第27話 命短し守護せよ乙女

「二百年前の人間って事は内緒にね。もちろんトリィワクスでもだけど」

「もちろん分かってるよ」

 頷く初乃ういの晟生せおは疑わしげな顔をした。なにせ、今は穂舟の小屋のドアを開けようと一生懸命で適当に返事をしているようにしか思えなかったのだから。

「あれ? 鍵がかかってら。どうしたんだろ留守かな」

「うん、ではでは壊しますか」

 開かない扉を前に彩葉いろはは早くも大鉈のような剣に手を掛けている。一刻も早く時間を越えるような研究について知りたいらしい。

「いやいや、それはない」

 普段であれば二人を止める事は愛咲あさきの役目だが、今はそれを晟生が行わねばならない。なぜならば、愛咲も同じく焦っている。胸の下で腕を組み苛立った様子で指先をトントンしていた。

「約束の頃合いですけど……もうっ、早く確認したいのに」

 人間なら欠点や悪い点はあって当然だが、愛咲もまた何かを思い込むと周りが見えなくなる癖があるらしい。普段はそれを自制し律しているのだろう。優しいだけの少女でなかったと知って、むしろ晟生は安心したぐらいだ。

「仕方ないよ。予定は予定だから変わることもあるわけだし。ここで待ってれば来るさ」

「でもですね……」

「焦ったところで、どうなるわけでもないよ。それに答えが出てるとも限らないわけだし」

「……そうですね。すみません、落ち着きました」

「適当に座って待ってれば来るんじゃないかな。ほら、初乃も止めるんだ」

 愛咲が落ち着いた所で、扉を叩く初乃を引き寄せ大人しくさせる。そして座る場所を探していると、辺りを見回していた彩葉が落ち着いた声で言った。

「えっと、うん……来たみたいですよ、はい」

「ほら来たみたいだ」

 笑って晟生が振り向くと、この袋小路に来るため唯一の通路に穂舟が立っていた。しかし、周りには銃を持った多数のチンピラの姿もあった。どう見ても友好的な態度ではない。

「穂舟ってばさ、それ何のつもりなのさ!?」

「分かんない? 悪いけど状況が変わったって事だよ。でもまあ、これまでの付き合いはあるからね。その男を置いて去るなら、あんたらは見逃してやってもいいじゃん」

「えっと、もしかして晟生が凄い大金持ちだって事が分かったの?」

「凄い大金持ち!? ははっ、そりゃますます欲しくなったね」

「あれ、違うの?」

 穂舟は手の平を上に肩をすくめてみせる。

「遺伝子バンクを検索したけどね、その男の情報は全くヒットしなかったよ。でもねぇ、代わりに別の事が分かちゃったのさ。何だと思う?」

「分かんないけど、こんな事をするぐらいの凄い事とか」

「違うね、超々凄い事さ。つまりそれはね――その男がトリプルSだって事だよ」

 その言葉の効果は絶大であった。

 愛咲たち三人は呼吸を止めてしまい、既に事情を知っている穂舟の取り巻きたちでさえ再度驚き勢い込んだ笑いをみせる。どうやら、とんでもないパワーワードらしい。ただ訝しげにするのは、言葉の意味が分からなかった晟生だけだ。

「久杜一家のあんたらは良い客だったけどね。あんたらの連れてきた男がいけないのさ。恨むなら、自分たちの出会いの不幸を恨むんだね」

「晟生がトリプルS……」

 穂舟の決め台詞を聞き流し、状況を忘れたまま愛咲は呆然としている。それは彼女だけではない。初乃も彩葉も同じ状態だ。何にせよ銃を手にした相手を前に為す術はない。

 晟生は思考をフル回転させた。

 常連客を裏切り悪評を被ってでも手に入れようとするのだから、トリプルSが示す意味はとんでもない価値なのだろう。しかも一番の障害になる愛咲たちに発砲をしようとしない。それをしないのは、価値が大きすぎるから万一にも傷つけたくないという事だろうか。

「ちょっと悪いけど」

 とりあえず直ぐには撃たれないと判断すると、晟生は前に出てみせた。

「本人の意思を無視して話を進めないで欲しいな」

「あはっ! 今のご時世で男の意思なんて必要ないだろ。大人しく飼われて遺伝子の供給だけしてればいいんだよ」

「なるほど情報屋の誇りを投げ捨て裏切った奴は言う事からして違う」

「…………」

 穂舟の目がすっと細まった。

「あんたには分からないだろうけどね、こんなスラムの最下層で生きるためには必死なんだよ。そこにいる誰かさんたちみたいに、楽して生きていける連中とは違うんだよ」

「それは彼女たちに失礼だ。今の言葉は撤回してもらおうか」

「急に真面目ぶっちまってなんなのかね」

「ここにいる三人は、それぞれ力一杯全力で生きている。苦しい時も死にそうな時も、どんな時だって歯を食いしばって努力して乗り越えてきた。それを何も知らず、勝手な思い込みだけで無かった事にしないで貰いたい」

