第6話 珠のお肌に磨きをかけて
広々とした浴場だ。
黒大理石調の壁や床に蒸気が付着し、防水性ライトが滲むような光を放つ。洗い場には固定式の椅子が幾つも並び、風呂桶はなく鏡とシャワーの設備があるのみだ。艦の内部にあるにしては、意外な設備であった。
「広いな」
まるでホテルや旅館で、大浴場を独り占めできたような気分になる。百円という大金を払ったからこそ味わえる醍醐味なのだろう。
やはり風呂というものは特別だ。
気分を開放的にしてくれて、嫌な事を忘れさせてくれる。
「……さて」
身体の確認をせねばならない。手鏡で容姿などの外観は確認できたものの、細かい部分や服を脱いだ状態は見ていないのだ。着替える際に少し見たが、それはそれだ。
変化は顔や髪だけでなく、身体全体にあった。
「うわっ、これはマズイ。なんだよ、これは」
思春期直前ぐらいの少年そのものの、ほっそりした中性的な体つき。股間にあるモノは大人だが、それを隠してしまえば女の子でも充分に通じてしまう。
それぐらいに華奢で、容姿は完全に女の子だ。試しに足の間に挟んで微笑んでみれば……。
「やばいな」
自分だと分かっても、どきどきしてしまう。それは、足の間に挟んでいられなくなった事でも証明された。次に、そっと胸や腹に手をやってみる。
「凄い手触り」
しっとり柔らかで吸い付くような肌は産毛すら感じない。そのまま触り続けたくなる感触だ。
しばし時を忘れ、女の子にして貰いたいポーズをしていたが――ややあって我に返った。自分は何をしていたのかと自己嫌悪に陥ってしまう。
「いやいや待て。こんな事をやってる場合じゃないだろ。問題はどうしてこうなったかだよ、元の痕跡がないじゃないか。ここも、そこも、これも」
独り言は恥ずかしさの発露でもあった。
顎に手をやり悩んでみると、もちろん鏡の中の自分も同じポーズをしている。やはり、どう見ても美少女。もし元の生活でこんな事をしたら即座に男どもが集まってくるに違いない。それぐらい可愛いくて、つい見とれてしまう。
「だーかーら、それはいいとして。問題は、何がどうなってこうなったかだ……うん?」
自分にツッコミを入れていた晟生であったが、更衣室に人の気配を感じた。
ドアの開閉する音に足音、賑やかしい笑い声と話し声。それも一人や二人ではない。もっと多くの、この洗い場に幾つも並ぶ席に相応しい数だ。
「ちょっ! 貸し切りじゃなかったの?」
しかも聞こえてくる声は女性たちのものである。もちろん今の晟生の姿では、相手が男性であれば、それはそれでマズいかも知れないが。とにかく女性たちが入って来ようとしている。
「なんでだ」
動揺する晟生であったが、そこで気付く。
自分が女の子にしか見えない姿だという事を。
一度も自分が男と説明していないという事を。
和華代から御令嬢扱いされていたという事を。
――やばい。
間違いなくトリィワクスの皆は晟生を女の子と思い込んでいる。だから何も気にせず入浴しようとしているのだ。このまま裸同士で遭遇してしまえばどうなるのか……それは考えるまでもない。
女湯に忍び込んだ痴漢として、この艦から放り出されるだろう。
「どうすれば……逃げる場所は……」
焦るあまり思考は空回りする。
左右を見回すが、隠れる場所も逃げ込める場所も、身体を隠せる場所も物もない。そして出入り口は脱衣所に通じるドアのみだ。これをピンチと言わずして、何を言わんや。
「晟生ー、ぼくが洗ったげるから待っててね」
「こら初乃。走っては駄目です、また転びますよ」
「はいはいー」
迫る
「ひいっ!」
晟生は悲鳴をあげ浴槽の中に飛び込んだ。水音があがるのと同時に浴室のドアが開き初乃が入ってくる。それは、まさに間一髪のタイミング。もちろん少しも救われていないのだが。
「うわっ、豪快に飛び込んだね。晟生もまだまだ子供だねー」
「そんな事を言ってますけど、初乃だって少し前までやっていましたよね」
