5 車内3

「楽して儲けるための手段として盗撮に勤しんでいる、のかもしれません」

「……」

「…………」


 沙弥香は「はぁ?」と言いたげに顔をしかめた。彼女のみならず祐理も首を傾げ、えると真智は見合わせ、京介も「わけわかんねえ」などとぼやいている。


「ついでに言うと、楽しく遊べるからってのも外せないと思うよ」

「なるほど。たしかに」


 そんな中、新太だけは全てを悟ったかのようにさっぱりとしていた。


「新太さん、どういうことだよ? てめえももったいぶってねえで教えやがれ」

「もったいぶってなどいません。感心しているだけです」

「んだと? 意味わかんねえこと言ってんじゃねえぞおい」


 全く怯まず対抗心も隠さない志乃の態度に、京介はを越えて身を乗り出そうとするも「痛ぇ!?」えるに太ももをつねられ、引き下がった。


「東雲さんはだいぶ物わかりが良いみたいだね。想像力も豊かだ」

「ありがとうございます」

「あとは僕は説明しよう。そうだな、まずは盗撮について調べてみてくれないか。苦手な人は見なくていい。どんな汚い世界が広がっているか、たぶんすぐに見つかるはずだ」

「盗撮? 世界?」


 沙弥香が当惑を呟きつつも、早速スマホで検索を始める。祐理達も同様だった。


 しばし無言の時が訪れる。


 雨は相変わらず止む気配がない。

 ハイテンポな雨音が絶え間なく続いており、フロントガラス上ではウインカーが忙しなくうぃんうぃん鳴っていた。


「嘘でしょ、こんなの」

「気持ち悪い……」

「最低にも程がありますね、これ……」


 やがて手を止めた女子陣が、心底嫌悪感を乗せた感想を口にする。


 彼女達のスマホには盗撮動画サイトが表示されている。

 一覧ページには一目でアウトだとわかるサムネイルが並ぶ。一つを選んで紹介ページに飛ぶと、目が眩むようなアイキャッチ画像とキャッチコピー、そして溢れんばかりの説明文とサンプル画像が存在感を放っている。


 極めつめはページ下部のコメント欄だ。

 被写体にされた、いたいけな女生徒に対する生々しい絶賛や身勝手な評論が何十と書き込まれている。


「ひどい……」


 祐理は思わず口元を抑えていた。


「インターネットは醜いところだよ。その手のサイトなんてごまんとある」

「お兄ちゃん……」

「一応言っておくけど、僕にそういう趣味はないよ。ネットに詳しい者なら誰でも知っているものさ。もっとも烈さんの教育方針は知らないけどね」


 児童養護施設『村上学校』はICT教育にも熱心であり、基本的なネットリテラシーも叩き込む、とは施設長たる烈本人の弁だ。


施設長パパはこんなこと教えない」

「だろうね。それがいい」

「で、これがどうしたってんだ?」


 京介が助手席に目を向けると、新太もまた盗撮動画サイトの一つを表示していた。見せつけるようにスマホを掲げている。


「盗撮動画市場のことはわからないけど、上の方は稼ぎが良さそうだよ。たとえばこの動画は、販売価格が千円で、ダウンロード数は既に三千を超えている。これだけでも三百万円の利益だ。この投稿者のページを見てみると――」


 新太は片手にもかかわらず、並の両手持ちユーザーよりも軽快に操作していた。


「見たところ百万メガレベルの稼ぎが六個だけど、それ以下の十万単位、万単位の動画はもっとある。数十はありそうだ。一方で最古の投稿日時が――三年前か。見た感じ、一年で五百万は稼いでるだろうね。実働時間はわからないけど、少なくともその辺のサラリーマンよりは、はるかに効率が良い」

「……」


 世界に名を馳せるトレーサー『アラタ』こと新太が、目の前でわいせつなウェブサイトを表示している。

 そしてそれを平然と、マニア顔負けの作業スピードを並行しながら説明してみせている――

 車内は異様な光景と言えた。


「この人はトップクラスの投稿者みたいだね。このクラスに至るのは、並のサラリーマンよりも難しいだろう。一種の才能も必要かもしれない。でも、このクラスならコスパは抜群だ。時給で言えば二千円、三千円、いやそれ以上もありえる」

「新太さん……」


 祐理の懇願めいた呟きが虚しく響く。新太は止まらない。


「で、日向君がこのクラスに至れるかだけど、彼の身体能力と勘の鋭さ――いや、神懸かった勘であることを錯覚させるような状況判断能力、空間認識、五感に第六感シックスセンスと言えばいいかな。それらがあれば余裕だろう。もしかして既に盗撮界隈を賑わせているかもしれない」

