第37話 オープンセサミ

 生憎の雨であった。

 しとしと降ってくる水滴は弱々しいが止む気配はない。空を見上げれば薄曇りの薄明るいもので、まるで怪しげな異空間のような気がしてくる。足下はぬかるむ一歩手前で、そこを歩けば泥汚れで酷い事になるだろう。

 ただし晟生せおは平気だ。

 素体コアを着用し浮遊するため、足下の状態は関係ない。全身は装甲に覆われ、顔も透明なバイザーで保護され雨の影響は少しもない。ただテンションが少し落ちている程度だ。

 気の毒なのはトリィワクスから一緒に出撃して来た地上班だ。

 徘徊する生物兵器やAI兵器は事前に晟生たちが撃破しているが、最大の敵はやはり自然。装輪式の輸送車両は道無き荒野をよく走るものの、戦闘の痕跡らしい激しく凹凸する地形や沼地――しかも有害物質まみれ――を回避するため苦労している。

 カツカツドンドンと口ずさんでいるが、思った方向とは違うカツ丼効果が出ている感じだ。

「……アマツミカボシで抱えて走ったら喜ぶかな」

 晟生の呟きが装兵同士の通信にのった事で彩葉が反応する。

「それは駄目と、彩葉いろはさんは思うわけです」

「えっ、ちゃんと揺らさないように運ぶよ」

「あれは可哀想でした……」

 前にトラックを抱えて運んだ時は、乗っていたクルーの乙女の尊厳を傷つける結果になっている。非常に申し訳なく思っており、同じ過ちをせぬよう慎重に運ぶつもりだ。

 しかし彩葉は首を横に振った。

「もし基地機能が生きていると……うん、装兵が顕現すると自動防衛機能が起動するとかあるかも。何が起きるか分からないから、あまり刺激したくないかな」

 滑るように寄ってくるラミアの素体コアは少し特殊な形状をしている。

 露出した頭部は雨に濡れ、長い銀髪は湿っているが無頓着に気にした様子がない。スタイルの良く分かる装甲体の背面は大きめバックパック、脚部は太腿の途中から堅牢で厚い装甲に覆われている。まるで、巨大な機械に半ば埋め込まれた装飾彫像のようであった。

 なんにせよ――その素体コアは彩葉の見事なスタイルに合わせ装甲体を構成したいるらしく、胸の膨らみや腰つきを忠実になぞっていた。おかげで水滴が装甲を伝い足先や股間から滴り落ちる様は、新たなフェチに目覚めてしまいそうなエロスを感じさせた。

 なお、ここには愛咲はいない。出発に際してはひと悶着あったが、艦長である和華代の決定で愛咲はトリィワクスの直掩ちょくえんに付いて居残りをしている。

「そうだニャ。だから、こんなに低空飛行してるってのに晟生は分かってないニャ」

 横からミシェが偉そうに手を振り口を出した。

 その素体コアはしなやかな軽装で、腰部背面に円筒形をした飛行用ユニットが存在する他は大きな装備はない。手の先が大きく膨らんだ形状で出し入れ可能なクローが付属した腕。そして長めの足はネコっぽく逆関節気味で、もちろんミシェ自身の足は素体コアの途中までだ。

 どこかコミカルでユーモラスな印象が強い素体コアに対し、晟生は首をすくめて応えた。

「そりゃどうも」

「にしても、雨は嫌ニャ。路地裏でお腹を空かせていた昔を思い出すニャ」

「そうなんだ、ネコ助も見かけと性格によらず苦労してるんだ」

「誰がネコ助ニャ、いろいろ失礼すぎだニャ」

「そりゃどーも」

「艦長に拾われるまで、あちしは本っ当に苦労して生きて来たわけニャ。ちゅうわけで、もっとあちしに優しくしても良いと思うのニャ。添い寝してくれるだけでも充分ニャ」

「おや、地上班の車がスタックしてるよ。助けに行ってくるんで周囲の警戒よろしくね」

 晟生はぬかるみにはまり動けずにいる輸送車両へと向かった。後ろでミシェがにゃあにゃあ言っているのはいつもの事だ。

「大丈夫?」

 運転手を残し降車していた乗員たちは、晟生の声に嬉しげな反応をした。

 車両は泥を跳ね上げ空転しており、これから泥まみれになって作業するのかとウンザリしていた所なのだ。そのままぬかるみから押し出せば、救世主扱いで歓声があがっている。

 大きく振られる手に応え、小さく手を振り上昇する晟生だが、その素体コアは泥まみれだ。しかし、どのみち直ぐに雨によって洗い流されるのだろうが。

「お疲れ様です」

「別に大した事じゃないよ。そろそろ目標地点かな」

「恐らくそうではないかと……彩葉さん、地図データを見ます。うん、もう直ぐ」

 彩葉からデータが共有されてきた。

 トリィワクスからの移動軌跡が重ねられており、そろそろ目標付近である事は間違いない。

 目標はシズオカ付近で駐屯地が四つ並んだ一番下の場所になる。旧時代の地図――晟生にとっては生きていた時代のものだが――によれば、近辺には市街地や工場があるはずだが見渡す限り何も残っていない。

