第38話 パスワード管理は厳正に
そこは、ほぼ正方形の通路で車両が走行可能な幅があった。
恐らくは搬入口なのだろう。壁や床は無機質なコンクリート製、今だ健在な照明が点在し空調も利いている。少しばかり埃臭がするものの、荒野よりも居心地が良いに違いない。
突如出現し開いた扉から入り込んだ遺跡で
「やはりですね。晟生くんは戻って欲しいな、と彩葉さんは思うわけですよ。うん、やっぱり今からでも戻りません?」
遺跡内部――それも未発掘――となれば、どんな危険があるか分からない。
防御力と生存性の高い素体コア着装者が確認に入る事になったのだが……貴重な男である晟生が中に入るなど、普通では考えられない程ありえない事だった。
「素体コアを着装してれば安全だってば。いざとなれば顕現すればいいわけだし」
「内部で顕現は難しいのですよ、主にスペース的に」
「大丈夫油断しないから」
もちろん晟生が中に入る事には皆が反対した。
しかしながら、入り口の扉は明らかに晟生――もしくはアマツミカボシの素体コア――に反応し出現している。さらに本人が『行く』と強固に主張した事もあって、誰も強くは止める事ができなかったのだ。
これで艦長の
かくして晟生は素体コアを駆り、床面から軽く浮き上がったまま遺跡内部を進んでいく。時折、壁面に埋め込み型の消火設備が存在する以外は目立ったものもなく、ほぼ一直線の通路は少々退屈なぐらいだ。
「うーん、何と言うか……もっとこう遺跡っぽさを期待してたのに」
「彩葉さんとしては、遺跡らしい遺跡と見えますけど?」
「まあね、きっとそうなんだろね」
晟生が遺跡という言葉に抱くイメージは、岩盤を手堀りした洞窟。しかし彩葉にとっては、コンクリート製の通路でも充分に遺跡なのだ。これが本当の意味でジェネレーションギャップなのだろう。
素体コアが何かを感知し、網膜投影にて情報を通知してきた。
ただし通路の先が行き止まりになっているという情報だ。そこは少し円形に広がっており、どうやら通路を進んできた車両が転回するための場所だった。
「扉が二つある」
一つは人が通れるサイズの赤色をしたもの。もう一つは資材搬入などに使用される大型サイズの緑色をしたもの。どちらも、しっかりとした頑丈な金属製扉で完全に閉鎖され行く手を阻んでいた。
天井付近に監視カメラと思しきものが存在し、素体コアが注意喚起を促している。ただし警告ではなく、あくまでも注意を促すだけの内容であった。
「さてと、どちらかでも扉が開くといいけど――」
晟生が言いかけた途端、重々しく錠の外れる音が響いた。
続いて耳障りな金属音と共に扉が左右に開きだす。汚れのない綺麗な通路ではあったが、さすがに扉の隙間には微細なゴミなどが堪っていたようだ。ぱらぱらと小片が落下し、細かな埃が舞っている。
彩葉は思わしげな顔をした。
あまりにもタイミングが良すぎる。至れり尽くせりで、これではまるで何者かが招き入れようとしているかのように感じたのだ。
「うん、なんだか嫌な予感がするようです。戻った方が良さげとおもいません?」
「でもだよ、せめて何か見つけておかないと」
「そういった考えは危険かと」
「大丈夫。とりあえず、ここまで問題も無かったし大丈夫でしょ」
晟生は自信ありげに微笑む。
本来は僅かでも異変や違和感を感じたら引くべきであるし、手ぶらで戻ることを良しとしない考えはリスクが大きい。今までが問題無くとも、その先が同じとは限らないのだから。
遺跡探索の経験者である彩葉は、そこを弁えている。だが晟生の期待に応えてやりたいといった考えが判断を曇らせてしまう。
「小さい方は素体コアだと難しいかな」
「彩葉さんのラミアでは駄目ですね。扉を通れなさそうなのですよ」
「こっちも腕と足の長さを考えると難しいかな」
彩葉は素体コアの大型バックバックが引っかかる。もちろんその先の通路も通れそうにない。一方で晟生の方もギリギリ状態。活動にかなりの支障をきたす事は間違いなかった。
「どうしますか。大きい方にします?」
「せっかくだから、この赤の扉を選ぼう」
何がせっかくなのか彩葉は不思議そうだが尋ねはしなかった。
「そうなると、素体コアを除装せねばならないわけで。安全が低下するのはどうかと……」
「施設の中に入ったら逆にセキュリティもないんじゃないかな」
「うーん……」
「大丈夫。危なければ直ぐに引き返すから」
「分かりました。それではそうしましょうか」
結局、晟生が押し切ってしまうのであった。
除装した素体コアは待機モードとなり、軽く膝を抱えるような姿勢をとった。
「よし、準備完了。そっちは――」
話しかける晟生はしかし黙った。
同じく素体コアを除装した彩葉は背を向け、ラミアの素体コア内部を覗き込み何か調整をしている。やや突き出されたお尻の腰からお続くラインは絶妙で見事であったのだ。目の前にそんなものがあれば、男としては黙って見守るしかあるまい。世の摂理として仕方がない事だろう。
「ふう、これでよしなのですよ」
作業を終えた彩葉は額の汗を拭う真似をしながら振り向いた。
上半身は背面から脇までを保護するプロテクターがあり、後はぴったりしたパイロットスーツ風。銀髪おっぱいと評されるだけのスタイルは一目瞭然。視線を下へと向ければ、短い丈の腰布から覗いたスーツの股には絶妙な位置に絶妙な縦皺が存在してもいる。
晟生は今更ながら視線を逸らした。
「うん? 晟生くん、どうしたの?」
「大丈夫なんでもない。それより奥に行こう」
