第31話 日常の中の日常
ハードな訓練が終わり、トリィワクスの格納庫。
微かにオイル臭が漂い、その他には何と喩えるべきか化学薬品としか言いようがないものを感じる。高い天井に幾つも設置された照明は白色で、外の夕映えとは関係なく内部を煌々と照らしていた。
「そんニャら高級煮干し……は、こないだ彩葉に貰ったし。サバ缶を請求するニャ! サーバ缶サーバ缶」
ミシェが周りを飛び跳ね、
とはいえ晟生は苦笑するのみだ。初乃を仔犬とすれば、ミシェは猫みたいな感じなのだ。気軽に相手ができて、何となく友人めいた気楽さがあった。
「こいつめ、人にたかって生きてるな」
「当然ニャ! ただ飯ほど美味しいものはないニャ!」
「それについては同意するけどね。さて、サバ缶か。サバ缶、サバ缶、サバカンカン。ようし次の街で探してみるけど、なかったらごめんな」
「ニャンだったら、あちしと熱い一夜を過ごしてくれるだけでもいいニャよ。どうせ夜は艦も動かニャいし。ゆっくりしっかりじっくりねっとり、ニャーんちって」
頬を染めたミシェはもじもじと指先を付き合わせ、ちらりと上目遣いをしてみせた。変異で生じた耳も緊張気味でピンッと立っている。
「よし、頑張ってサバ缶探してみるよ」
「失礼な態度ニャ」
尻尾がピンッと伸び、シャーッと威嚇の声を上げている。からかうと本当に面白い相手なのだ。
「ところで、どうして夜になると艦が動かないわけ」
「人にタダで物を聞くとか間違ってると思わニャい?」
「そうか。ほれ、よーしよしよーしよし」
頭を撫でてやり、その変異で生じた耳を弄ってやるとミシェは目を細めた。うっとりして、さらにもっとと頭を差し出したところで晟生は手を引く。必要な分は撫でたという事だ。
「で? なんで夜になると艦が動かないか教えて頂けますかな」
「途中で止めるなんて、いけずニャ……しかたニャい、特別に教えてやるニャ」
ミシェのウニャウニャっとした説明を聞く。
夜は生物兵器の動きが活発化するため、荒野を移動する者は注意を惹かぬよう身を潜めねばならない。それはトリィワクスのような艦も同じであり、襲撃を受けた際のリスクとコストを考えれば艦を停止させ隠伏状態で夜を過ごした方が良い結論になるのだった。
「なるほどね。まだまだ、いろいろあるんだ」
晟生は呟き、ヴァルキュリアの素体コアの方を見やった。
素体コア自体は自己修復機能がありメンテナンスフリーだが、パラメーターチェックは行わねばならない。
「食堂でも行くかな」
「そんニャら、あちしも一緒に――」
「ミシェちゃーん。あんた、どっこ行くのかな?」
だが、その肩をむんずと掴むのは、ケットシーの整備を担当する少女のリーヌであった。重く響くような暗い声は明らかに怒りを抑えたものだが、ミシェは気にもしない。
「いまから楽しいお食事会ニャ。そんでもって晟生に酒を飲ませて酔い潰したら既成事実をつくるつもりニャ。邪魔しないで欲しいニャ」
「あっそう。それより、あんたまた素体コアで煮干しと鰹節を食べたでしょ。中にね大量のカスが散って掃除が大変なの。しかも魚臭いし! 手伝ってあげるから掃除しなさいよ!」
「あちしは気にしないニャ。煮干しと鰹節の香りが漂うなら、ケットシーも満足のはずニャ」
「黙れ、この馬鹿ネコ。さっさと掃除しな、こっちは魚臭くてやっとれんのじゃ! いいよ、やらないなら中に柑橘類系の匂いをつけるよ! 晟生、これ貰ってくからね」
断りを入れるリーヌに晟生は笑顔で応えた。格納庫で顔を合わせ何度か会話もしているが、このリーヌとミシェが腐れ縁的に仲良しである事も知っている。
「どうぞどうぞ」
「ありがと。ほら行くよ、この馬鹿ネコ!」
よほど腹に据えかねているのだろう。リーヌはミシェの首根っこを掴んで引きずって行く。助けを求める声がどれだけ響こうと、誰もが笑うだけで助けようとはしない。もちろんそれは晟生も同様だった。
「……さて、夕食にしよっかな」
◆◆◆
食堂はガランとしていた。
まばらな人影の中に
恐らくは外の映像だろう、沈みゆく夕日と赤らんだ空が映し出されていた。
長い銀髪と褐色の肌。少し大人びた綺麗な顔立ちに、紅い瞳の切れ長の目。トリィワクス共通の制服は軽く羽織るにとどめ、黒い半袖シャツ姿。その姿はまさしく……銀髪おっぱいだ。
「夕暮れを見てますか?」
軽い飲み物を手に晟生は近づいた。
ちらりと視線を向けた彩葉は微笑みながら頷き、また映像に視線を向ける。その前に軽く隣の席に目をやってみせたのは、そこを勧めているからだろう。
晟生は席に座り一緒に映像を見る事にした。
綺麗な夕日だ。
赤熱した太陽は周囲の空間さえ赤く染め上げ、黒い山の向こうへと徐々に消えていく。青さを取り戻した空に夕日の名残を残した赤い雲が浮かび、それは呆れるほど綺麗な景色であった。
夕日ばかりは、いつの時代でも変わらないらしい。
それが少し嬉しかった。
「晟生くんもお酒を飲んだりとかする?」
「これノンアルコールですよ」
