第34話 ちとチズチート
そのままベッドの上で半眠半覚のひと時を楽しむのだが、カーテンを揺らす微風と差し込む日射しに少しずつ思考をはっきりとさせていく。ただし、その爽やかな環境は全て人工的に演出されたものでしかないのだが。
寝ぼけ眼で枕元にある時刻表示を見れば、まだ早朝と呼ばれる時刻であった。どうやら寝る前に設定した起床時間が間違っていたらしい。どれだけ技術が発達しようとも、全てヒューマンエラーで台無しという事である。
「あれは何だったのかな……」
昨夜の生物兵器襲来を思い出し呟く。
あの白面と呼ばれる生物兵器に確かに名前を呼ばれた。けれど、なぜ名前を知っていたのか。しかもだ、あの白面は晟生の顔を見た後にそれと気付いた様子であった。
どれだけ思い返しても何の接点もない。
「そうなると……この身体に変わって以降で知り合った?」
自分がどうして美少女のような顔立ちと体つきになったのか、自分自身でも理由すら含め全く分からない。なにせ気付いたら変わっており、素体コアを着装したままコンテナに収められ二百年という時を経ていたという事だけだ。
「あの白面は二百年生きて、この姿を見てるって事か? ――いや、どうなんだろう。分からないね」
考え続け頭が痛くなってくる。
昨夜も同じ事で悩み続け寝付けなくなり、殆ど寝ていないのだ。だから起床時間の設定を間違えもしたのである。
「ここで悩んでも仕方ない起きよっと」
晟生は顔を洗い着替えると部屋を出た。
艦内の通路はとても静かで、普段よりも自分の足音が良く響く。流石に昨夜の騒ぎがあっただけに、警戒は厳重なのだろうが、それはそれとして疲れきって寝込んでいる者も多いのだろう。
「あそこに行くか……」
そのまま急な階段をあがり、艦橋に到着。
艦長席を見ると予想していた通り
「おはようございます」
「ああ、あんたかい。おはようさん」
「一人ですか?」
「ちょうど交代を入れたとこなんで、今だけさね。その辺に座ったらどうだい」
「では、遠慮せず」
晟生は適当に空いてる席に座った。
何か分からない数値を表示するパネルがあるのだが、手を出せば簡単に弄れてしまいそうである。触る気はないのだが、セキュリティ的に良いのだろうかと勝手に心配になってしまうぐらいだ。
「謹慎中ってのに、それを命じたあたしの前にのこのこ出て来るとはね」
「あっ、そうでした。見せしめ懲罰者が勝手に行動してマズかったですか」
「まったく、あんたときたら……いいさ、あたしの監視下って事に思っておくさ」
「どうも」
席に座り、しばらく艦橋の中を眺めやる。周辺地形の表示や、脈動するように揺れるグラフ。微かなノイズを発する通信機器。
それらを眺め、晟生はポツリと尋ねる。
「生物兵器って喋ります?」
「なんだいそりゃ」
「いえ、意志疎通できないかなっと」
「そりゃ諦めな。連中は人間を餌と思っているか、それとも憎悪しているかは知らないがね、喋る前にその口で食い付いてくるってもんさ」
言いながら和華代が手元のパネルで何かを操作する。
途端に視界が開けた。
わざわざ全天周モニターを起動してくれたのだ。山の向こうに輝く太陽。空は白み青と青紫が混在し、白味を帯びた光が地上を薄く照らす。靄立つ中に土と岩ばかりの大地が美しく繊細な情景に仕立て上げられていた。
恐らくは、この瞬間にしか見られない光景だろう。
爽やかな空気を感じそうだが、さすがにここではそこまでの再現はされなかった。温度湿度ともに一定でどこかオゾン臭のする調整された空気である。
景色を眺める和華代が唐突に振り向いた。どこか微苦笑するような顔だ。
「そりゃそうとして。あんたが来てからイベントが盛りだくさんで満腹だよ」
「お腹いっぱいですか?」
「ゲップが出るくらいにはね。おかげで退屈はしないですむが、そろそろ胃もたれしそうさね」
和華代は冗談めかして笑っている。
「そうそう、ちと困った事になってんだ。何とかしておくれ」
「困った事です?」
「身構えなくたっていいさ。ほれ、この前に美味そうな料理をしてくれただろ」
「……ああ、あれですか」
腱鞘炎になりそうなほどミンチを炒めた事を思い出すと、晟生は腕をさすった。
「あれが何か問題でも?」
「他の連中も食べたいと、もちろん食べた連中もまた食べたいと希望があってね。あんたに直接要望や要求しないように通達してあるもんで、あたしん処に陳情がわんさと来てんのさ」
「さいですか」
晟生は少し笑った。しかし、それこそ困り笑いだ。
「でもまあ、全員分の料理をするなんて勘弁願いたいですよ」
「そりゃそうだ。あんたは神魔装兵の乗り手として雇ってるからね。そいつを疎かにはして欲しくない。さて、どうしたもんかね」
「確認しますけど、そんなに陳情がありました?」
「内容の大小はあれど、ほぼ全員からさね。そもそも男の手料理なんてのは、金を出しても食べられない。しかもそれが美味いとなれば大変ってもんさ」
「さいですか……」
