第1章
第4話 異世界転生
かつて世界を二分する大戦があった。自国第一主義を掲げる二大国が、それぞれの衛星国を従え世界の覇権を激しく争ったのだ。その戦いがどれだけ続き、どうやって終了したのか。勝利した側がどちらであったのか誰も明確には知らない。
けれど、今では世界の大半は荒野へと変わってしまい、過去に栄えた文明は遠い過去のもの。生き残った人々は残された遺産を使い、新たに構築された秩序の下で暮らしている。
「ってのが歴史なんだけどね。何か思い出したかい?」
そう告げたのは老婆であった。
軍艦――ヒサモリ運送会社の所有する強襲揚陸艦トリィワクスの艦長である、
年齢は七十か八十ほど。ただし皺のある顔には活気があり、年老いたという表現は少しも似合わない。長い白髪を後頭部で縛り、男物の軍服を粋に着こなしている。そこに居るだけで周囲に活気を与えるような雰囲気だ。
停船したトリィワクスに素体コアごと回収された
ヴァルキュリアの素体コアを除装して走って来た愛咲が文句を言ってくれたものの、副長を名乗る女性が問答無用で命令をしては、どうにもならなかった。そして、この来客用の部屋に連れてこられたというわけだ。
武装した乗組員が壁際に待機し、晟生が妙な真似をしないか警戒にあたっている。輸送中のコンテナ内から素体コアを持ち出した正体不明の人物なのだから、こうした処遇は当然というものだろう。愛咲のようなお人好しばかりではないという事だ。
「いえ特には――」
「艦長は甘すぎます!」
同席する女性が晟生の言葉を遮り鋭い声で言った。痩せ気味の体躯に銀縁眼鏡、黒味を帯びた軍服。どこか神経質そうな印象で実際に口喧しい。彼女が晟生を拘束するように主張した副長なので、少しばかり恨めしく思ってしまうぐらいは許されるだろう。
「あんな荒野で一人で居るなど不審ではありませんか。記憶喪失なんて嘘で、どこか敵対組織の送り込んだスパイに違いありません。即刻、放り出しておくべきです」
「
「だったら――」
「しかし戦闘で素体コアを使いこなし、
目の前で繰り広げられる口論を聞きつつ、晟生は室内に目をやった。
明るい調光に満たされた白い部屋には、固定されたテーブルを挟んで椅子が並ぶ。窓のない壁には天井付近に空調ダクトがあるのみで、そこから微かなオゾン臭が漂っていた。
「ま、そういう事だ。このお嬢さんを艦に置くぐらい、構いやしないだろ」
「彼女を雇う気ですか。幾ら何でもそれは危機管理がなっていないのでは!?」
「こんな可愛い、お嬢さんが悪い人間って事はないさね」
「確かに髪艶や肌をみれば、どこぞの御令嬢かもしれませんよ。しかし、絶対に訳ありですよ」
おかしい。
交わされる言葉に出てくる代名詞は女性を指すものばかりだ。しかも、その時に間違いなく晟生を見やっている。
「あのー、すいません。その話に出てくるのは、俺の事でしょうかね?」
「聞きましたか艦長。この娘は、自分の事が話されているとさえ分かってないようですよ。このような者を置くなど断固反対です」
「ちょ、ちょっと待って下さい! いや本当に待って下さい……ちょっと拘束を解いて貰えますか。確認したい事があるので」
「あいよ、解いてやんな」
その頼みに応じ艦長の和華代が軽く顎で示せば、沖津副長はぶつぶつ小声で文句を言いながら拘束を解いてくれた。晟生は後ろで拘束されていた手を前に――。
「ほわっ!?」
自分の手ではなかった。
優しく柔らかな指で細く長めで肌もしっとりしたもの。まるで女性のような見覚えのない手だ。けれども握り開きを繰り返せば、間違いなく自分が思う通りに動く。
服を見れば白のワイシャツと思っていたのは、膝丈まである白いシャツだ。
「なに、これ……」
呆然として頭を振ったところで新たな異変に気付いた。
