4 車内2

「盗撮ってなんだよ?」


 外は俄雨にわかあめのように激しく、霧も立ちこめている。国道をはさむ、青く大きな山々のシルエットさえも見えない。

 止まない雨粒がボンネットと窓ガラスを打つ中、核心に切り込んだのは京介だった。


「あの偉そうな女が言ってたろ。てか呼んでねえのか」


 京介が祐理と沙弥香に視線で問うが、即答したのは新太だった。


「彼女はそれどころじゃない。お父さんに止めてもらうことにしたよ」

「お兄ちゃん、それって……」


 春子の父親、春日一久は春日家の頂点に立つ人物である。新太の発言は大物芸能人や政治家、あるいはそれ以上の存在に気軽に頼み事をしたと言っているに等しい。


「お父さん仲良くさせてもらっている」

「……さすがお兄ちゃんね。妹を放置するだけあるわ」

「僕も立ち止まるわけにはいかないからね」

「……」


 背を向けたまま妹の皮肉を肯定する兄を前に、沙弥香が絶句する。

 そんな友人の気の毒な様を真横で見た祐理は、間髪入れずに口を開く。


「新太さん。春子ちゃんは大丈夫なんですか?」


 言いながら祐理が助手席の背もたれから覗き込むと、新太は落ち着けと言わんばかりに手で静止してから、


「心配は要らないよ。盗撮に思うところがあるみたいで、ちょっと興奮してるだけさ」

「だろうな。イヤホン越しでもわかったぜ。ありゃ憎悪ってレベルだ」


 京介の言葉にと真智もうなずく。


「そういえば文化祭の時も容赦無かったわね」


 文化祭の時、体育館の出入口付近で春子は不審者――盗撮に気付かれて逃走を図った男を投げ飛ばしている。怪我は全治数ヶ月。「春日春子は相変わらずおっかない」との噂が強化されたのは言うまでもない。


