第32話 マリア姫

 今から数年前。ヴァルゴ王国とレオ王国は戦争を行っていた。だが、戦力差は歴然。ヴァルゴ王国は奮闘したが、その圧倒的な戦力差の前に、次第に領土を減らしていった。そして、ヴァルゴ王国最後の領地であるハチェットにまでレオ王国軍が進軍してくると、もう逃げられないと悟ったヴァルゴ王国は最後の戦いに打って出た。


 戦いは数日に及んだ。戦いの初期でヴァルゴ王国の国王は死亡。王妃はすでに病気で他界していた。代わりに指揮を執ったのは、まだ年若いマリア姫だった。



「皆さん、父は死にました。母ももういません。ですが、ヴァルゴ王国には私がいます! 最後の意地を、私に見せてください!」



 マリア姫の指揮は完璧だった。半日で落ちると言われていた城を、七日も持たせたのだ。兵力が十分なら、勝つことも十分ありえたであろう。


 だが、現実は違った。味方の十倍はあろうかという敵の軍勢。ここまで兵力差がひらいてしまえば、戦術など関係がなかった。


 マリア姫のもとに残ったのは、せいぜい百人いるかいないかの兵士たち。その兵士たちも、すでにボロボロだった。城はレオ王国の軍勢に包囲されている。逃げる道はない。たとえ逃げ出せたとしても、逃げる先もなかっただろうが。


 そして、マリア姫は決断した。



「敵の辱めを受けるくらいなら、潔く、ここで死にましょう」



 その言葉を聞いた誰もが涙した。だが、否定する声はあがらない。皆が、それしかないとわかっていたのだ。ただ、一人を除いて。



「姫、まだ諦めるには早すぎます!」


「……トラマル」



 マリア姫の前に、トラマルが跪いていた。その黒装束を身にまとったその姿は、今と少しも変わらなかった。唯一変化があるところといえば、額にあるはずの十字の傷がないことか。



「私が敵陣に潜入し、大将の首をとってまいります。大将さえいなくなれば、敵軍は大混乱です。勝つことは出来なくとも、逃げる時間は稼げるかと」


「たとえ逃げる時間を稼いだとしても、私たちには逃げる場所がありません。無駄なことです」


「まとまって逃げればそうでしょうが、バラバラになって逃げればまだ可能性はあります。ヴァルゴ王国は消滅しますが、人は生き残ります。人が生き残れば、また国は造れるのです。そのためにも、姫、生きてください!」



 トラマルの必死な訴えに、マリア姫は何も言えなかった。ただじっとトラマルを見つめ、何かを考えているようだった。


 そのとき、城壁の辺りで爆発音が聞こえた。レオ王国軍が進軍を開始したのだ。



「時間がありません。姫、決断を!」


「……」



 マリア姫は黙ってトラマルに近づいた。トラマルの手を取って、何かを握らせる。



「逃げるのなら、私はあなたと一緒に逃げたいです。ですから、トラマル……」



 トラマルは握らされた何かを確認してみた。それは、七色に光る指輪だった。いつもマリア姫が肌身離さず身につけていた大切な指輪だ。



「その指輪を、あなたに預けます。ですから、生きて、その指輪を返しに来てください。それから、一緒に逃げましょう」



 マリア姫は、悲しそうな顔で笑った。トラマルが生きる確率も、マリア姫が生きる確率もゼロに近いことを知っていたのだ。だから、これは実質上の決別の印だったのかもしれない。


 それでも、トラマルは信じた。生きて、もう一度マリア姫に会う可能性を。



「わかりました。姫。この指輪、必ずお返しします!」



 トラマルは立ち上がり、マリア姫に背を向けて部屋を出て行く。その後に、黒装束の男たちが数人続いた。〈影の一族〉。そう呼ばれた男たちだった。

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