第15話 神威ふたたび
晟生は通路に座り込んでいた。
艦橋の扉に激突すると一歩遅れて扉が開き、そのまま転がり出てしまったのだ。床から見上げる前で扉が閉まった光景は、まるで摘まみ出された気分であった。
周囲では警報と警告が鳴り響き、僅かに漂う焦げ臭さ。幾つかの叫ぶ声は、内容こそ聞き取れぬが切羽詰まったものを感じる。
「…………」
床に手を突き立ち上がる。
艦橋に通じる扉を見やるが、そこに戻った所で手持ち無沙汰であるし、何もする事がない。忙しい周囲の中で息を殺し肩身の狭い思いをしながら孤独を味わうだけだ。そうかといって、このまま廊下に佇んではいられない。所在ない姿を誰かに見られるのは、ささやかなプライドが許さない。
自分用に与えられた部屋に引っ込む事が一番良いのだろうが、生憎とその場所が分からない。あてもなく歩きだしかけ、ふと思いつく。
「そうだ初乃だよ」
こちらを構おうと一生懸命だったのだ。きっと何かの役割を――または居場所を――与えてくれるかもしれない。あんな子供に縋ろうとする自分を情けないと思いつつ、それでも歩きだす。
「確かこっちだったはず」
艦は細かく振動し時には激しく揺れる。
壁に縋りながら進むと焦げ臭さが強まり、通路は少しばかり煙ってさえ見える。ハンカチの代わりに服の袖で口元を覆い、身を屈め移動していく。
向かう先は食堂。
艦橋まで案内してくれた初乃は食堂に戻ると言っていたのだ。
一度しか通っていない通路。しかも照明の色や雰囲気が激変した状況だ。迷い躊躇しながら進むため辿り着くまで時間がかかってしまう。ようやく到着し中に入ったものの、そこが本当に食堂だろうかと少し悩んでしまった。
なぜならば、固定式の机や椅子が並ぶ間には何人もの負傷者が横たえられていたのだ。
様子からして、到底生きてはいまいと思える者もいた。動ける者が救護活動に励み、血臭と薬品臭が鼻を突く。
「うっ……」
予想外の凄惨な光景に圧倒され、晟生は浅く短い呼吸を繰り返した。こんな状況で平然としていられるほど神経は太くない。大量の血と死にかけた者を見て硬直してしまう。異世界転生だ転移だと浮かれていた気分に、さらなる冷や水を浴びせられた気分だ。
「晟生!?」
初乃の声で我に返った。
救護をしていた者たちの中から小柄な少女が駆け寄って来る。制服の上着には血が付着し、ミディアムショートの髪の下で表情は陰り憔悴した雰囲気だ。それでも初乃自身は無事な様子で、目を大きく見開き見つめて来る。
「どうしてここに? もしかして艦橋で何かあった!?」
「違うそうじゃない」
事情を説明したくなかった晟生は言葉を重ねる。
「それよりこれは……」
「結構やられちゃったからね。あっ、でもぼくは大丈夫だよ。消火活動とかして怪我した人を運んでただけだから。とにかくさ、出来る事をしなきゃ駄目だもんね」
「そうか……」
初乃の分担する役割は知らないが、トリィワクスの危機という事で率先して動き活動をしている。この状況下で精一杯自分の出来る事を見つけ活動をしていたという事だ。
顧みるに自分はどうだろうか。
晟生は自問した。
居場所がないと嘆くばかりで、何もしない。あげくには初乃に縋ろうと逃げ出してきた。どうして艦橋で自分に出来る事がないか探さなかったのか。問いかければ艦長の和華代は何か指示をくれたかもしれない。途中だって、煙を感じたのであれば消火活動ぐらいできなかっただろうか。
文句や不満を言うばかりで自分からは何もせず、他人に与えられる事やして貰う事ばかり待っていた。それは――これまでの人生も同じだったのか。
居場所は与えられるのではなく、勝ち取るものだったのかもしれない。
「どうしたの?」
今ここで自分に出来る事は何だろうか、何が出来るだろうか。
――そうか!
