彼女は鬼になりにけり⑤

 目の前で倒れる鬼を新鮮味もなく眺めていた。

 全身が闇夜よりも深い黒を持った鬼。

 影を立体化した様なそれの顔を認識できるポイントは真っ赤に光る両目だけ。

 鬼と呼ばれるのもおそらく雰囲気だけの問題で、凹凸のわかりにくい外見は書物に記されているものとはかけ離れてる。

 明日はきっと晴れると思われる細かな星が頼りなく輝く真夜中に、俺は百足屋当主から言われたとおりのポイントで鬼狩りをしていた。

 人手不足と言っていたが、周りに百足屋の人間は見当たらない。

 それどころかこの区画で鬼を狩っているのは俺だけではないのだろうか、周辺で戦闘の気配は感じられない。

 てっきり鬼が大量発生するのに人手が足りないのかと思っていたが、そういうわけでもないらしい。

 別の事案に人員を割かれ、担当区が疎かになるのを防ぐために声がかかったのか。

 今となっては確認する術はないのだが、大人しく与えられた仕事をこなすことに変わりはないだろう。

『郭』のお家事情に頭を突っ込んだところでいいことはないし、第一に突っ込む隙間もないだろう。

 ただ、納得いかない点が一つ。

 俺が依頼を受けた要因である琴子でさえもこの場にいないことに関しては異議申し立てをしなければいけない。

 でなければ、大嫌いな百足屋の特になる様なことをするわけがない。

 わざわざ琴子をだしにしてまで俺に手伝いを頼むメリットもないので、彼女が今夜鬼狩りに参加することに疑いを持っていなかっただけにこの喪失感は非常に大きい。

 何とか琴子を百足屋から引き離す算段をあまり良くない頭を捻って考えに考えていたというのに、らしくない努力も水の泡。

 まぁ、考えたところで答えは出なかったのだけど、琴子に会えるそれだけで浮足立っていたのは事実だった。

 徐々に蒸発していく鬼を横目に、街中の巡回を再開する。

 現在鬼の出現に関する絶対的な法則性はわかっておらず、その日のどこにどれだけ出現するのかもはっきりとはわからない状況ではあるのだが、不幸を招く厄災であるために事件や事故が起こる場所は必然的に現れやすい。

 五月雨の区でもここ数日細かな事件を含めいろいろと起こっているらしく、テレビや新聞でその名を目にする機会もあった。

 巡回をしながら、所々にトラップを仕掛けていく。

 生憎と鬼を見、倒すことができる性質を持ってはいるが、鬼狩りの中での俺はお世辞にも才能がある部類ではない。

 特別の頭が切れるわけでもなく、身体能力が高いわけでもない。

 鬼狩りの中には武力で戦う者、従僕を使う者、人外としか思えない異能力を使う者に術式を使う者など実に様々。

 琴子の祖父で俺の師匠であるじいさんは術式を得意とする鬼狩りの1人で、攻撃や拘束など多種多様の術式を使いこなしていた。

 同じ師を持つ者同士として、同然ながら俺も琴子も術式を使った戦闘スタイルではあるが、祖父の血を受け継いでいる彼女とは違い、俺が使える術はトラップタイプのものしかない。

