第26話 時をかける少女みたいな男

 晟生せおは豪華な応接室の重厚なテーブルにつき、アイスコーヒーに口をつけていた。シロップを入れずストローを使わないまま飲めば、大半が氷のためすぐに飲み干してしまう。

 一方で三人の少女たちはシロップを入れかき混ぜ、甘さを味わっている。初乃ういのは最後にはガジガジと氷まで噛み砕いてみせ、横の愛咲あさきが恥ずかしそうにするぐらいだ。

「ねえ、晟生ってば凄い人だったわけ?」

「さあ知らないけど」

「ごめん記憶喪失だったんだよね」

「実は記憶喪失でなくて……その件は後で説明するよ」

 扉が開いたため会話を中断させる。現れたのは初老の女性で、きびきびした動きで歩いてくると恭しくも丁寧な仕草で頭を下げてみせた。

「お待たせしております。私は支店長の鳥名とりなでございます。本日はようこそお越し下さり、誠にありがとうございます」

「これはご丁寧に」

「ご説明を致しますので、着座させて頂きます」

 支店長である鳥名が座ると相手が相手だけに、愛咲と彩葉いろはは畏まった態度になる。気軽そうな初乃とは対象的だ。

「まず大変失礼ですが、本当に空知晟生様ご本人でしょうか」

「本人確認はできたと思いますが」

「ええ、確かにそうではありますが。しかし……なにぶんと、お預かり日から随分と日が過ぎておりまして。少々、その点をご確認せねばとおもいまして」

「まあそうでしょうね」

 やはりそうかと晟生は頷いた。自分の味わった驚きを他人も味わったかと思えば苦笑してしまう。

「最後のご利用から二百とんで九年が経過しておりますが間違いないでしょうか」

「「えええっ!!」」

 大声をあげる姉妹の横で、彩葉だけは声をあげず不思議そうな様子のままだ。もちろん驚いている事は間違いなく目を何度も瞬かせているが。

「こちらが書類になります」

 差し出された用紙は古さを感じ黄ばんだものだ。その預かり開始日を見れば、懐かしい年号があった。そこに印刷された直筆の文字は間違いなく自分の書いたものである。遠い時の果てに巡り会った仲間のようで愛おしさすら感じてしまう。

「ところでデータ上では男性となっておられるのですが……」

 鳥名支店長は言いにくそうに言った。

 そして晟生の上から下までをつぶさに眺めている。女性と見紛う容姿に長く艶やかな髪。華奢でほっそりとした体つきに、ミニスカートから伸びる足も色白で産毛すらない。これが男とは信じがたいのだろう。

「もちろん男です。確認させてくれと言われると困りますけど……」

「いえ、失礼いたしました。男性に対しセクハラをする意図は御座いませんので」

 男性が希少なだけに、それに対するセクハラなどは厳しく規制されているらしい。もちろん裏を返せば、それだけセクハラが多いという事なのだろうが。

「しかし口座が残っているとは思いませんでしたよ」

 晟生は軽く世間話をする。それはセクハラと思ってないとアピールするつもりであって、もちろん相手の鳥名も意図に気付き安堵した様子で会話に乗ってくる。

「当行のモットーは、千年先までのお預かりですので。ですが、まさか本当に二百年以上も前の方が現れるとは思っておりませんでしたが。これはもしやコールドスリープが実用化されているといった事なのでしょうか?」

「それが自分でもよく分かっていない状況でして」

「さようで御座いますか、少し安心をいたしました。もし他にも同じような方が多数いらっしゃいましたら、当行としては困った事になりますもので」

「困った事とは?」

 言葉の意味が分からず首を捻る晟生であったが、その答えは愛咲によってもたらされた。

 つんつんと横からつつかれ、用紙の一部を指し示すではないか。

「あの、その、これ……凄いですよ。見て下さい、一十百千万……お金がいっぱいです!?」

 そこに記された数字は、四千万円を越えていた。

 これを今の金銭感覚で換算すれば……四兆円。個人の資産としてはとんでもない額に違いない。

 あの窓口担当が素っ飛んで行ったのは、どうやらこれも原因だろう。それでこうして支店長が出てきて丁寧に対応しているという事だ。

「あれ、預けた時の四倍になってる。二百年の利子で増えたにしては多いような。途中で利息が変動したのかな」

「長い年月でございましたので途中で何度も変化をしております。それで、他にも過去からの継続の口座が多数存在しておりまして……もし同じように長年預けられた方が多数いらっしゃいますと、当行も資金繰りが大変になりそうでして」

