第3章

第29話 暇じゃない暇人

 トリィワクスは応急措置を終えるとギンザの街を出航。本格的修理は大型ドッグという事で、今は破損部に軽く装甲板を張っただけという状況だ。

 そして数日が経過していた。

 晟生せおは自室ベッドで寝転がり天井を見ながらぼんやりしている。航行中のトリィワクスが響かせる微かな振動や駆動音も意識せねば気付かないほど慣れている。長い髪を持ち上げサラサラと零すのは、何となくの手慰みだ。

「暇だ……」

 神魔装兵アマツミカボシの着装者として雇われたが戦闘以外では出番がない。

 ギンザの街を出て移動中だが、ゲームのように定期的に敵とエンカウントするわけではないのだ。

 それでも一度だけ小競り合い程度はあったが、それは愛咲あさきのヴァルキュリアが撃退している。晟生のした事と言えばアマツミカボシの素体コアを着装し、ハンガーで出撃命令がいつ来るかと緊張しながら待機しただけ。

 そして今は特に何事もなく航行中。

――これからどうするのか。

 これまでは右も左も分からない状況に困惑し、生きるため周りを観察し把握しながら過ごしてきた。結果として一定の情報が得られ、トリィワクスという生活の基盤を確保する事ができ居場所をつくる事が出来た。

 そうなると、燃え尽き症候群ではないが急に何をすべきか分からなくなってしまう。

 もう一度手慰みで長い髪を持ちあげ、サラサラと零しながら呟く。

「これの件があったか」

 仕事帰りに意識を失った後に何があったのか。どうしてこんな女の子のような容姿体型になってしまったのか、どうしてコールドスリープで二百年以上も寝ていたか。どうしてそうなったのか全く分からないのだ。それを考えると気持ち悪い。

 たまに自分のルーツを探すことに躍起となる人がいるが、やはり同じ気持ちなのだろうか。

「まあ、とりあえずの目標はこれか」

 決めたはいいが、直ぐにどうこう出来るものではない。そうなると……やっぱり暇であった。

 その時、まるでタイミングを見計らったかのように部屋のドアがノックされた。

「どうぞ」

 晟生の声に応じAIが解錠するなり勢いよくドアが開けられる。

 元気よく入って来たのは、もちろん初乃ういのであった。白に赤の入った制服に半ズボンと、健康的な足が眩しいな格好だ。澄んだエメラルドのような瞳を煌めかせ、上機嫌な様子で笑みをみせる。

「ういうい、お邪魔しちゃうよ。晟生ってば暇だよね」

「……いや忙しいよ。瞑想で心を落ち着けてるから」

「そっか暇なんだね、ぼくと一緒に訓練でもしようよ。ほらほら」

「だから忙しいんだよ」

 暇だ暇だと思っていたが、急に忙しいと言い出した事には理由がある。

「訓練なんて嫌だ。初乃は手加減しないから」

 ここ数日で気安く呼べるまで仲良くなっている。

 それはそれとして、晟生が文句を言うには理由があった。

 この初乃が言う訓練とは、組み手と言うべきか鍛錬と言うべきか実際に拳を交えるような試合形式の戦いなのだ。これが結構に激しいもので、自分より年下の少女に為す術もなく負ける事は晟生のささやかなプライドを傷つける。あと痛い。