 爆発や斬撃など種類はそれなりにあるのだが、鬼が術式に触れないと発動しないというデメリットのせいで最前線で使いやすいとは言いにくい。

 サポート役としてこそ威力を発揮する。

 じいさんや琴子がいてこそ、俺は鬼狩りとしていられた。

 1度目の巡回が終わり、区の外れにある森の麓に出る。

 目ぼしい場所に術式も書いておいたので、その近辺を中心に動いていれば迅速な対処もできるだろう。

 と、森の中腹で何かが光ったような気がして振り返る。

 何の変哲もない、今までの生活で気にも留めたこともない名も知らぬ山がそこにはあった。

 夜風に揺れる木の葉が不気味な音を発しているだけで別段変ったところはなく、カラスが持ち帰った光物が反射しただけだろうと結論付ける。

「あそこには鳥居があるんだって」

 閃光が走った。

 ボトボトと大量の何かが地面に落ちる。

 無意識のうちに足元に散らばる正体はわかっていたが、そんなことはどうでもよかった。

 自分が数秒前には命の危機晒されていたことなど、彼女を前にしてしまえば脳裏に過ることさえない。

「神社も祠もないのに鳥居だけが立ってるの。可笑しいよね、淀盾君」

「琴子……」

 満月を背に、ずっと会いたかった琴子が立っていた。

 以前よりも伸びた髪のせいか全く似会っていない白い袴姿のせいか、やはたま顔にかかる影のせいなのか、記憶の中の琴子とはまるで別人の、それでも確かに俺の1番大切な人が眼前に佇んでいた。

「駄目じゃない、鬼狩りならもっと鬼の気配に気を配らなきゃ。何かあった後じゃ遅いんだから」

 足元に転がる塊。

 バラバラになってはいるが、繋げれば一体の鬼の形になるだろう。

「お前が助けてくれたのか?」

「当たり前じゃない。他に誰が居るって言うの。淀盾君に何かあったら本末転倒じゃない」

 湖面に映る月のような微笑を湛え、可笑しそうに声を漏らす。

 百足屋に入る前の無邪気な笑顔とのギャップに目の前にいるのは本当に俺の知っている琴子なのだろうかという疑念が首を擡げる。

 双子の姉妹と説明された方がしっくりくる。

 むしろそうであって欲しいとさえ願ってしまうが、一つ一つの動作や俺の名前を呼ぶ声が琴子であることを主張する。

 喜ぶのだと思った。

 また琴子に会おうことができた時、それがどんな状況であれ嬉しくて浮かれてしまうのではないかと思っていた。

 だが、いざこうして変わってしまった琴子と対峙する俺の心中を埋めるのは、寂しさと虚無感だけだった。

「本当はね、全部が終わるまで会いたくなかったんだ。淀盾君も知ってるでしょ?でも当主様の命じゃ仕方がないし、これが最終調整だって言われれば出ないわけにもいかないよね」

「琴子」

「何?」

「お前、何やってんだよ」

「何って……鬼の死骸を集めてるんだよ」

 大人の男が余裕で入るだろう大きさの木箱に鬼の破片を投げ込む琴子の姿に、全身の鳥肌が立つ。

 通常なら退治した鬼の身体は蒸発し浄化され自然へと還元される。

 しかし、先ほど琴子が倒したであろう鬼の身体は一向に消える気配がなく存在し続けている。

 百足屋の使用する術の特性そのものだ。

『郭』での百足屋の立場は所謂研究所。

 未だ不明な点の多い鬼の研究をしている反面、その力を利用し活用するための人体実験なども多く行っている集団でもある。

 国は百足屋の研究は価値のあるものとして公でこそないが黙認している節があり、援助金さえ出しているという噂が流れるほど。

 その甲斐あってか単に探究心の結果か、百足屋の血を引く者だけが扱うことができる鬼の消滅を止める術が完成したわけだ。

 琴子の場合はその効力が作用するような術式でも与えられていたのだろう。

 でなければ百足屋に入って数年の『籠の外』出身者が自慢のお家芸を使えるわけがない。

「百足屋なんかに協力して何やってんだって言ってんだ! あんな所に居てこんなことまでして、一体何になるってんだ。あんな……、あんなことしてどうしたいんだよお前は」

「私はね、鬼になるの」

 最後の肉片を箱に放り込む。

「鬼になって、強くなるの」

 胸に手を当て、独り言のように呟いた。

「そうすれば、大切な人が傷つかなくて済むでしょ?」

 ようやく記憶の中にあるのと同じ笑顔が見れたのに、視界がぼやけるのは何故だろう。



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