晟生は思いついたアイデアを口にしようか躊躇う。それは自分に価値がある事が大前提のもので、しかしそこまで自分に価値があるか自信がなかったのだ。
しかし和華代はめざとく反応する。
「思いついた事があるなら言ってみな。何だろうと、言わなきゃ始まんないだろ」
「それなら……とりあえず、料理を報酬代わりにしたらどうです」
「ほう、詳しく話してみな」
「乗組員の中で功績があった者へ、ご褒美的に料理を振る舞うと。その辺りの選定は艦長のさじ加減で。そうすれば、艦内掌握の一環にも使えませんか」
「ふうむ……」
和華代は唸るが、それは提案に感心したからではなさそうだ。晟生を眺めやる視線は少々評価を改めるようなもので、やがて小さく頷き嬉しそうに軽く笑う。
「あんた見かけによらず策士だね」
「お褒めにあずかり光栄です」
「じゃあそうさせて貰おうか。手始めに、あたしに食べさせて貰おうかね」
「なるほど艦長特権ですか。頑張って料理しますよ」
食材はギンザの街で幾つか購入してある。
それは晟生個人というよりはトリィワクスとしてだ。どうにも自動調理機の故障からの反省で、少なくとも他にも食糧を用意しておこうという理由だった。もちろん、そこに晟生という存在も影響はしているのだろうが。
「ああ、そうだ」
ふと思い、晟生は尋ねた。
「この辺りの地名は?」
「そうだね、シズオカの東あたりかね。直にハコネの関さね知ってるかい?」
「ああ、静岡ですか。知ってますよ」
「大昔のシズオカはどんなだったんだい?」
その問いに答えるには難しい。
静岡と言っても広く、そもそも晟生がメインで暮らしていたのはもっと別の場所だ。一般的常識的な部分と、旅行で訪れた僅かな場所の知識しかない。
「港があって近くの寿司屋が美味しかったですね。それと伊豆に行って金山に行って、海水浴をした事があるかな。お茶とか餃子とかが有名で、別名をサイレントヒル県と言われてたりとか?」
「なんだいそりゃ。しかし金山かい、そりゃどの辺りにあったんだい?」
「ええっと」
言いかけて、説明するより見せた方が早いと情報端末を取り出した。アマツミカボシの素体コアのあったコンテナ内に残されていたもので、同じく二百年の時を経ているはずだが、まだ正常に動くものだ。
その中から地図アプリを起動させる。
「ここですね」
拡大した地図を見せると和華代は丸くなるほど目を見開いた。
「……ちょっと待ちな。あんたそりゃ地図なのかい?」
「えっ? そうですけど、それが何か?」
「なんてこったい……」
和華代は顔を押さえ天井を仰いでみせた。そのまま、低い声で笑いだしている。
「大戦前の正確な地図ってのが、どんだけ貴重か分かってんのかい? その手の情報は商工会議所やら各行政庁が一手に押さえて握りこんで秘匿してんだよ」
「でも戦争で地形が変わってるわけですから。それじゃ意味がないでしょう」
「そりゃそうだがね。でも、どこに何があったか大まかには分かるだろ。今の金山みたいに」
過去の遺物を発掘をするための見当を付ける事ができれば効率が全く違う。さらには航路の設定にしても、他の者より大きくアドバンテージをとりうる――そんな説明をして和華代は艦長席から身を乗り出した。
「良かったら、指定範囲だけの情報だけでも売ってくれないかい」
きちんと売ってくれと言う辺りに、和華代という人物の生き様が現れているに違いない。力尽くでという事も普通にありえるのだから。
「だったら差し上げますよ」
「そりゃあんた、幾ら何でも太っ腹すぎやしないかい……」
「匿って貰ってるだけで充分におつりが出てますから。後はこれからもよろしくって事で」
晟生にとっては、その方がありがたい。しかも商工会議所や行政庁といった組織が秘匿しているような情報と言うのなら、個人にとっては迂闊に扱えない代物でしかないだろう。
それであれば、目に見えぬ形の恩義を売った方が得というものである。
「分かった、そうさせて貰うかね」
和華代はさっぱりした仕草で頷くと情報端末を懐に仕舞い込んだ。もちろん言葉には出さぬが、晟生に対する恩義や礼をしていく事は間違いあるまい。
ぽつぽつと人がやって来た。
女性たちは晟生の姿に驚き喜びつつも、それ以上は騒がず軽くウィンクをしてみせたり、手を挙げ挨拶をする程度だ。各自とも自分の役割を心得、それを果たそうと席に着いていく。
「それじゃ部屋に戻ります」
会話をしたおかげか、随分と気が楽になっている。物事はなるようにしかならず、また自分でどうにもならない時に悩んでも仕方がないといった気分だ。
晟生は大きく伸びをしながら席を立つ。
すれ違った女性クルーの手に応えハイタッチをしてみせ、背後で跳びはね喜ぶ様子に少し照れながら艦橋を出た。
そろそろ、いつもの起床時間に近い。
部屋に戻っておかねば、誰も居ない部屋の前で愛咲と初乃が騒ぐかもしれない。そうと気付いて少し足取りを速める晟生であった。
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