 愛咲たち三人は驚いた様子をみせた。だが、前に出た晟生が気付く筈もない。

「きっと自分だけが苦労して、自分だけが不運な目に遭って、自分だけが辛いと思ってるのかな。そうやって自分で自分を哀れむのは、凄く気持ちいいだろうね」

「……あたしを馬鹿にするのかい。へえ、どうなるか分かってんのかね」

「図星って事かな。人間ってのは、図星を突かれると怒るらしいから」

「男だったら撃たれないとでも思ってんのかね。いいかい、身体さえ無事なら手足が吹っ飛んでようが関係ないんだよ。その綺麗な顔を台無しにしてやってもいいんだよ」

 穂舟の声は苛立ちを隠せない。

 そろそろ相手の自制心は限界らしい――そう思った時に、晟生は気付いた。穂舟とその取り巻きが塞いだ通路の向こうに人の姿を確認する。

 時間稼ぎは必要なくなったようだ。

「とりあえず、この三人には手を出さないで貰いたい」

「何を今更。あたしを怒らせたんだよ、ただで済むはずないだろ。それとあんたも売り飛ばす前に、限界までトリプルSの遺伝子を搾り取らせて貰うよ」

「すまないが、こちらにも選ぶ権利があるんだよね」

 晟生は右手を軽く挙げた。

 その瞬間、銃を構えた取り巻きの一人が赤黒い液体の飛沫しぶきを振りまき倒れた。銃声は少し遅れて届き、さらに連続する。

 驚く穂舟たちの周囲にお出かけ用の服の女性たちが次々と姿を現せば、アサルトライフルや二丁拳銃をバカスカ撃ちまくり、チンピラ連中に銃弾を叩き込んでいく。それはトリィワクスの外出組であった。

 晟生の資産は四兆円。これは、ちょっと普通ではない額になる。初乃はありえないと言い張ったが、他の者は誰も穂舟が信用出来るとは考えなかった。しかし、情報は情報として欲しいためトリィワクスの外出組に連絡をつけ応援を頼んでおいたのだ。

 結果として穂舟には別の理由で裏切られたわけだが、お陰で助かっている。

 彩葉が目印を付けてくれていたおかげだが、小路地へと入っていく壁の割れた場所の奥といった分かりにくさのため、登場まで若干の時間を要し時間稼ぎをせねばならなかったのだが。

 銃弾を浴びせかけるトリィワクスのメンバー。

 お出かけ服のファッショナブルで中にはドレス風の姿もある。そんな女性たちが銃器を手に撃ちまくるのだが、街のチンピラ程度では適わないほどに練度が高い。何より容赦がなかった。

 弾かれたように倒れたチンピラは、地面の上で苦痛の呻きと共に命乞いをしている。もちろん、ぴくりとも動かず声すらあげない者もいる。それは一方的な攻撃がつくりだす凄惨な光景だ。

 争いと無縁に生きてきた晟生は衝撃的な姿を前に――しかし、何も感じなかった。それどころか、冷徹冷静に状況を把握すると銃弾が飛び交う中を平然と歩きだす。

 周囲が慌てようが気にもせず、這いつくばった穂舟の傍らに立つ。ミニスカートである事は少しも気にせず、買ったばかりの拳銃を突きつける。

「さて、素性を調べてくれてありがとう」

 穂舟は涙と鼻水を流し、恐怖に顔を引きつらせ怯えている。万一の場合も、情報を聞き出すため生かしておいて貰うよう頼んであったのだ。もちろんそんな事は知るよしもなく、穂舟は死への恐怖を間近に感じ、完全に怯えきっている。

「それはそれとして、もう一つ頼んでいた事があったはずだね。それについて教えて貰えるかな」

「な、なにを……」

「自分でも言ってたじゃないか、凄そうな研究してる奴を調べるって。なんだ、まさか調べてなかったとか? それは残念だよ」

「待ってくれ! 調べた、調べたよ。だから命だけは」

「じゃあ話してくれるかな」

 助けると晟生は言わなかったが、穂舟は必死に話しだす。

 ただし情報内容はかなり曖昧なものでしかない。西の方の都市で空間移動に関する研究を行っている者がいるというだけで、場所も内容も相手も分からない。さらにトリィワクスが運搬を依頼された素体コアの素性についても分からずじまいであった。

「なるほど全く調べられなかったと。さては、裏切って仲間を集める方が忙しかったかな?」

「ひっ、どうか命だけは」

 話を聞き終えた晟生が銃口を動かすと、穂舟は顔を青ざめさせがたがた震えた。しかし晟生は静かに財布を取り出す。

「報酬を払っておくよ」

 百円を取り出すと、穂舟から見える位置へと置いた。

「え……なんで?」

 しかし晟生は応えず冷徹な顔で笑ってみせる。

 そこには哀れみがあった蔑みがあった。見下されているのだと気付いた穂舟は恥ずかしさに顔を紅潮させるものの、それでも受け取ってしまう百円を握りしめ悔しさに震えている。

 晟生は鼻で笑うと踵を返し歩きだす。その悠然とした足取りに、トリィワクスのメンバーははべるように付き従う。もちろん筆頭は愛咲たちになる。

 立ち去る仲間に交じりつつ初乃は何度も振り、悔しさと哀しさを滲ませていた。

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