揺れる部屋の中に悲鳴が満ち、晟生は目に力を込めた。それは目的を持った者の眼差しである。少女の両肩を掴み決意と共に力強く頼み込む。
「初乃、すまないけど案内して欲しいんだ。格納庫まで」
◆◆◆
整備担当者たちは艦内の被害復旧に奔走しているらしく格納庫は無人であった。
赤い警告灯が回転する下を走り、固定の甘かった資材が散乱する中をすりぬけ、素体コアたちが出撃し空になったハンガーの前を通り過ぎる。
そして純白の素体コアの前で立ち止まった。
「…………」
名匠の手による芸術品のように白く美しい素体コアは、着装する者を待つ鎧のように佇む。
荒野でヒドラとゴルゴーンを倒したように、これこそが状況を打破できる唯一の力を持った存在。そして、それを引き出せるのは晟生だけである。トリィワクスの所有物でないそうだが、そんな事は関係ない。
格納庫に激しい音が響きトリィワクスが大きく揺れた。
「わわっ!」
バランスを崩しかけた初乃を腕に抱き留めてやった。
今ので被害が出たらしく、その状況を告げる早口の艦内放送が響いている。かなり切羽詰まった様子であり、一部区画からの待避指示もあった。状況は悪くなる一方のようだ。
「ここまで案内してくれて、ありがとう。後はこれでなんとかしてみる」
「でも本当に無理したら駄目だからね!」
「今無理をしないで、いつするんだ。大丈夫だ、初乃を護るために頑張ってみせるよ」
「あっ……」
気取った台詞でウインクをしてみせると、初乃がしばし惚けた顔になった。男が希少な世界でそんな事をすれば相手に与える効果が如何ほどなのか、少しも気付かぬ晟生である。
そのままタラップを昇り素体コアへと近づいた。
着装自体は初めてであったが、純白の素体コアの表面に薄く線が入り、まるでたった今生じたように繋ぎ目が現れた。装甲の一部が開き歓迎するように内部がさらけ出された。
まるで晟生が来る事を待ち構えていたようにさえ思える。
「よしっ!」
晟生は気合いと共に、滑り込むように乗り込んだ。手足を所定の位置に合わせるなり、装甲が閉じる。僅かな圧迫を感じた後に、一体化したように何の違和感も感じなくなる。
既に素体コアは活動状態になっており、網膜に様々な数値パラメーター、起動プロセスが表示され赤かった項目が緑に変じていった。
「やっぱりアニメみたいな世界だな」
ハンガーの前に初乃が姿が確認できる。不安と期待と、そして憧れ縋るような表情に見えた。先程は気取って護ると言ってみせたが、今は本当にそうしたい気分だ。
「よし、やるか」
晟生の決意に素体コアが応え、ハンガーのロックが解除される。格納庫を移動し、大きく開かれた出撃用ハッチに達するとしばし止まる。それは、外を勢いよく流れゆく地面といった光景に少し恐怖したからだ。
まるで走行中の車から飛び降りるようで、前に進むには勇気が要る。しかし躊躇ってはいられない状況だ。
「よし行くぞっ!」
金属の床を蹴って外に飛翔すれば、素体コアは風に煽られ激しく揺れる。だが、そのまま浮遊状態となって飛行する。歩行時に身体の動きを意識せぬように、飛行時も上昇下降から旋回まで思うがままだ。吹き寄せる風が顔に辛いと思えば、即座に透明なバイザーで保護される。
景色が凄かった。
空は抜けるような青で、荒野は広々として遠くに山並みが見える。鮮明な色合いは清々しさを感じる程だ。そんな中で神話の如き戦いが行われている。
不思議な光景ではあるが、トリィワクスは艦の横が大きく損傷し煙が上がっていた。まずは、これを助けねばならない。
「確か前は……」
素体コアから神魔装兵へと移行するにはどうするのか、前回は理不尽な状況に怒りを覚え感情が極まった瞬間に意識が白く染まったのである。しかし今回は――。
「皆を護りたい自分を護りたい。それで自分の居るべき場所をつくりたい。だから力が欲しい。誰より何より自分のために力が欲しいんだ」
この素体コアの持つ力は、上辺だけを取り繕った心では応えてくれないと何故か分かる。嘘偽りのない感情にこそ反応し、その力を生じさせてくれう存在なのだ。
そして……まるで誰かがそっと差し込むように、白く力強い姿が脳裏に思い浮かぶ。さらに我知らず言葉が口をつく。
「アマツミカボシ……?」
まつろわぬ星の神にして明けの明星。強圧に抵抗し勝利する唯一の存在。そんな情報と共に膨大な力が晟生の中に流れ込む。あっという間に、矮小な人間という枠は満たされ収まらなくなる。だからこそ形を作らねばならない、この力に耐えられ収められる肉体を力そのものを使用して。
瞬間、意識が切り替わる。
晟生はアマツミカボシとして顕現した。己の目で青い空を眺め、荒野を両足で踏みしめた。そして鋭敏化した感覚は迫り来る敵を捉えてもいる。
だが、それは神ではない。
神は存在せず目に見えぬからこそ神であり、地上に現れたそれは具現化した力そのものだ。
「…………」
故にスケルトンの振り下ろした円月刀の刃を手の平で止める。
通常であれば、回避行動が先に立つところであったが、なぜか手で止めれば充分だと思えた。自分の思考なのかアマツミカボシの思考なのか、それとも両方が混ざっているのか分からない。
出来ると思ったから、それをした。
ただそれだけだ。
しかし刃を止められたスケルトンは驚愕し動きを止めている。
アマツミカボシと化した晟生は刃ごと相手を引き寄せ、力強く拳を握ると、スケルトンめがけ鋭い一撃を放った。それだけで骨の破片がバラバラに飛び散る。身体を砕かれた頭部が落ちて地面に転がった。
造作ない事だ。
視線を転じグリフィンに目を向ける。自分の獲物であるラミアに夢中となって、こちらには無防備な背中を晒していた。晟生は軽く鼻で笑うと、奪い取った円月刀を投擲。それは易々と鷲の頭を貫く。びくんと背筋を伸ばしたグリフィンは硬直し、地響きを立て地面に横倒しとなった。
消えゆく身体の下から彩葉=ラミアが手を突き這いだすが、重量感ある胸は下向きに揺れている。扇情的な光景に目もくれず、晟生=アマツミカボシの意識は離れた場所で苦戦する仲間へと向けられていた。
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