「ではでは、念のために彩葉さんが先行しますので」
前に出た彩葉がすらりとした足で歩みを進めれば、きゅっとしたお尻が交互に動く。視線を釘付けにした晟生であったが、気を取り直し急いで横に並んだ。
「後ろに居ないと駄目」
「いや、その方が危険と言うか。注意が散漫になると言うか……」
「?」
「とにかくあれだよ、彩葉だけを危険に晒せない」
男が希少な世界では爆弾発言に類するものだが、言っている本人は何も気付いない。言われた方が、あうあうと顔を赤らめ言葉にも出来ず動揺するだけであった。
幾つかの部屋を覗くが、背の高い彩葉と並んで歩けば、年上のお姉さんと一緒にいる気分だ。
「収穫はボールペンだけとか……しかもプラスチック部が脆くなってる。持ってきても意味なかったかな」
「彩葉さんが見つけた時計は天然木の細工品だから……価値あるかも」
「あのボックスが施錠されなければ、もっと何か見つかっただろうけどね」
「それは仕方ないわけですよ。下手に触ってセキュリティが反応したら大変かと」
「確かにね」
施設の中は年月を経て朽ちた部分はあるものの、後は綺麗さっぱり片付いており荒れた印象は殆どない。最後に退去された状態をほぼそのまま保っている。
他よりも広く、床には褪せ気味の絨毯が残されていた。何か棒が立てられていたが、どうやら旗だったらしく朽ちた布がぶら下がっている。さらに完全に乾燥しきった観葉植物もあった。
施設の中でも上位の立場にあった者の部屋らしい。
「このモニタは、どうやら生きているかと。うん、駄目です動きません」
彩葉は電源ランプの点いた画面に触れる。だが、何の反応もなく残念そうだ。
その時、晟生は机の隙間にスライド状の引き出しを発見した。しかし、少しも偉くないのは横から彩葉の胸を眺め、その視線の延長上で気付いたためである。
「これで入力だね」
引き出しをスライドさせると、文字や記号など記されたボタンが多数配置される長方形の板が現れる。それは晟生にとっては見慣れたものであったが、彩葉は違ったらしい。
初見の意味不明の品を見やり、彼女は口元に指先を触れさせ悩んでいる。
「はて、これなんでしょう……何かのメッセージ? にしては文字が全てバラバラ……謎?」
「入力機器でキーボードだよ。マウスはなさそうだから、面倒そうだけど」
「晟生くん、使い方が分かるの?」
「多少はね」
特別詳しいわけではなく、ごく普通の書類仕事に支障なく使える程度だ。
かつての職場でもPCの使用できない新入社員が増えつつあったが、どうやらAIなど全自動でアシストするシステムが確立され、古いインターフェースは忘れ去られてしまったらしい。
晟生がキーをタッチするとモニタが起動。果てしなく長い間のスリープモードから目覚めたモニタ画面に表示されたのは――。
「パスワードの要求ね、まあ当然かな」
赤白の三角形が幾つも組み合わさったマークの下には横長の文字入力用ウインドウ。そこで黒い小さな縦線が促すように点滅を繰り返している。
彩葉は椅子の後ろから覗き込み、晟生の肩越しに手を伸ばし指し示す。
「引き出しの中に文字を発見です。これ、きっとパスワードかと」
「なるほど。忘れないようにメモしてたな」
「セキュリティの意味ないですね」
「よくある話だよ。セキュリティ対策でパスワードを高頻度に変えるとか、いちいち覚えてられないから」
引き出しの中には鉛筆書きで五つの文字列が並び、しかも使い回しらしく最後のひと文字だけ違うといった体たらくだ。もっとも、そのお陰でパスワードが分かるのだから感謝せねばならないが。
「さてと試してみますか」
一番上を入れる――失敗の表示と共に、残回数四との警告が表示された。
慣れた手つきでブラインドタッチをすれば彩葉が驚きと共に感心している。だが、それはあまり嬉しくもない。なぜならば、出来て当然のことをしているだけなのだから。
二番目を入れる――失敗の表示と共に、残回数三との警告が表示された。
三番目を入れる――失敗の表示と共に、残回数二との警告が表示された。
四番目を入れる――失敗の表示と共に、残回数一との警告が表示された。
もう後がない。
「最後が正解だったわけですか。残り物には何とかですね」
「それは違うと思うけどね。これが正解か……」
だが、晟生は手を止めた。
これを間違えればPCはロックされ、現状では完全に使用不能状態となるだろう。下手をすると何かのセキュリティが起動する恐れだってある。
慎重となって画面を見やり考え込んだ。
そこに映り込む自分の姿。最近は鏡などで見慣れてきたが、少し環境や状況が変われば見知らぬ美少女がいるような錯覚を覚える。
その相手と目を合わせ黙考。
最後に残った一つで間違いないだろうか。もし自分であったらどうするだろう。露骨にパスワードを残すだろうか。むしろ偽のパスワードを目につくようしておくと考えられないだろうか。しかし同時にパスワードは分かるようにしておきたい……。
「そうか」
画面に映る顔がにっこり微笑む。
思いついたパスワードを入力、ッターンとエンターキー。傘のようなデザインが回転しながら解けていく。そしてシステムが読み込みを開始した。
「動きました。でも違う文字を入れてたようでしたが?」
「パスワードで一つだけ違う文字があるよね。要するに、それって事」
ログイン完了し画面が切り替わった。
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