第2話 青の女神

 それを眺める晟生は思わず叫んだ。

「危ない、後ろ!」

 双頭の蛇の長い尾の先には、やはり同じ蛇の頭が生えていたのだ。そろりと青鎧の女の背後からは忍び寄るが、その大きく開かれた口の牙には毒液のような涎が垂れている。

 声が聞こえたのか、彼女は鋭く振り向いた。襲い来る牙い気付くなり回避するが、無理な体勢からの行動で数歩よろめき体勢を崩す。スカートを割って白い太ももが露わになるほど身を屈めてしまう。

 その地響きが轟き砂煙があがる様は、大迫力以外に表現しようがない。

 頭と尾による双頭に戻った大蛇は好機と見て襲いかかり――しかし、そこで銀閃が煌めいた。

 青鎧の女は身を捻りながら跳ねあがり、手にしていた槍を鋭く振るったのだ。それは舞うように美しい動きであった。ただの一撃で二つの蛇頭が切り離され、軽く宙に持ち上がった後に落下。地面の上で数度跳ね、そして崩れるように消えていく。

 それでも――無頭となった蛇は胴体だけで這い、逃げ去った。

 槍を構えた青鎧の女は勝利を誇るでもなく、悠然と荒野の中に佇んでいる。

「なんだこれ。どうなっているんだ……」

 晟生は呆然としたまま呟くしかない。

 全くもって、何がどうなっているのか分からなかった。

 それこそ支離滅裂な夢のようだ。

 ベタな手であるが頬をつねってみれば痛みを感じる。どうやら夢でない事は確かなようだ。しかし、まだ夢ではないかと疑いたくなる存在――青鎧の女が近寄って来た。これまでに比べ足音が小さいのは、ゆっくりと歩いてくるからだろう。

 少し手前で立ち止まった彼女が日射しを遮る。

 その姿は巨大で、晟生の視点が彼女の太もも辺り。およそ三倍近い身長差があるだろうか。下から見上げれば、ぐっとして盛り上がった胸部装甲が大迫力ですらあった。その上から整った顔立ちの、三つある眼がじっと見つめてくる。

「先程は助言ありがとうございます。お陰で助かりました」

 女は口を動かさぬまま言った。

 だがそれは、若く幼さすら感じる声だ。思わぬギャップに晟生が戸惑っていると、巨大な姿が光の粒子となって消え去る。後に残されるのは――強化外骨格を着用した少女だ。

 青い瞳の優しそうな顔立ちは十代半ば過ぎに見える。頭部装甲のヘッドギアから金色をした長い髪がサラサラと流れる。胴体装甲は少女の体つきをしっかり再現し、胸は大きく腰はくびれる。背面には翼状ユニット、膝にはボックス状の外装。手にはランスのような武装。

「は?」

 目を瞬かせる晟生の前へと、その少女は滑らかな動きで近づいた。手が届かぬ程の距離で止まり見つめて来る。膨らんだ胸部の装甲には小さく『IMS-09』と記されている。気付いたのは、そこに目が行っていたからだが。

 少女はふわりと笑うが、その様子は優美で上品さを感じる。

「ところで、貴方はどうして、そこに居るのです?」

 素晴らしく当然の質問だ。しかし、突然の出来事に晟生は戸惑いながら少女を見つめるしかなかった。まったく理解が追いつかないでいるのだ。

 しかし少女は強化外骨格でぺこりとお辞儀をする。

「私は愛咲あさきと言います。ヒサモリ運送会社所属の、久杜ひさもり愛咲です」

「あっ……空知そらち晟生せおです」

「晟生さんですか、どうぞよろしく」

「こちらこそ」

 殆ど条件反射的に挨拶を返し、ようやく我に返ってきた晟生は思考を巡らせていく。

 それは、これからどうするかという事だ。

 周りは明らかに知らない場所。右も左も分からぬ状況。先程の双頭の大蛇のような存在がいる。闇雲に動くのはどう考えても下策。この熱さを感じる環境下では、下手に動けばじきに動けなくなるだろう。

