彼女は鬼になりにけり④

「行きはよいよい、帰りもよいよい。常夜の闇を通りゃんせ。常夜の国へ行きなんせ」

「なんだその歌」

「昔おじいちゃんがよく歌ってた歌。この歌を知ってれば安心だからって教えてくれたの。鬼の世に連れて行かれないからって」

「なんじゃそりゃ」

「私もよくはわからないけれど、おじいちゃんが言ってたんだもん。きっと意味があるはずよ。だから忘れないように、時々歌ってるの」

 琴子のじいさんは『籠の外』で活動する鬼狩りだった。

 琴子の両親は鬼を見れる体質ではなかったためじいさんを気味悪がり出来るだけ関わろうとしなかったらしいが、琴子が生まれ家計を守るため共働きの道を選び苦渋の決断で娘を祖父の家に預けていたそうだ。

 そのせいか琴子は順調におじいちゃんっ子として成長し、じいさんの役に立とうと鬼狩りになることを決意する。

 幸か不幸か琴子には見えたのだ、鬼が。

 じいさんも両親も断固として反対したらしいが琴子の意思は変わらず家出に踏み切り、愛想を尽かせた父親と母親は彼女を勘当。

 行き場を無くした孫を放っておけるわけもなく、なし崩し的にじいさんの手伝いをしながら鬼狩りとして活動していた。

「誰にも気づいてもらえないし感謝をされるわけでもないけど、私はこの仕事を誇りに思うの。だって、これで明日も沢山の人が笑っていられるじゃない」

 そう言って笑う琴子の後ろには2年前に他界したじいさんの仏壇と遺影写真があった。

 参列者が10人にも満たない寂しい葬式だった。

「おじいちゃんみたいに鬼に殺される人がいない世界にしたい」

 唯一の肉親として式を全て取り纏めた琴子がじいさんの骨が入った骨箱を抱きながら、涙ひとつ流すことなくそう言い放った光景を俺は一生忘れることはないだろう。

 鬼は人間を襲うのだ。

 否、人間を襲うからこその厄災か。

 昼間は実態を持たず不幸という形で社会に蔓延り、夜間は形成された肉体で生命を傷つける。

 俺自身も数年前に鬼に襲われ殺されそうになったところをじいさんと琴子に助けられている。

 女手一つで俺を育ててくれた母さんの葬儀が終わった次の日だった。

 幼いころから時々見ていた化け物の正体がわかったこと、命を救われたこと、そして何より無力な自分にも出来ることがあるとわかったこと。

 様々な想いが津波の様に押し寄せ、俺はその日のうちに鬼狩りの道を進むことにした。

 失うものはなかった。

 何年経っても馴染むことのできなかった職場に未練はないし、心配を掛ける唯一の肉親はこの世にいない。

 俺が琴子のじいさんに弟子入りするまでにそう時間はかからなかった。

 つり橋効果と言われればそれまでかもしれないが、あの日、あの夜から琴子に惚れていた。

 十中八九一目惚れだったけれど、この気持ちに嘘はない。

 当時から万屋当主には下心でじいさんに弟子入りしただろとからかわれていたが、少なくとも門を叩いた時にはそんなことは考えもしなかった。

 ただ純粋にじいさんに恩を返したかったし、琴子を守りたかった。

 2人の役に立つだけの人間になりたかった。

 まだ半人前として扱われていた琴子との修行の日々。

 辛く理不尽な怒りに身を任せたこともあったけれど、振り返れば充実した毎日だったと思う。

 1人前になったら告白しようなんて暢気なことを考え始めた頃、じいさんが鬼に殺された。

 俺達の目の前で。

 考えてみれば、この時から琴子は少しずつ変わっていったのかもしれない。

 鈍感な俺には気が付けないくらい緩やかな変化を、百足屋当主が見逃さなかった。

 ただ、それだけのことだった。




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