「で、その春子ちゃんとやらが、アイツにまさにその憎悪を向けてたようにオレは聞こえたんだが、気のせいか? 気のせいじゃねえよな?」

「……」

「答えろ祐理」


 想い人を見る、いや睨む京介には、いつものノリは皆無だ。とても祐理を好いているようには見えない、責めの視線を刺している。

 祐理はというと、だんまりを決め込むだけだった。


 京介は嘆息して、


「そもそも屋上で何を盗撮するんだ?」

「さあ? 体操服姿の女子とか?」


 隣に座るが応えつつ、自身の胸を見せつけるように張る。


「体操服なんて撮ってどうすんだよ。そんなの普通に見りゃいいじゃねえか」

「そんな性癖は無かったと思う」

「そもそも性欲の有無さえ怪しいわね」


 真智と沙弥香もピンと来ない様子だったが、「あ」思わず漏れたといった様子の真智がぽんと手を叩き、それを口にする。


「金庫」

「あ? 金庫だぁ?」

「祐理から聞いた。日向の家には巨大な金庫がある。中身はまだわからない」

「ああ、そういやそんなこと言ってたな」


 京介がコメントを要求するように祐理を睨むが、祐理は身体ごと背けた。その先に座る沙弥香が心配そうに覗き込むと、祐理は首を横に振る。


「今すぐ見せてもらう?」

「そうですね。盗撮の疑いを向けられている以上、日向君も見せる必要があるはず。できなければ黒です」

「もう遅いかも。先に処分されてる可能性がある」

「真智の言うとおりです。彼は私達全員を振り切って、先に逃げましたからね。むしろ家にもいないでしょう。どこにいるのやら――」

「それはねえだろ」


 京介が自信満々に遮った。


「アイツは帰ってくる。だよな新太さん」

「ああ。僕もそう思うよ」

「なぜ?」


 真智がこてんと首を傾げた。


「勘だよ。何となくわかるんだ」

「なんですかそれ」


 も納得ができないといった面持ちを浮かべる。真智と同時に助手席を向くが、新太は何も答えない。

 その新太は「そういえば沙弥香」妹の名を呼んだ。


「……なに?」

「文化祭の件、沙弥香の話では女性トレーサーだったと聞いているけど」


 沙弥香は態度も表情も声音も拗ねてみせていたが、新太は至って事務的に喋る。

 その話は当日、沙弥香が遭遇した逃走犯を指していた。


「……そうよ。キャシー・キャサリンそっくりのね」

「それ、日向君だと思うかい?」

「アタシは思わないわ。動きの質がまるで違うもの。あれは絶対に女性よ。間違いない」


 春子や誠司は日向だと断定していたようだったが、沙弥香は異なる見解を持っている。


 自身が女性トレーサーだからこそ、女性トレーサーの動きも人一倍繊細に捉えられるというもの。

 決して口には出さないが、たかが新米トレーサーの春子にはわかるはずもない。女性ですらない誠司はなおのことだ。

 加えて二人は冷静さを失っていた。一方で、沙弥香は自制心の制御にも長けており、今日屋上で対峙した時も――驚愕はしたものの――平静ではあった。


 沙弥香は自分が間違っていることなど、これっぽっちも考えていなかった。


「――お兄ちゃん?」


 新太がこちらを向いてきた。真剣な眼差しをしている。

 よく見ると、兄の瞳には沙弥香が映っていない。


「君達はどう思う?」

「ちょっとお兄ちゃん、どういうことよ。アタシの目を信用してないの?」

「どうかな?」


 新太が沙弥香の後方、京介達に尋ねる。

 沙弥香はたまらず突っかかっろうとしたが、直後、ぽんぽんと撫でられ――毒が抜けたようにおとなしくなる。


 ただでさえボティタッチが少ないのだ。兄想いブラコンの沙弥香には相当効く。

 既に口を閉ざしている祐理も含め、しゅんとした女子が固まって並ぶという光景ができた。


「可能」


 真智が応えると、「ですね」とが、「だな」と京介も同調を見せる。


「日向は物真似も上手」

「上手ってレベルじゃねえよ。ありゃ本人より本人らしく動ける。正直チートだろ」

「どういうことだい?」

「日向君は人の挙動を正確に再現することもできるんです」


 が説明する一方で、変わらず運転中の遠藤は「あぁ……」と遠い目をしていた。


「昔、こんな遊びをしたことがありました。本人と日向君、二人で同じ動きをしてもらって、それをやや遠くから動画に収めてシルエット加工をします。出来上がった動画を二人以外のみんなで視聴して、どっちが本人か当てる――そんな遊びです」

「何十回と遊んだけど、正答率はほぼ五割」


 それはつまり、選択肢をでたらめに選ぶのと大差ないということであり、日向の物真似が見分けのつかないほどのクオリティであることを示している。


「なるほど。それは驚異的だね……」

「新太さん、何が言いてえんだ?」


 全員を乗せたワゴンがちょうど止まる。「混んでるなぁ」などと遠藤がため息をつく横で、新太は身体ごと後部座席を向いて、


「一ヶ月前、春日野高校では文化祭があったんだけど、そこでも盗撮事件が起きている。場所は。そして被害者の一人が春子ちゃんだ」

「なっ!? ま、待って、お兄ちゃん。今なんて……」


 新太はどうどうと両手で沙弥香を落ち着かせつつ、続きを話す。


「彼女は現行犯で犯人を捉えようとしたが、歯が立たず取り逃がした。犯人は引き続き逃走を続けて、校門前を阻む沙弥香も容易く突破してみせた。その後、春子ちゃんが家の力を借りて検問を敷いたみたいだけど、不発に終わったと聞いている。もちろん犯人はまだ捕まっていない」