何かが視界の端で動くのだ。
自分動きに合わせ何かが動いている。恐る恐る手をやってみると、それは長い髪の毛であった。心霊現象のような現象にぞっとして思わず悲鳴をあげ、引き剥がそうとすると思いっきり痛かった。
「ぎゃあああああっ! いだだだっ! えっ、これ自分の? なんで、こんなに髪が長いんだ。鏡、鏡は!? 誰か鏡を貸して貰えますか!?」
「あ、ああっ。これを使いなさい」
副長の沖津はのけぞった様子であったが、ポケットから手鏡を取り出すと恐る恐る差し出した。さすがに悲鳴をあげ、髪を引っ張り騒ぎだした者に得体の知れぬ恐怖を感じているらしい。
危ない人と思われているとも知らず、受け取った晟生は中を覗き込む。
「…………」
女の子がいる。
長い髪を手に掴み驚愕し動揺した様子の女の子だ。それが自分に向けた手鏡に映ってさえいなければ、さぞかし美少女だと感心し見とれたに違いない。
笑ってみせ、眉を寄せ、怒ってみせ……それが自分だと理解すると晟生の顔から血の気が引いた。
「おい嘘だろ……なんなんだこれはっ。まるで女……いや大丈夫だよな」
もちろん股間には慣れ親しんだ感触があるため男である事は間違いない。安堵できる要素はそこだけで、後はどうにもならない。ついには立つ力さえ失い、へなへなと床に座り込んでしまった。
自分の身に何が起きているのか分からない。
異世界転移だと思っていたが、姿まで変わってしまったのなら異世界転生なのだろうか。この場合は生まれ変わりではなく、環境や生活と合わせ姿形がが完全に変わってしまう意味でだが。
平凡な冴えない姿から美少女と見紛う華麗な姿になれたのであれば、それは喜ぶべきかもしれない。しかし晟生は、以前の自分の姿が嫌いではなかった。
「嘘だろ、これ。元の世界に戻っても誰にも気付いて貰えないだろ……」
のの字を床に書きだす晟生の姿に、トリィワクスの面々は顔を見合わせ不気味そうな様子だ。それらの視線はやがて一カ所にむけられていき、艦長の和華代は仕方なさそうに息を吐いた。
「しょうがないね、あんた大丈夫なのかい? なんだったら救護室に連れて行くけど」
「あ、いえ。大丈夫です」
床から見上げながら晟生は言った。
ショックの連続で呆然としているが、あまりにも度合いが大きすぎて逆に冷静になってきている。椅子に縋り付きながら、何とか立ち上がると持ち直した。
「すいません。少し驚き過ぎました」
「少し……ね。記憶喪失ってのは、自分の姿も忘れちまうのかい」
「どうやら、そうみたいですね」
「それはそれとしてだ。行くあてがないってなら、とりあえずこの艦に置いておくのは構わないよ。神魔装兵を扱う才能があるってのは貴重ってもんだ。沖津も構わんだろ」
最後に問われた沖津だが、まだ引き気味ながら頷いた。気付いた晟生が手鏡を返すと、完全に不審者を見る目つきで受け取り少し身を退くぐらいだ。それは他の乗組員も同様である。
どうにも立場が悪い。
今の驚愕は失敗であった。せめて事前に気付けていたら良かったのだが、全くの不意打ちであった。素体コアを着装した状態では自分の姿など確認できなかったし、除装する途中から拘束されたのだから気付く機会は全くなかったのだ。
「まあ、そうと決まったら愛咲を呼んでやりな。どうせ廊下でやきもきしながら待ってるに違いないさね」
和華代が優しげに笑い指示をする。そして部屋のドアが開かれ、そこから顔を出した警備の乗組員が合図をすると愛咲が小走りで入って来た。晟生を見るなり安心した様子で、どうやら心配していてくれたようだ。
ようやく味方が得られた気分で晟生は安堵した。
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