぼないが――という事で、県職員が来ないであろう食堂へ行く事になっていた。
どのみち県職員の相手も面倒そうなので素直に従う。
人の姿のない廊下を進み、食堂の入り口付近まで来ると声がした。
「ふっふーん! 美味しかったのは当然ニャ。なんせあちしの超高級の鰹節と煮干しを使ってるわけニャし。まっ、あちしのお陰みたいなもんニャね」
「ありがとなのさ」
「ニャッハッハ。もっと感謝しても良いのニャ。まあ、文句は言ったニャけどね。あの後で晟生は言ったのニャ、これからも天然の鰹節と煮干しがどうしても欲しいって。で、あちしは言ってやったのニャ。皆のため好きなだけ使えと」
「ほへー、ミシェってば漢女の中の漢女だね。凄いや」
「そうニャそうニャ、もっとあちしに感謝するのニャー!」
食堂から聞こえる声は、考えるまでもなくミシェだ。臨検の県職員の対応で余計な事を言わぬようにと、格納庫から排除されたのだろう。なんだか同じ扱いに思えて釈然としない。
それはそれとして、何かとんでもない事を言っている。
「ったく、どうしてくれようか」
むっとした気分のまま、食堂に到着した。
椅子の上で胡座をかき小威張りするミシェがいた。そして手前には
「ういうい、晟生も来たんだね」
「まあね。でも、何か楽しそうな話してるみたいだね。なるほど、鰹節と煮干しを好きなだけ使っていいんだ」
晟生がニヤリと笑えば、ミシェは気まずそうな顔となる。
「今のはニャンと言うか、そういう気分ニャったと言うか……」
「なるほどね。でも、あの鰹節と煮干しは合成品みたいだけどね」
「ニャ、ニャンだってー! そんなはずないニャ!」
「ラーメンの時にどうも味に違和感があったんだよね。それって鰹節と煮干しが合成品だったせいだと思うんだ」
「あちしの……鰹節と煮干しが……合成品? 嘘ニャ……それ……嘘に決まってるニャ……」
「間違いないと思う」
無慈悲な言葉にミシェは相当なショックを受け、バタリと机に突っ伏してしまう。初乃が
「何と言うかさ、ミシェらしいと言うかなんと言うかだね。いいじゃないのさ、どうせ皆から貰って集めた品ばかりじゃないのさ」
「違うのニャ……あれは、あちしが高いお金出して買ったやつニャ。しかも合成を天然と信じて喜んでたのが……よけいに哀しいのニャ……」
「うーん、そうだよね。いっつも天然品は味が違うとか、合成品とは違うとか言ってたもんね。それがさ、味を知らなかったとか恥ずかしいよね」
「ううっ……」
容赦ない初乃の言葉にミシェは完全に沈没した。額をテーブルにぶつけ、シクシク泣くぐらいだ。
「ううっ、もう絶望したニャ……路地裏で雨の日を思い出すニャ……はふぅ……」
「路地裏ね、ああ……」
晟生は納得する。
前にミシェは苦労して生きて来たと語っていたが、きっとその時の事なのだろう。もしかすると鰹節や煮干しに執着し集めるのも、そうした心の傷によるものかもしれない。
「そうか……よし、何か用意してみようか」
「本当! ぼくも貰っていい!?」
「もちろん初乃の分も用意するよ」
「やたっ!」
大喜びの初乃は晟生に続いて厨房に入った。
何をするのかと、ワクワクしながら調理台に手を突き待ち構えながら眺めている。期待度は相当なものらしい。
そんな様子に苦笑しつつ晟生は料理を開始。
ただし、やる事は簡単で砂糖と水を混ぜフライパンで熱しただけだ。焦がさぬよう煮詰め、適当な頃合いで器に移し替え手早く冷ましていく。
固まったそれは、美しい黄金色をしている。
「はい飴だよ」
「ニャに!?」
真っ先に反応したのはミシェであった。グッタリしていたはずが、瞬時に駆け寄ると初乃を押し退けさえしている。
「飴って、あの飴かニャ!? それを作った、こんなに直ぐ? ……うんうん、怪しいニャ。あちしが本当の飴か確認してやるニャ。別に食べたいわけじゃないのニャ」
「だからミシェのためもあって用意したんだけど」
「そうかニャ-、晟生は良い奴ニャ。仕方ないから食べてやるニャ」
「なるほどなるほど、飴は要らないと」
晟生がヒョイッと一欠片口に含めばミシェは涙目でプルプルしながら拝んだ。
「嘘ニャァッ!! 食べさせて下さいニャ!」
「最初からそう言えばいいのに」
「ありがとうございますニャ! 飴なんて勿体なくて食べられないニャァ。ニャはっ、これ皆に売ったら幾らになるかニャー」
勝手な事を言うミシェに初乃が冷ややかな目をした。どうやら押し退けられた事を怒っているらしい。
「ふーんだ、代金は合成煮干しかな」
しかし、既にミシェは聞いてない。パクッと一欠片を口に含み、うっとりと心の底から嬉しそうな顔になった。ちょっとだけ大袈裟だ。
「ニャンたる美味しさ。ニャアニャア、ほら初乃も早く貰って食べるニャ」
「調子いいんだからさ」
そして初乃も、あっさり飴に陥落した。
「雨の記憶が飴で薄れるといいけどね」
「もう忘れたニャ。忘却の彼方なのニャッ、晟生は最高ニャ」
「ええい暑苦しい」
大喜びのミシェは落ち込んだ様子は微塵もなく、晟生へと纏わり付き猫のようにスリスリしてくる。マーキングするような様子で、横から初乃が軽く蹴りを入れて引き離そうとしても効果がないぐらいだった。
「しかし臨検って、かなり長いもんだね」
晟生の呟きに初乃の回答があったのは少ししてからだ。口の中の飴を横に寄せたらしく、ほっぺたが少し膨らんでいる。
「そうだね、まだかかると思うよ」
「何かして時間潰すにも、下手に動けないし。どうしよ」
「うーん、ここから出ない方がいいからね。何か料理するとか……あっ、でも皆が居ない時に美味しい物を食べすぎると後が恐いかも。特に愛咲姉とか」
悩む二人の横でミシェが声をあげた。
「なら、遊ぶのニャ」
「うん?」
「晟生が患者さんで、あちしがお医者さんで初乃はレントゲン技師ニャ。ぐへへっ」
その顔は邪悪な欲望にまみれているように見えた。
「ミシェの解剖の方が楽しそうだけどね」
「晟生に解剖されるなら本望ニャ……でも、おままごとも良いニャ」
「何で、そういう特殊な方向性を選ぶかね」
「大丈夫ニャ。晟生が旦那さんで、あちしが奥さん。初乃は略奪愛で押し掛けた浮気相手で、最後に刺されて死んじゃう役ニャ」
「この微妙に具体的なチョイスときたら……」
もちろん初乃も文句を言うが、それは役割交代についてのみ。おままごと自体は反対ではないらしい。騒ぐ二人の間で、晟生は呆れながら困り果てる。
なんにせよシズオカへの入港はもうすぐであった。
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