 であるならば――今ここで巡り会った愛咲と名乗った少女を見やる。

 澄んだ湖水のような瞳は理知的で、目つきにも口元にも柔和なものがある。好意と気遣いが見られ、間違いなく信用して良い人物だと判断出来た。

「すまないですけど、ここはどこです?」

「ええっと、分からないですか。そうですか」

 戸惑った様子を見せる愛咲の口調は人の良さを感じるものだ。

「ですが、すみません。実は私も移動の途中でして、この辺りの事は詳しくなくって」

 申し訳なさそうに頭を下げる様子には、晟生の方が罪悪感を覚えてしまうぐらいだ。

 急いで手を――マニピュレーターではあるが――振り、気にしてない事をアピールしつつ、先程からどうしても気になっていた事に話題を変える。

「それは別に構わないですけど。それより……さっきの巨人の事なんだけど……」

「巨人ですか?」

「そう、青い鎧を着た女の巨人。それが消えて、どうして君が現れるわけ?」

 晟生の問いに対する愛咲の反応は珍妙なものとなる。

 ネコを見てどんな生き物か尋ねられたような様子で、つまりは誰もが知る常識を改めて尋ねられたような反応だ。瞬きを数度繰り返している。

「えっとですね」

 辛うじて声を出してくれるが、今度は可愛らしい眉を寄せ困った様子だ。

「もしかして神魔装兵の事を知らないですか?」

「なに?」

「本当に知らなさそうですね。それでしたら、ご説明しましょう。神魔装兵というものは――」

 愛咲は微笑むと、えっへんと意外に茶目っ気のある声を出してみせ説明をはじめた。

 神魔装兵とは人の生み出した最終兵器。第三種相転移によって人型から神型へと姿を変え、科学の力によって神話を再現させる最強にして強大なる存在。

「――なのです。お婆様ばばさまが言っていた内容そのままですけど」

「じゃあ、あの青い鎧の女性は……」

「ずうっと大昔の女神様で、ヴァルキュリアという名前です」

「北欧神話で、戦いの女神で死者を選ぶ死の精霊だったかな」

 晟生が呟くと愛咲はその知識に感心した様子だ。もっとも、それはゲームから得た程度の知識でそれ以上は何も知らなかったが。

「この装備が素体となるコアなのです。もちろん晟生さんが着装している、それもですが」

「これも……?」

 晟生は驚いて自分の身体を見回した。ただの強化外骨格だけでも凄いと思っていたが、どうやらさらに凄く、愛咲のように神話の存在を再現できるらしい。それが何かは全く分からぬが。

「もしかして、知らずに着装したという事でしょうか?」

「着装……着て装備したという事? 分からない。気がついたら装備していて、そこにある箱の中に閉じ込められていたんだ。それで出て来たわけ」

「そうですか。うーん……」

 愛咲は指先で頬を叩き、形の良い眉を寄せた。

「実はそこにある箱なんですけど、私たちの捜していた物なのです。運んでる途中で嵐に遭遇して紛失してしまいまして。もちろん普段は、そんな事はないのですが……」

 何か言いたげに視線を向けてくるが、それ以上は言いにくそうに口ごもっている。

 晟生は何となく察した。

 捜していた箱から素体コアと呼ばれる強化外骨格を着て出て来たという事は、中身を勝手に持ち出そうとしていたように思われているのかもしれない。

 だとすれば、普通は怒るなりして取り返そうとしてくるだろう。

 だが、愛咲はそうはせず困った様子を見せるばかり。穏便な様子は、やはり第一印象は間違っていなかったという事だ。

「申し訳ないですが、それが中にあったとすれば渡して頂けますでしょうか。その代わりですが、住んでいる場所までお送りしますので」

「うん……」

 晟生は唸りながら改めて状況を整理してみる。

 つい先程まで夜の都会で裏道を歩いていた。これは間違いない。

 そして今は素体コアを着装して立っている。これも間違いない。

 周囲は強い陽射しに照らされた荒野である。それも間違いない。

 遠く霞むほどの距離に山、手前には蜃気楼が揺らめく。空気は熱を帯び乾燥し、喉の奥がヒリヒリとする。先程の双頭の大蛇、素体コアに神魔装兵という存在。

 まるで異世界のようだ。

 そう異世界のようだ。

「…………」

 頭に浮かぶのは『異世界転移』といった、本来あり得ない出来事。しかし今現実として目の前にあるのは、そのあり得ない出来事。大人の常識として認めたくはないのだが、他に説明の付けられそうな言葉がない。だがしかし、どうして素体コアのようなものを着用しているのかは分からぬが。

 なにはともかく、異世界に限らず未知の土地でどう行動すべきだろうか。

 もちろんそこは現代日本のような平和な土地ではなく、誰が敵で何が危険かも分からない社会だとする。保護してくれる国家との関係性もなければ、頼りになる地縁血縁もない。

 仮に安全そうな場所に辿り着いたとして、それは一時的な措置でしかない。衣食住を手に入れるための手立てが何もなければ、待っているのは緩慢にして確実な死だ。

 それであれば、助けてくれそうな頼りになりそうな相手を見つけたら全力で縋り付くしかない。

「あー、すまないけど。帰る場所も分からないんだ」

「えっと。それって、どういう事なのです?」

「どうやら記憶喪失らしくて。だから帰る場所も分からない」

 晟生はとっさに言った。

 記憶喪失設定をしておけば、お人好しでさえある少女は見捨てないだろうといった魂胆がある。しかし記憶がないのに、自分から記憶喪失と申告する事はおかしなものだろう。

 幸いな事に愛咲という少女は、そこに気付いた様子はなかった。

「そうですか。それは……少し待って下さい。お婆様ばばさまに相談してみますので」

 愛咲はヘッドギアの一部を押さえ小声で会話をしだした。

 どうやら通信をしているらしい。何度か頷き返事をしながら、捜し物を見つけた事に記憶喪失の人を拾ったと説明している。その様子を窺うが、感触としては悪いものではない。

 そして愛咲は最後に大きく頷いて会話を終え、その視線を晟生に向けた。

「もうすぐ私の仲間が到着しますので、このままここで待っていましょう――あっ!?」

 警告音と即座に分かる鋭い音が鳴り響き、愛咲は少し慌てた様子だ。そして晟生からは何も見えぬが、明らかに何かの情報を眼で確認しているようだ。

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