「最近はやってないもん」
「はいはい、ここ一ヶ月はですよね」
波打つ湯の中で、晟生は入って来た愛咲と初乃の姿を見た。
男女は骨格からして違うと良く分かる。二人とも女の子らしい丸みを帯びた身体つきだが、特に愛咲は大きく育った胸が凄い。そして、お臍から下で優美な曲線で現された股の間には、薄い茂みが見えるのみ。
さらには、他の女性たちもぞろぞろと入って来た。
当然だが全員が裸だ。肌色というものにも様々な種類があり、胸の大小など身体各部の肉付き具合や形状は諸々に個体差があると晟生はよく理解した。
大浴場の中は女性たちの声で賑やかしくも華やかしくなる。
これが悲鳴に変わらぬようにと願うばかりだ。一番の対応は浴場から脱出する事だが、身体の一部が立っていては、もはや湯から立つ事もできやしない。
「うひいいっ……」
晟生は小さく悲鳴を上げ、湯の中で浴槽の一番端まで待避した。もちろん女性たちと反対の方向になる。そして耳の下ぎりぎりまで湯に沈み込むと、存在を消すべく小さくなった。
しかし全ては無駄だ。
「晟生ってばさ、そんな場所で小さくなってどうしちゃったの?」
心配した初乃が善意百パーセントで近寄ってきた。
「もしかして、何か気分でも悪いとか」
「大丈夫だ、放っておいてくれ」
「そうもいかないよ」
ザブザブと湯の中を初乃が近づく。黒大理石調の壁面にぼんやりと姿が反射して見えるが、すぐ真後ろに立ち両手を腰に当てているではないか。
「髪の毛が砂埃で汚れたんでしょ。ほらさ髪を洗ったげるよ。髪の中に砂が入るとねー、痛んじゃうからね。なかなか取れなくって大変だよね」
「それはいいから、本当にいいから」
「いーからいーから遠慮しないでよ。いよっし、ぼくに任せてよ」
言って初乃は晟生を後ろから羽交い締めにした。
羽交い締めである。背中に肌が完全に密着しており、それなりに柔らかな感触を感じる。小柄で幼めと言えど、初乃だって女の子なのだ。
「待て、待て待て待て待て! 放してくれ、これはマズイから」
「遠慮しないの。大丈夫、ぼく洗うの慣れてるからさ」
初乃は背中に密着し、前に手をやり抱き締めてくる。同性同士のつもりによる気安さなのか、ふざけてじゃれ合うような無警戒さだ。
――完全にやばい。
晟生は切羽詰まった。思考に余裕がなくなり、頭の中ではやばいという文字がエマージェンシーコールのように点滅する。だが、どうする事も出来ず引きずられていくしかない。
そんな様子を周囲は気にした様子もなく過ごしていた。
ごく当たり前の出来事、普通に起きているじゃれ合い程度に捉えている。また初乃が何かやっているぐらいに笑っていた彼女たちであったが――それも変わった。
湯から引き上げられた晟生の姿に、ある者は微笑ましげな笑顔を硬直させた。ある者は二度見をした。ある者は石鹸を取り落とした。
目を瞬かせ、目を見開き、目を細め、そして凝視する。
気付けば大浴場の中は静まり返っていました。
「あれ、皆さんどうしました?」
愛咲は晟生の髪を洗うため洗い場で膝を突き、準備をしていたのだが辺りの様子に気付き不思議そうに振り向く。そしてシャワーヘッドを取り落としてしまった。
初めて見るそれに目をまん丸として、それと晟生の顔とを交互に見比べる。
「あれ、愛咲姉ってばどうしたのさ」
ようやく周囲の雰囲気に気付いたのか、初乃は不思議そうな声をあげた。
抱きついていた晟生の背後から顔を出すと、周囲と何より姉の様子に訝しがる。そして全ての視線を辿っていき下を覗き込めば、見慣れぬものに気付いてしまう。
もちろん初乃は好奇心旺盛だ。
「なにこれ?」
「ちょっ止めっ、触るなっ! 握っ――あふんっ!」
悲鳴をあげた晟生は強い刺激に出てはいけないものが出てしまう。もちろん、すぐ前には愛咲の顔があったのだが。
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