「大丈夫だよ、今度はちゃんと最後まで手加減するかさ。ほらほら行こうよ」

「この前も言ったよな」

「そうだっけ? でも、安心してよ。ぼくが晟生を強くしてあげるから」

「やっぱり手加減する気ないだろ。放せ」

 声をあげる晟生であったが、それは少し冗談めかしたものだ。腕を抱え引きずる初乃もふざけて、悪人っぽい――と本人が思っている――声で笑っている。

 なんにせよ暇を持てあましているし、初乃と組んず解れつで稽古をする事を楽しく思っているのだった。


◆◆◆


 稽古が行われる部屋は、艦の第二層にある。

 天井が高く広さは二十畳。床に敷かれたマットは畳を模したクッション性のあるシートで、衝撃を程良く受け止めてくれる事は身をもって知っている。

「ちゃんとストレッチしようね。よく身体をほぐさないと怪我するからね」

「初乃が最後まで手加減すればいいだけだと思うがな」

「まーた、そんな事を言うんだから。ういうい、ちゃんと手加減するからさ」

 初乃は床に座ると両手を上に伸ばし、身体を反らせ伸びをする。そして開脚から前に倒れストレッチを続けていく。それに倣い晟生も身体をほぐしだす。

 組み手のような稽古をするのだが、装兵を操る者としては必要な事になる。

 素体コアから顕現した神魔は乗り手と一体化。それはマスタースレーブ方式の操縦どころではなく、完全なる同化だ。そのため神魔装兵同士の戦いではベースとなる人間の戦闘センスも大きく反映される事になる。パワーだけでなくアーツも重要視されるという事だ。

「そんじゃ、始めよっか。いつもと同じで試合形式だからね、思いっきり攻撃して来てよ。晟生ってばどうも遠慮がちなんだから」

「無茶を言う」

「それじゃあ行くよ!」

 互いに木剣を手に取ったところで、いきなり初乃が突っ込んで来た。

 重い唸りで振り下ろされた攻撃を木剣で迎え撃つように払いのける。初乃は小柄なくせに、その一撃は手が痺れるほどの威力がある。次に放たれた足蹴りを飛び退いて交わす。

 最初の頃は、この段階で為す術も無くやられていた。

 だが、何度も痛い目に遭っていればこれぐらいは晟生も出来るようになっていた。まさしくスパルタで容赦がない訓練のお陰である。感謝すべきかせざるべきか複雑な心境だ。

 少しは出来るようになったと思った晟生であったが、初乃は即座に身を低くしながら懐に飛び込んで来た。木剣を返し柄側で突き込んでくるが、これに為す術もなく腹に一撃を貰い転倒。痛みに喘ぐが、そのまま寝てなどいられない。即座に横に転がれば、つい先程までいた場所に容赦なく木剣が叩き付けられている。

「うんっ、今のいい動きだね」

「手加減はどこいった!」

「もちろんしてるよ」

「嘘だ!」

 這いながら逃げようとする晟生の背にドスンと衝撃。身体は潰され、口から悲鳴とも呻きともつかぬ声が漏れ出ると、そのままべたりと潰れてしまう。

「ぐえっ……」

「はい、ういういの勝ちぃ」

 馬乗りになった初乃が背中で宣言すると、木剣の先でコンコンと頭を叩いてくる。悔しいが胴を両足でがっちりホールドされてしまっているため抵抗は無駄だ。

 この初乃は本当に強い。

 トリィワクスの面々に実戦形式で鍛えられてきたそうで、武術や格闘技といったものではないが、とにかく戦い慣れしている。自分の特性を活かし素早い上に思い切りが良いため、晟生などは殆ど反応ができないままやられてしまう。

「あのさあ晟生は遠慮しすぎなんだよ。たとえばさ、向かい合って構えて合図するまで攻撃して来ないでしょ。木剣を持った瞬間とか、それを受け取る前だって攻撃していいんだよ」

 突き込まれた腹や跳び乗られた時の衝撃は痛いが、背中に女の子が跨がっていると思うと晟生には痛みも許せる気がする。これこそが稽古を辞めない理由だ。

「それは卑怯では?」

「神魔装兵の一番無防備なのは素体コアの状態。一番は相手が顕現する前に攻撃する事だよ」

「それはそうだが……」

「勝てば良いんだよ。負けたら何も言えないし、言っても負け惜しみだからね」

「そうか……だったら!」

 晟生は腕立て伏せの要領で身体を持ち上げると素早く一回転をした。本当は振り落とすつもりだったが、初乃の体重が軽すぎた事とバランス感覚が良すぎた事でむしろマウントポジションを取られた状態になってしまう。

