4 大浴場2
大浴場は常連が集まる銭湯のように盛り上がっていた。
「ちなみに現時点でのトッププレイヤーの賞金は十億。軌道に乗れば桁が増えます」
「気前良すぎだろ春日家」
「新太君も凄いが、彼も大概ではないな……」
何十、何百億という金額が動くことは想像に難くない。それほどの金額を、一介の青年の、マニアックで絵空事にしか聞こえない提案に費やすというのだ。
無論、新太の実績と提案内容あってのことだが、それを理解し、見出し、投資する春日一久という男がとんでもないのも明らかだろう。
「私が死ぬまでに歴史が変わる光景が見られそうだな」
「ええ。期待しててください」
四人を包む湯気がゆらゆらと揺れている。場の高揚を代弁しているかのようだ。
「――それで、俺はそのフリーランニングとやらの選手になるってわけですね」
日向が話の腰を折り、本来の目的を問う。
「そうさ」
「新太さんも出る」
「ああ」
「そこで俺をぶちのめそう、と」
「もちろん」
新太と日向が好戦的な視線を交わす。
その間にげっぷが割り込んだ。
二人が見ると、サイダー瓶を片手に持つ京介。彼はどんっと瓶をトレイ――四人に囲まれるように浮かんでいる――に置いてから、
「オレも参加させろ」
「残念だが一般枠しか残ってない。招待枠はもう無いんだ」
「構わねえ。突破すりゃ済むんだろ?」
「ああ。京介君なら行けるさ。パフォーマンスはともかく、身体能力と移動力は僕でも負かされる水準だろうからね」
「……直接戦った覚えがねえんだが?」
京介は訝しみつつも、新太に勝るという部分を否定しなかった。
「言わずともわかるさ。
「……」
新太の正確な洞察に目を見張ったのは京介だけではない。日向もだった。
(京介との
超集中は遠目にはわかりづらい。加えて新太は、日向の
以前の新太なら間違いなく折れていた。京介が超集中に入っているかどうかを見る余裕なんて無かったはずだ。
(新太さんも成長している……)
日向は武者震いした。
「君らはピンと来ないかもしれないけど、パルクール競技において超集中に入るのは相当に難しい。他のスポーツよりも考慮すべき因子が圧倒的に多いからね。僕達トレーサーが超集中に至るには、それはもう相当な習熟が必要になる。一般人はおろか、その辺のプロでさえ一生かけても及べないんだよ」
一方で、烈は苦笑せざるをえなかった。
当たり前のように語る新太。
当たり前のように頷く我が子。
有り体に言って、次元が違う。
しかし、その表情は目に見えてわかるほどに緩んでいる。
「私だけ場違いじゃないか」
「妙に嬉しそうだな
「まあな」
烈はサイダーをぐびっと飲み、気持ちよさそうに喉の刺激に耐えた後、瓶を置く。
「償いという形とはいえ、問題児が安心して活躍できる場が見つかったんだ」
「競技中に死ぬ危険はありますけどね」
「構わんよ。本人が望むのならそれでいい。家族がいるならさておき、こいつらは皆、ひとりだ。自分の道を生きればいいのさ」
烈が日向と京介の頭をがしっと掴む。
息子を自慢する父親のような、満面の笑みだ。
対して子供二人は言葉を失い、意外そうな目で烈を覗き込む。
烈の本質を見たからだ。
日向にせよ京介にせよ、孤児には家族もいなければ、帰る故郷も無い。
だかといって児童養護施設――村上学校も故郷にはなりえない。一時的な宿り木にすぎない。
烈は巣立つことを前提として教育を施している。主体的に生きる力を身に付けろ、とは常々口にしていることだ。
施設では皆、家族という扱いになっているが、実はそうではない――
そんな烈の真意が、一端が、二人には流れ込んでいた。
「……えっと、
日向は改めて烈に向き直り、立ち上がると、頭を下げた。
「今まで迷惑かけてごめん。
偽りない本音だった。
烈という人傑が厳しくも優しく導いてくれなければ、日向という欠如した獣はとうに滅んでいた。
「なんだ日向。改まって言われると気持ち悪いな」
「顔がにやけてんぜ
「ちょっと涙腺も緩んでるね」
「年寄りをいじめてくれるな」
烈は再び瓶を手に取り、
中身はほとんど空だったが、そこを指摘する無粋な者はいなかった。
「……」
体も心も温かい。久しく感じていなかったものだ。
日向は涙腺の反応を察知しながらも、堪えることを放棄し、団欒を楽しむことにした。
話はそれからも盛り上がり、数十分という時があっという間に過ぎた。
誰もがもっと居たいと考える中。
新太はわざとらしく咳払いをして、言った。
「そろそろ話を戻そうか。直近の言い分を共有するよ」
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