すっかり変わってしまった晟生の身体は正確な年齢は分からない。どこがどうとは言わぬが第二次性徴は終えているため、まだ十代も半ばぐらいだろう。そのためアルコールは控えているのだが、元々からして特段に飲酒する生活ではなかったため、そうする事は苦ではなかった。
「訓練お疲れ様」
彩葉はグラスに軽く口をつけながら言った。随分と大人びた雰囲気を感じる。
アルコールが入っているせいか頬も赤らみ、目つきもまったりとしている。どうやら、そこそこ飲んでいる様子だった。
「ここのお酒はどんな感じです?」
「甘口が多い感じかな。彩葉さんとしては、もう少し辛口も欲しいかな」
「この飲み物も甘すぎて、実はもう飲めないですよ」
晟生はコップを揺らして見せた。それだけでもう甘い匂いが漂ってくる。
このトリィワクスの食事メニューはお洒落なカフェ系だが、ドリンクも似たようなものだ。晟生にとって一番美味しいのは、ただの水だった。もっとも、ドリンクメニューの中では水が一番高いのだが。
「さてさて、晟生くんはトリィワクスには慣れてきたかな?」
「そこそこかな。まだ分からない事ばっかりですけど」
「うーん、もっと他の乗組員と交流した方が良いかも。愛咲と
「ミシェは先程充分に構ってきたので大丈夫かと思いますよ」
晟生が肩をすくめると、何があったか分からないながら察したのか彩葉は苦笑しながら頷いた。そうすると本当に大人びた雰囲気を感じる。
「もちろん彩葉さんを構ってくれても良いので」
軽くウインクされると妙に色っぽく、ドキドキしてしまうぐらいだ。つい視線が彩葉の腕や首筋など露出した肌に向いてしまう。もちろん、彼女の胸を見てしまうのは言うに及ばず。なにせテーブルにのるぐらいなのだから。
「そうだ、お礼がまだだった。ギンザの街では護衛して貰って助かりましたよ。本当にありがとうござ――」
ひょいっと迫った指先が晟生の口を押さえて止めた。
「その言い方は却下なのです。愛咲や初乃ちゃんに話すみたいに話そ?」
軽く口を尖らせた彩葉は、とんとんっと晟生の唇を叩いて離れていった。まるでそれは、大人のお姉さんが少年をからかうような仕草だ。
「参ったな。そうなると改めて……ギンザの街では助かったよ、ありがとね」
「うん、それで彩葉さんも嬉しいな。どういたしまして」
顔を見合わせ二人して笑い合う。
晟生は嬉しかった。思ったよりもずっと上手く女性と話せている。相手がこちらに興味と好意を持ってくれるだけで、こんなにも話しやすいとは思わなかった。
空になったグラスが軽く振られる。
「あら、終わっちゃった。でも彩葉さんとしては、もう少しだけ何か飲みたいな」
「じゃあ、もう一杯だけ持って来ましょうか――持ってこようか?」
「んー、大丈夫」
彩葉は微笑すると晟生が飲むのを諦めた甘口ドリンクに手を伸ばし、止める間もなく飲んでしまう。なんとも照れくさい晟生は、どうにも憧れのお姉さんに構って貰っている少年の気分だ。
そのまま彩葉はテーブルに、ぺちょっと突っ伏してしまう。銀色の髪がサラサラと零れ、机の上で模様のように渦を描く。まったりした表情のまま目は閉じられ、どうやら寝てしまったらしい。
「……どうしよ」
そんな彩葉を前に晟生は困った。
このまま放っておくのも悪い。しかし、部屋まで運んでいくにしても場所が分からない。そうなると晟生自身の部屋というのも手ではある。タイミング良く周りには誰も居ない。
「うん、まあ仕方ないな。別にやましい事はなにもない。同じ装兵乗りとして風邪をひかれては困るわけであるし、もちろん彩葉のためにもなる」
問題はどうやって運ぶかだ。
論理的に考え今現在の腕力と体格差では、お姫様抱っこは不可能。そうなると背に担ぐがベストだが、他の方法としては後ろから抱えるというものもあって、これまた捨てがたい。やはり肩を貸すように運ぶ事が良かろうか。その過程で密着してしまうのも無理なからぬ事であるし、もちろん部屋に行ってから楽になるよう服ぐらい緩めてあげるのも――。
「あー、晟生ってばここに居た!」
食堂のドアが開き、明るい声が飛んできた。
「部屋に行ったら居ないし、ぼくってばあちこち探したんだからね」
「ですから最初から食堂ではないかと言いましたよ」
「うーん、まだ食事には早いと思ったんだよね」
愛咲と初乃はスタスタとやってくるのだが、寝ている彩葉に気付くのは当然の帰結であった。
「あれれっ? 彩葉ってばさ、寝ちゃってら」
「今日は非番ですから、お酒を飲んだのですね」
「こんなとこで寝たら風邪引いちゃうのに。しょうがないなぁ、ぼくの部屋に連れてくよ。彩葉の部屋は遠いもんね。はいはい立とうね」
「そっちを持って下さい」
二人は無理矢理立たせた彩葉に肩を貸し、ふらつきながら歩いて行く。それを見やりどう手伝うべきか悩む晟生であった。
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