「なるほどですね。とりあえず先程言いましたように、状況は分かりません。ですけど、他にそんな感じの人はいませんね」

 晟生が言えば鳥名支店長は安堵したように深く息を吐いてみせた。

「口座は如何なさいますか?」

「現状のままで、今回も確認だけで特に引き出すことはしません」

「承知致しました」

「それで申し訳ないですけど、少し仲間内で話をしたいので……部屋を貸して頂けませんか?」

 なんにせよ記憶喪失としていた事を愛咲たちに説明する必要があった。頷いた鳥名支店長が退出したところで、晟生はまず頭を下げた。謝罪は早いほうがいいのだ。

「すまない。実は記憶喪失というのは嘘で……でも、別に騙すつもりじゃなかった。最初はお話に出てくるような、異世界転移みたいな現象じゃないかと思ってたんだ。艦長からコンテナが二百年間密閉されてたと教えられて」

「えっと、艦内を案内する前の時ですか? おばば様が、晟生さんだけに話をした時の」

「うん。でも、二百年後なんて自分でも信じられなくて、状況も分からなかったからで……」

「もし私が同じようになったら……きっと同じでしょうね。ですから、気になさらずに」

「ありがとう」

 横で残りの二人も同じ事を述べてくれ、それに晟生は頭を下げた。

 VIPルームは広々として、セキュリティの点からか窓がない事を除けば居心地の良い部屋だ。部屋には花が飾られ――こうなってから初めて生の花を見たと気付く――なんとも豪華だ。

 横から初乃が身を乗り出すが、もう記憶喪失と騙した事は少しも気にしてない様子だ。

「ねえ、晟生ってばどうやって二百年の時を越えたの?」

「それが分からない。仕事帰りに意識を失って、気付いたらアマツミカボシを装着した状態でコンテナの中に居た。それ以外の事は全く分からない」

「あっきの支店長が言ったみたいな、コールドスリープとか!?」

「艦長の話だとコンテナ内は極低温だったらしいけど。でも、まだ実現してない技術で冷凍保存は出来ても解凍はできないって言われてたし……」

 異世界転移と似た感じで、時間転移やタイムマシンといった概念はある。どちらも創作上のガジェットに過ぎず、現実逃避をしたい者以外は本気で考えやしないだろう。

 そうした話をぽつぽつと話すと、愛咲が何かに気付いた顔をした。

「もしかしてですが、一瞬でワープを研究してる人を探すように依頼されていましたが、それはもしや元の場所に帰りたいからでしょうか? たとえば時間を飛び越えるとか」

「タイムマシンとかだけどね」

 晟生は静かに言った。

「帰りたいって気持ちはある。いきなり家族と別れたから、寂しいって気持ちぐらいある。それまで何年も会ってなかったってのに、こうなってから会いたいと思うとか変なものだよ」

「そうですか。帰りたいですか……」

「…………」

 寂しげな愛咲の言葉に晟生は考え込んだ。

 帰りたいという気持ちはある。しかし、帰る意味は見いだせない。実家は弟夫婦の天下で入り込む場所はない。友達なんておらず、まして彼女すらいない。職場の連中とも会話はすれど、それ以上に踏み込んだ仲の同僚は皆無。

 いつだって居場所の無さを感じていたが、しかし今のトリィワクスではそうではない。

「ん?」

 服の袖を引かれ晟生は視線を向けた。

 見れば初乃が裾を握りしめている。しかも、声を抑えるように唇を噛みしめ肩を震わせているではないか。その目元にふつふつと透明な涙が湧き上がると、滑らかな頬を転がり落ちていく。

「何? 何で泣いてる?」

「かえっ……うぐっ、えぐっ」

 元々が言葉数の少ない初乃だが、泣いているため上手く言葉にすらない。何度も言いかけては言葉にならず、ようやく絞り出すように声が出た。

「うっ、ううっ、かえ、帰ったら……ぼく嫌だよ!」

「駄目ですよ、晟生さんにだって家族がいるのですから。初乃だって、お婆様やトリィワクスの皆と離れたら辛いでしょ。辛いじゃないですか」

「だからだよ。だから晟生とだって離れたくないんだもん……」

「うん、それは彩葉さんも含めて皆が同じ気持ちだから」

 愛咲が慌てて慰め、さらには彩葉も加わり宥めようとするが、あまり効果はなさそうだ。どうにも慰める側も泣き出しそうな様子があるためだろう。

「まだ帰る方法すら分かってないのに、それで泣かれても。あと仮に方法が分かったとしても帰るつもりはない」

「ほんどぉ!?」

 涙声の初乃が目を輝かせた。

 晟生は頷く。仮に時空を移動できる装置があったとしても、一番の問題はこの姿だ。たとえ両親であっても我が子とは思うまい。何より、今の状況の方がずっといい。

「でも、そうした事を知っておく必要があると思うんだ。だってそうじゃないか、この時代に来た方法も理由も分からないんだ。ある日突然に元の時代に戻ってしまう事もありかねない」

 その途端、愛咲は弾かれたように立ち上がる。

「それはいけません。早く穂舟のところに行きましょう!」

「そうだね! 賛成だよ!」

「うん、そうしよ」

 残りの二人も同じ様子で手を握り決意表明をしていた。

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