第23話 老いてますますご活躍

「……もう一回言っとくれないかね?」

 久杜ひさもり和華代わかよは商工会議所の接客室で眉をひそめた。

 そこは行政区にほど近い区画であり、企業オフィスや上流階級の生活するビルが集まっている。建物や道路、さらにはそこで暮らす人々も小綺麗な格好をしており華やかささえある場所だ。ギンザの街を行政とは別の意味で掌握する商工会議所は、そこにあった。

 和華代がここを訪問した理由は、今回運送を依頼された品の中で、最も重要で貴重な品――即ち神魔装兵の素体コア――の取り扱いについて謝罪するためだ。途中で紛失しかけ、さらには戦闘にまで使用している。運送会社としては失態もいいところの失態だろう。

 しかしだ。

 謝罪の前に素体コアに起きた事情を話をしたところ、相手から予想外の言葉が返ってきたため和華代は耳を疑っているのであった。

「ですから、そのような品の運搬を依頼しておりません。故に当方としては受け取る事も、まして運送費をお支払いする事はできません。まして運送中に起きた事項につきまして、何か言う筋合いはないという事です」

 商工会議所職員である常名つねなは表情を変えず、同じ言葉を繰り返してくれた。和華代の背後に控える副長の沖津に負けず劣らず冷徹な顔つきだ。

「あたしが耄碌して間違えてなければ、確かにナゴヤの商工会議所で依頼されているのだがね。しかも前金まで貰ってだよ。それにほら、これが発注書だよ」

「発注書は本物ですね。なお、ナゴヤ支部と特別回線で確認したところ、あちらの控えには依頼をした記録がないとの事です。つまり、何者かが商工会議所の発注書を使用し名前を語ったかと思われます。この件につきましては、至急調査対応し二度とこのような事がないよう管理体制を万全としていきたいと考えております」

「…………」

 常名の立て板に水のような言葉を聞きつつ、和華代は表情を変えず素早く思考を巡らせた。

 発注書を受け取り素体コアが運び込まれ前金が振り込まれギンザまでの運送を請け負った。これが単なる食料や機材であればまだしも、物が物で貴重な素体コア。依頼人が雲隠れだなどとありえない。

 そうなると――。

 おおよその見当が付いてしまった和華代は、心の中で深々と息を吐いた。

「なるほどね。それで? この宙に浮いちまった品はどうすりゃいいんだい。うちもね、運送依頼品を横領したなんて言われたら立ってられないんだがね」

「今回はそもそもに依頼の記録自体が存在しませんので、そのまま管理されてはどうです? 道義上の問題があるのであれば、ナゴヤ支部に挨拶すれば構いませんでしょう」

「実際上の問題があるだろ。さっきまで積み荷だったものが、いきなりうちの所有物になりました、それじゃあ気持ち悪いんだがね」

 所有物にした品に対し、突然所有物を主張されたとしたらトリィワクスとしては立っていられない。商売とは荒野と同様に生存競争だ。隙を見せぬよう常に警戒しておかねば、あっという間に寝首をかかれてしまうだろう。

 用心深さと慎重さは美徳の時代だ。

「それでしたらギンザ商工会議所の名義で証明書をお出しする事ができます」

「……頼めるかね。では、あれはあたしらが自由にしていいって事だね」

「どうぞ、ご活用下さい。証明書はすぐご用意します」

 常名の指示を受けた職員が退室すると、会話が止まり室内が静まり返る。

 屋外の喧噪が聞こえ、机上の書類を構う僅かな音さえ妙に大きい。随行の者は落ち着かないが、和華代と常名の二人だけは平然としたものだ。むしろ殊更に余裕ぶっている感がある。

「ところで、男性を拾われたそうで」

「随分とまあ耳が早いもんだねぇ。お偉い商工会議所様は、もしやうちみたいな零細企業にまでスパイを送り込んでんのかねぇ?」

「いえいえまさか。零細企業――これは失礼、アットホームな職場にスパイを送り込めるとは思っておりませんよ。そもそも、人手がありませんので」

「おやそうかい。いろいろ大変そうだね」

「苦労してますよ」

 和華代と常名は笑い合うが、その目は全く笑ってない。同行する副長が彫像となって気配を消す中で、二人だけが牽制し合っている。

「どうでしょう。よろしければ、その男性を買い取りますけど?」

「悪いけどね、うちの所属するメンバーなんでね商品扱いってのは失礼じゃないかい?」

「これは失礼致しました」

 常名は申し訳なさそうに頭を下げてみせた。しかし、それは形だけのものでしかない。直ぐに身を乗り出し気味に話を持ちかける。

「それであれば遺伝子提供ぐらいはお願いしたいところですよ。もちろん、上流階級の中から選りすぐりの紹介ですよ。なんでしたらリストアップいたしましょうか」

「残念だがねえ、まずはうちの乗組員が先だね。だがまあ、本人には話があった事は伝えとくよ」

「是非にお願い致しますよ。新しい遺伝子は少しでも多い方が良いですから」

「どこも男日照りだからね。困ったもんだよ」

「私からしますと、お孫さんまでいらっしゃる方の言葉とは思えませんね。男を手に入れるルートでもお持ちですか」

 そのタイミングで先程の職員が戻ってきた。

 立ち上がった和華代は、常名に渡される前の証明書をさっさと取り上げた。そして出口のところで立ち止まり振り向くと、にやりと笑った。それは友好的というより好戦的な種類のものだ。