「全部消えてしまったのか……」

「この下にある荒野全てに人の営みがあった。うん、彩葉さんには想像できない。晟生くんが生きた時代は人が沢山いた?」

「そうだね、凄く沢山いた。それが当たり前だったけど、こうなってみると奇妙な時代だったと思えるよかな。人も社会も飽和して、きっと全てが弾ける寸前だったのかもしれない」

 晟生は何とも言えない気分で呟いた。

 かつては地上の大半を人工物が覆い、道路が張り巡らされ家がひしめき、あらゆる資源が恐ろしい勢いで消費される。世界は人で溢れかえり、平和に思えてネットを始めとした裏では陰湿な争いが耐えない。富みと幸福は一部に偏り、多くは辛酸と苦労の中に生きていた。

「今の時代の方が生きている実感がするよ」

「なるほど、そうなんだ……」

 会話をする内に先行していたミシェが戻り、地上班の輸送車両と共に移動。そしてようやく目的の場所を見いだしたのだが、普段から水気が多いのか旺盛な植物に覆われ緑が目立つ。

 データ上では旧時代の駐屯地があるはずの場所は草木に覆われていた。

 人工構造物らしきものは確認出来ず、代わりに緑に覆われた状態でも分かる激しい凹凸の地形だ。恐らくは爆発痕で、何か激しい攻撃を集中的に受けたのだろうと分かった。

 そして一つだけ存在する大きな浅いすり鉢状の窪みは何故か草の一本すら生えていない。

「骨折り損のくたびれもうけかな」

 晟生は何だか申し訳ない気分になった。判断と決断をしたのはトリィワクスの艦長である和華代わかよだが、提供した地図が役に立たなかった事で責任を感じてしまうのだ。

「いえいえ、それはなさそうかと彩葉さんは思いますよ」

「そう?」

「ほら、あれを。何か発見されたようかと」

「なんだろう」

 地上班が生い茂る蔦状の植物を除去していくと金属物が姿を現した。焼け焦げ、もぎ取られた破損状況が見える。泥や何やらで汚れてもいるが、鋭角なフォルムをした兵器に思えた。

「彩葉さんは、以前にあのフォルムを見た事があります。型番は忘れましたが機動兵器で、人が搭乗して操縦するタイプですね。動けば戦力としては、なかなかではないかと」

「随分と傷んでるけど、あんな状態で価値があるのかな」

「もちろんなのです。パーツだけで充分に利益が出そうですし……ほら、見て下さい。他にも何体もあるみたいなので。上手く組み合わせて修復できれば更に価値が出るかと」

「なるほど、これは大成果って事か」

 提供した地図が役に立ち晟生は安堵する。

「ニャアニャア、この辺りにもっとあるかもしれないニャ。あちしたちも探してみるかニャ?」

「それは却下ですにゃ」

 彩葉は可愛く言って招き猫のようなポーズをしてみせた。

「真似するニャ!」

「そんなわけで打ち合わせ通り、上空で周辺監視を行うべきだと彩葉さんは判断します。つまり何かあっては元も子もないわけで。皆さんの安全を一緒に守りましょう」

「もちろんニャっ、仲間を守るのは大切とあちしも思ってたニャ」

「あとトリィワクスに経路データと状況を報告しておきますか。もしかすると艦が来るかもですね。そうすれば戻りは楽ちんなのかと」

 戦闘班のリーダーである彩葉は力強く言った。

 地上では簡易式パワードスーツを着用したメンバーが機動兵器の残骸を運搬し並べ、それを知識のあるメンバーが検分。回収する物の選別を行っている。手伝ったところで、作業ペースを乱してしまうだけのように見えた。

「了解だニャ。晟生もそれでいいニャね?」

「言ってるのはネコ助だけで、こっちは最初からそのつもりなんだけどね。とにかく、たとえ白面が現れても見逃さないようにしておくよ」

「まーたそれニャ。白面が現れたら、あちしがギッタンギッタンにして賞金を頂くニャ」

「そりゃ頼もしい。また頭を踏まれないように」

「うぐうっ……」

 晟生はニヤリと笑って飛翔する。

 軽口は楽しいもので、特にミシェが相手であれば弄りたくなってしまう。何と言うべきか、喋るネコを相手にしているような気分だ。

 作業する仲間を中心として旋回しながら半径を広げていく。

 雨は相変わらず。バイザーに雨が付着する雨が水滴として残らないのは、超撥水効果があるからだろうか。視界は少しも遮られる事はない。地面は植物に覆われ、まるで緑の湖のようである。晟生は高度を落とし、すり鉢状に陥没した地点に近づいた。

 網膜上に表示がなされる。

 晟生の着装する素体コアが何かに反応しているらしい。

「なんだ識別コード発信? なにが……」

 地上で何かが響き、荒れた斜面が細かく振動しだす。がらがらと音をたて石や岩が転がり落ちていった。異常事態に彩葉とミシェは即座に晟生の前に展開しガードに入る。二人とも過保護だ。

「うん、何か現れたようですね」

 彩葉が地面を示せば、その先に金属製の壁が出現していた。それはゆっくりと開いていき、人ひとりが通過出来る程度の空間をが現している。

 そして晟生の網膜に情報が表示される――OpeningGateと。

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