彼女は鬼になりにけり③

 住宅地から少し離れた場所にある塀の横を歩いて行く。

 1ブロック分の面積を囲んでいる塀は学校のグラウンドよりも長く、角で曲がっているために先が解らず不安になる。

 何度も訪れているはずなのに抱く感情は、この土地の持ち主に対する俺の私情が織り交ぜられているからかもしれない。

 ようやく見えた巨大な門。

 映画やドラマでしか見たことがない立派な木造のそれにはもちろんインターホンなどという文明の利器が取り付けられているわけもなく、昔ながらに軽くノックを2回すれば、数秒も待たずに重厚な音とともに門が開いた。

「何か」

 出て来たのは和服の女。

 俺の大嫌いな人物。

 生気の感じない真っ白な顔色とは対照的に、口裂け女を連想させる真っ赤な口紅を塗った唇。

 まゆ毛は全て剃り落とされ、カッターで入れた切れ目の様に細く長い両目は筆で描いたみたいに輝きがない。

 前髪と後ろ髪の毛先が真っ直ぐに整えられていることも相まって、勝手に動き出す呪いの日本人形と表現するのが相応しい。

 彼女こそここ百足屋の女当主であり、琴子をあんな風にした張本人だった。

「琴子さんはいますか? どうも、淀盾です」

「ええ、存じております。あなたも飽きませんね。琴子さんなら離れにおりますが仕事中ですので手が離せません。もっとも、休憩中であったとしても自らあなたに会おうとはしないでしょう。今までと変わりなく」

 表情筋を全く動かすことなく百足屋当主は平坦な声で言った。

 百足屋が所有する土地の中には建物が3棟あり、血族が暮らす母屋とお手伝いさん達が住み込みで使っている離れ、研究や実験が行われている隔離所で形成されている。

 母屋の周りの日本庭園もかなり豪華らしく、庶民の生活しかしらない俺から見て馬鹿でかい猫屋敷邸ですら足元に及ばないと猫屋敷本人が言っていた。

 百足屋の敷地に入れるのはそこに所属している人間を除いて『郭』の当主と側近レベルの人物だけらしく、一介の『籠の外』である俺はそれを確認することはたぶん一生訪れることはないだろう。

 それにしても百足屋当主、いくらなんでも出てくるのが早すぎやしないだろうか。

 仮に偶然門の前を通り掛かったとしても、門を開けるのは見張り番とかその辺の人間の役目ではないのだろうか。

 門のすぐ後ろにでも待機していないとノックの音など広い敷地内で聞こえる場所はないだろうし、そもそも当主がのこのこ出てくること自体がおかしな話。

 百足屋含め万屋も猫屋敷も『郭』の中での当主という立場が些かお粗末な扱いを受けているように感じるのは果たして俺だけだろうか。

 身近過ぎるだろう、当主。

 ただ、百足屋当主に限っては超能力をもっていて未来を予知した結果ここにいるのだとしても俺には驚かない自信がある。

 むしろ、ああ、やっぱりなと納得さえしてしまう。

 そう思ってしまうくらいには、百足屋当主を人間扱いしていない俺がいた。

「元気にしてますか?」

「生きてはいますよ」

「そういうことを訊いているんじゃありません」

「では、何をお聴きになりたいのでしょう。五体満足だとお答えした方がよろしいでしょうか」

 百足屋当主の右腕を吊っている白い布に自然と目線が行く。

 会うたびに変わらない布に包まれる細い女性の体躯には似合わない大きな右腕に、胸やけのような不快感が胃を満たす。

 包帯に巻かれ全貌こそ確認できないが、肩から足が生えている様な印象がそれにはあった。

「具合でも悪いのですか」

 琴子に対するふざけた回答と百足屋当主への不の感情で歪んだ俺の表情を見て、彼女は見当違いな質問をぶつけてくる。

 それも俺を気遣っての言葉でないことは明白で、短く否定の返答をすれば

「……でしたらついでにお願いしたいことがあるのですが」

 と何食わぬ顔で仕事の話を持ち出した。

「なんですか?」

「『郭』から『籠の外』へのお願いなど大体同じでしょう。鬼狩りですよ。鬼狩りの援助のお願いです」

 鬼――この世に滞留する厄災を俺達は総じてそう呼んでいる。

 毎分毎秒溢れ出す厄災が飽和し圧縮され自立行動を伴った姿が文献などで伝えられている鬼の姿にそっくりだったことがその名の由来らしい。

 生まれ持っての体質で鬼を見ることができる人間は日本人口の数十パーセント。

 その中でさらに鬼を退治する力を保有しているのが数パーセント。

『郭』はその数パーセントの人材を中心に集まった組織であり、そこから漏れ独自に活動している奴らを『籠の外』と呼んでいた。

 俺ももちろん『籠の外』として活動をしている通り鬼を見ることができるし戦闘手段も持ち合わせている。

 鬼狩りは国から要請されている列記とした仕事で、俺達は言わば現代版陰陽師のような役目を担っていた。

「五月雨の区で鬼が頻繁に発生していまして、駆除に少々人出が必要なのです。今夜にでも一層してしまおうと考えているのですが、淀盾さん、よろしければお手伝いいただけないでしょうか」

「百足屋は鬼の駆除が専門ではないでしょう。万屋や千鳥屋あたりに要請を頼んだ方がよほど楽に片付くのでは?」

「そうですね、そうでしょう。ですが『籠の外』である淀盾さんには知るよしもないことですが、組織にも色々な取り決めがあるものです。現在五月雨の区を管理しているのは百足屋です。確かにお願いをすれば皆さん引受けてくれるでしょうが、こちらとしても意地があります。できれば他の家の力は借りたくないのですよ。それに、あなたとしても鬼狩りの経験と収入を得られるのだから悪い話ではないでしょう」

『籠の外』は組織に属さないフリーの鬼狩り。

 出没する鬼を駆除し申請して国から報酬をもらうか、このように『郭』からの支援依頼が主な収入源になっている。

 鬼も毎日毎日大量に発生するわけではなく、また、単独で動いている者が大半の『籠の外』では狩ることができる種類にも限界がある。

 それに情報網では圧倒的に『郭』が勝っており、雑魚のおこぼれを拾うか狩り終わった後なんてことは日常茶飯事。

 依頼だってしょっちゅう貰えるわけもなく、正直『籠の外』の連中は収入が安定しない生活を送っている奴が殆どだ。

 世渡り上手な奴は『郭』と良好な関係を築いて仕事を回してもらい余裕のある生活を送っているのだが、人間に対して好き嫌いが激しい俺みたいなタイプがライフラインを形成することはまず難しい。

 唯一積極的に交流している万屋と猫屋敷はあまり鬼狩りの任を好ましく思っていない節があり、部外者である俺に依頼を振るなんてことは滅多になく、折角の関係も生活を潤すオアシスにはなっていない。

 まぁ、そこが気に入って付き合っているので全く気にしてはいないのだけれど、故に俺も例に漏れることなくジリ貧生活を送っているわけだ。

 百足屋当主はそのことを重々承知の上で声をかけているのだろうが、心底憎んでいる相手にすがる程生活は廃れていない。

 余裕はないが、現代社会で生きていけるぐらいの生活能力はある。

 例え路頭に迷ったとしても百足屋の力になんかなりたくないと、断りを入れるため口を開きかけた時。

「琴子さんも五月雨の区に出させるつもりです」

 止めの一言に返す言葉を俺はひとつしか知らない。




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