「……うそ、でしょ」


 半ば腰を浮かせていた沙弥香が、どすんと。力なく座席に落ちる。


「これは仮説だ。ただ、春子ちゃんは確信しているようだった。二度も対峙したんだからね、感じ取るものがあったんだろう」

「そういうのは隠し通せねえからな」


 京介がさもありなんと首肯してみせる。


「もう一度言うが、これは仮説だ。そのつもりで聞いて欲しい――遠藤さんは運転に集中してください」

「え、ああ、ごめん」


 信号が青になってから数秒が経っている。間もなくクラクションも鳴らされ、遠藤が慌てて発進。

 がくんと車内が揺れたが、誰も遠藤を責めることなく新太に傾注している。


 運転が落ち着いたところで、新太は乗り出していた身を引いて助手席に収まった。


「日向君は学校で盗撮をしている。いつからかは不明だけど、少なくとも文化祭時点で事に及んでいたようだ。体育祭も同様だったから、思いつきや気まぐれではないだろう。もしかすると、相当前から日常的にやっていた可能性さえある」

「はぁ? なんでだよ? 意味がわからねえ。アイツはそんな可愛い奴じゃねえ」

「ですね。日向君は性欲に振り回されてバカなことをするような人じゃないです」

「その点は僕も同感だけど、こればっかりは本人に訊いてみないことには」


 憶測が車内を飛び交う。もはや日向がもたらした無力感は露ほども立ちこめていない。


「祐理ちゃんはどう思う? 彼はなんで盗撮なんて真似を?」

「……わかんない。わたしが知りたいよ」


 ようやく口を開いた祐理。変わらず憂いの表情を浮かべていたが、つぐんでいた口だけは元気を取り戻しつつあった。


 彼女が黙秘していたのは、内に秘めていた仮説ゆえのこと。

 しかし、たった今、新太によってさらけ出されてしまった。もう隠す意味はない。


 日向が盗撮をしている――


 そんな得体の知れない話題で車内が盛り上がっていた、そんな時だった。


「――お金」


 助手席側最後尾でぽつりと漏らしたのは、志乃だ。


「お金?」

「あぁ?」


 えると京介が反応してみせたことで、すべての視線が志乃に注がれる。バックミラーには新太と遠藤の目もあった。


「ニュースで報道される盗撮犯の動機は、半数以上が金銭目的です」

「アタシも見たことあるわ。動画をネットにアップするんだってね」

「ただのクズじゃねえか」

「それがどうしたのです? 志乃は彼が金銭のために盗撮をしていた、と?」


 えるは、いや京介達も、志乃が否定してくることを期待した。


 しかし志乃は、「はい」あっさりと肯定を返す。


「意味わかんねえ。はした金のために、そんなつまんねえことするような奴じゃねえだろ」

「……彼のことをわかっているかのように言いますね」

「ああ、少なくともてめえよりはわかってる。何度もやり合った仲だからな。雑魚にはわかんねえよ」

「京介君。マウントを取るのはやめなさい」


 えるに肘で小突かれた京介は「けっ」と、唾でも吐くかのようにそっぽを向いた。


「バカがごめんね志乃」

「いえ」

「それで、どうしてそう思うのです?」


 日向は運動欲求の化身と言っても過言ではない。そんな存在には色欲や金銭など陳腐に映るはずだし、事実、そうであると確信できる程度には皆、日向という存在を思い知らされていた。


 そんな中、志乃は――彼女だけは異なる見解を持っていた。


「理由は二つはあります。一つは、彼が自分の人生をよく考えているということです」


 彼女は知っている。


 日向が既に将来を見据えて行動していることを。


 生活習慣から日常生活の家事まで、ありとあらゆる部分をストイックに効率化していることを。


 二十四時間という時間の価値。そして集中力という限られた資源と、その潜在能力ポテンシャルを。


「ビジネス書や自己啓発書――いわゆる意識が高い人達が読むような本を何百冊も昇華しているような、そんなレベルの最適化がなされています」

「……」


 志乃が話す内容は、新太と遠藤はともかく、高校生の面々にはいまいちピンと来ないものだ。


「そしてもう一つは、盗撮動画が非常に効率の良い儲け方であるかもしれない、ということです」

「効率、ねぇ……」


 誰も腑に落ちていないであろう中、新太だけはひとり得心した様子で頷いていた。


「つまり、どういうことよ?」


 沙弥香が座席から身を乗り出してくる。


 志乃は相好を崩すと、どこか興奮した様子で己の見解を述べた。


「つまり日向君は――楽して儲けるための手段として盗撮に勤しんでいるのかもしれません」

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