「簡単だよ。死んだ娘が魅力的だったのさ」


◆◆◆


 商工会議所を後ろに通りを歩きだす。

 辺りは上流階級が暮らす生活環境の良い区画という事で小綺麗な家々が並ぶ。そこには青々とした芝生や花の咲く花壇といったものまである。警備員に守られた庭で遊ぶ子供は上品で洒落た服に身を包み、何の苦労も心配もなさげな顔で笑っている。

 一瞥した和華代は口元を歪め笑った。

「砂上の楼閣で楽しそうなこったね」

 聞きとがめた警備員がじろりと睨むが、それより遙かに迫力ある目に睨み返された事で、急に警備員の本質を思い出したらしい。邸宅警護に専念しだした。

 随行の副長の沖津は苦笑しながら横にならぶ。

 交渉の間、ずっと黙って聞いていただけに言いたい事が幾つかあるらしい。

「素体コアの一件ですが、どういった事でしょう。もちろん素体コアが手に入った事は喜ぶべきとは思いますが、話が美味しすぎて気味が悪い気がします」

「はっ、そりゃ簡単な事さね」

 和華代は苦笑と呆れの混じった顔で空を見上げた。

「どうやら商工会議所の連中は、あの素体コアをうちに押しつけたいらしい」

「押しつける? 素体コアをですか」

「考えてもみな。あの商工会議所の連中が発注ミスすると思うかい。仮にあったとしてもだよ、宙に浮いた積み荷があれば即座に持って行くに決まってるさ。まして素体コアだ、どんな理由を付けたって押さえるだろうさね」

「確かに。普通はそうするのが当然と思います」

「それをしない上に、ご親切に証明書まで発行する? はんっ、至れり尽くせりじゃないか」

 徐々に察してきた沖津は何度か頷いた。

「なるほど。そうなると商工会議所が何かを企み、トリィワクスを巻き込んでいると?」

「だろうねぇ。素体コアが報酬代わりって事だね」

「あれが報酬で、しかも前払い。報酬が破格なだけに厄介そうですね」

「そりゃ分からんね。とりあえず、ナゴヤに行けって指示だろ」

「指示?」

 沖津は物事の処理能力はあるものの、思考に幅がなく言外の意をくみ取れない欠点がある。そのため杓子定規になりがちなのだ。

「ナゴヤ支部に挨拶って言ってただろ。ありゃ、そういう意味だよ。しかし行くなら、道中も目的地も充分に警戒しなきゃならんね。今から気が重いよ」

「……いっそ素体コアを返してしまうってのはどうでしょう」

「無理さね、受け取る気がない」

 そのために相手は証明書まで用意しているのだ。

 ここで話を戻したところで、商工会議所から睨まれ密かなペナルティが課せられるだけ。たとえば荷の揚げ下ろしに余計な手間がかかったりとかだ。そうなるとトリィワクスは経済的に打撃を受ける。一方的かつ理不尽な事だが、その報酬は魅力的だ。

「何かは分からんけどね、ここは大人しく従うのが得策さ。うちに求められるとしたら戦力ってとこかだろね。そうなると回収したセクメトの売却はストップしとくかい」

 その言葉に沖津は悲鳴のような声を上げた。

「まっ、それは困ります。一部を修理に回し内装も弄る予定があります! そもそも、まだ乗れる人間が居るかも不明ではありませんか。あれカルマが高めのため、選定は難航すると思われます」

「一人ぐらいは居るかもしれないだろ。居なけりゃ適合者を探して雇うさ」

「そう都合よく行くとは思いませんが」

 ぶつくさ言われながら和華代は別の事を考えている。

 それは、あの晟生という男のことだ。ひょっとして商工会議所が素体コアと一緒に送り込んだのではないかと思えたのだ。しかし――。

「どうも違うようだね」

 あの常名には、そうした雰囲気がなかった。言葉の端にそれとなく匂わせる様子すらなかった。そうなると全く無関係という事だろう。少なくとも商工会議所とはだが。

「どうされました?」

「いや、別にね。よく分からんと思っただけさね。それよりあれだよ、あれ。自動調理機の修理。あれだけは最優先でやっておくんだよ」

 歩きだす和華代の姿は年寄りとは思えぬ勢いと力があった。

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