 失敗を悟った晟生は諦めた。これ以上の抵抗は無意味だ。

「降参……ん?」

 しかし攻撃はいつまでたっても来ない。目を向けてみれば初乃の澄んだ緑の瞳が、じっと見つめてきていた。なんだか、それまでと雰囲気が違う。きゅっと少女の足が締められ、お尻が押しつけられる。

 そして初乃は壁どんならぬ床どんで両手を突き、覗き込むように晟生を見つめた。

 戸惑う晟生であったが、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐる。彩葉や愛咲からも時折感じる香りでドキドキする心地よい女の子の匂いというものだ。

「晟生って女の子みたいだけど、でも思ったよりがっしりしてるよね」

「えっと……そうか?」

「うん、なんだか固めで暖かくて安心できるね」

「そ、そう?」

 雰囲気を感じ、晟生の心臓は跳ね上がった。

 このまま手を伸ばせば触る事が出来て、しかも相手も許容してくれそうな雰囲気だ。和華代から積極的に迫るよう言われてもいる。ごくりと唾を呑んで初乃の腰に手を伸ばし――しかし辿り付く前に初乃は吹っ飛んでいった。

「わきゃあっ!」

「何をしているのでしょうか」

 照明に金色の髪を煌めかせた愛咲が立っていた。

 大人しげな愛咲が自分の妹に跳び蹴りを放ったとは到底信じがたいが、不機嫌に頬を膨らませた彼女の様子はヴァルキュリアとして顕現したぐらいに迫力があった。可愛い見た目に反して意外にも荒っぽく容赦がない。

 初乃は不意を突かれたにもかかわらず身軽に受け身を取った。畳の上で一回転をすると片膝立ちになって声を張り上げる。

「愛咲姉ってばさ、何すんのさ」

「それはこちらの台詞です」

「何がさ!」

「稽古と称して晟生さんに何をする気でしたか」

 冷え冷えとした声の愛咲は片手腰で、片手で指さし糾弾のポーズだ。

「何を言ってんのさ。ちゃんと稽古だよ稽古、晟生からも言ってよ」

「うん。無理矢理連れ出されたあげくボコボコにされて痛い思いをしてるけどね。どうやら一応は格闘戦の稽古をしているつもりらしいんだ」

「なんかさ、その言い方がとっても気に入らないんだけど」

 初乃は不満そうに口を尖らせるが、もちろん事実しか言っていない。にやりとしながら晟生が座り込めば、愛咲が慰めるように頭を抱き寄せ撫でてくれる。まるで子供扱いだが、それがいい。

「とにかくさ、ぼくと晟生は稽古中だから邪魔したらだめだからね」

「そうですか分かりました。では、私も参加しますから」

 愛咲は軽く身構えてみせる。それは、あのヴァルキュリアの動きでしっかりとしたものだ。

「あのさ、ぼくは晟生の二人きりで稽古したいんだけどね。分かったよ、不本意だけど凄く不本意だけど凄く凄く不本意だけど愛咲姉も一緒でいいよ」

 三人で稽古が行われる事になった。

 これで少しは楽になるだろう……と思った晟生であったが、直ぐに己の間違いを知る。やっぱり二人とも姉妹で、容赦のなさは同じだったのだ。

 稽古が終わる頃には晟生は精根尽き果て、ぐったりする事になってしまう。

「これくらいにしとこっか」

「そうですね。ひとまずは、ここで終了です」

「やっと終わった……」

「それでは、次は神魔装兵同士での戦闘を行いましょうか」

 思わぬ発言に晟生は固まった。

「えっ? ちょっと何それ……今から!?」

「大丈夫です。稽古で身体感覚が掴めたかと思います。それを上手く活用していきましょう」

 にっこり笑う愛咲は晟生のために一生懸命だ。どうしてそれを断れようか。

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