「日向は、そんな……」

「祐理ちゃんも思い当たりがあるんじゃないか? たとえば日向君が頑なに何かを隠そうとしていた状況――そういうのが無かったりしなかったかな?」

「それは……」

「あるわ」


 沙弥香が断定を割り込ませる。


「沙弥香ちゃん……」

「祐理。お兄ちゃんも言ったように、これはまだ仮説よ。だけど状況は揃ってる。この後、アイツがどう出て、どんな結果が出てくるかはわからないけど、仮説が真実だったというケースも十分あり得るのよ」


 沙弥香は祐理の両肩に手を置き、子供をあやすように、あるいは悲しみを舐め合うように優しく声をかける。


「辛いけど仕方ないの。覚悟はなさい」


 祐理が首を振る。

 うん、うん、と縦に。横に。何度も、何度も。


「わかってる。わかってた。でも、だけど……こんなの……。沙弥香ちゃん、わたし……」


 祐理の目尻が潤み始める。間もなく、


「うっ、うう」

「祐理……」


 祐理は沙弥香の胸に顔をうずめ、沙弥香もまた祐理を抱きしめ返した。


「しっかしピンと来ねえよなあ」


 京介がことさら明るい声音で言う。


「盗撮にらくして金を稼げる余地があるっつーことはわかったけどよ、だからといってアイツがこんなつまんねえ仕事に精を出す意味がわからねえ。いや、そうでもねえのか? トレーサーでもカメラ好きな奴は多いしな」

「京介君」

「うるせえ、聞きたくなきゃ耳塞いでろ」


 の静止を一蹴した京介は、構わず続ける。


「アイツ、別に生活に困ってるわけでもねえじゃん。プロ目指してんだろ? 支援してくれる人いんだろ? だいぶ前にその人と施設長パパが話してるの聞いたことあんだけどよ、何十万って生活費を渡してるっつってたぜ」


 京介は少しだけ早口になっていた。

 認めたくない何かを誤魔化すように。あるいは逃げるように。


「京介君……」


 も、もう止めなかった。

 祐理と沙弥香を見やる。二人とも既に泣き止み始めており、話にも耳を傾けている。

 袖で涙を拭う祐理を見て、ティッシュを差し出した。「ありがと」祐理のお礼に、えるは微笑で頷いた。


「貴重な高校生活を仕事に費やすなんて馬鹿げてんだろ。それとも貯金か? んなもん社会人になってから考えりゃいいだろうが」

「へぇ、京介君はそう考えるんだね。悪くない志向だ」

「新太さんは違うようだな。聞かせてくれよ」


 新太は後方を向き、祐理にハンカチを渡す。

 既にの分で拭い終えた祐理はふるふると首を横に振った。それを見た沙弥香は、新太の手からハンカチを奪い取り、なぜか嗅ぎ始めた。「沙弥香……」顔を引きつらせつつも、新太は座り直して、


「僕は意外と理にかなってると思ったよ。まず、誰にも気付かれないよう盗撮することは、誰にも見られないよう練習することと似ている」


 練習とはパルクールに勤しむことだ。

 鍛錬を重視するパルクールにおいては、日々の実践を練習だとかトレーニングだとかいった言葉で表現することが多い。


「似てないわよ」


 突っ込んできたのは沙弥香だ。少し声がこもっている。

 ちらりと見ると、火災避難時のようにハンカチで鼻から下を覆っていた。目元がやけに幸せそうなのは見なかったことにする。


「いや、似ている。人目の隙を突いた後に何をするかが違っているだけで、その過程は同じだ」

「過程って何だよ」

通行人の干渉回避ステルス――日向君の得意分野だ」


 京介の問いに、新太はそう答えた。


 ステルスとは新太の用語だ。

 新太は国内随一の実力者トレーサーでありながら、従来のパルクール界隈には無かった概念や体系を数多く提唱している学者肌でもある。


 一方で、実力者はえてしてそういった学問的範疇には興味を示さない。

 京介達も例外ではなかったが、長らく日向と過ごしてきた彼らには日向の本質がわかっている。


 地形や障害物を越えることを考えるのではなく、人という意思を持った生物の対処を考えるという視点――


 それを体系化しようとしているのが新太であり。

 既に独自にものにしているのが日向である。


 そして京介達は、そんな日向を相手に何度も遊び、打ちのめされてきたのだ。

 造語とは言え、新太の言いたいことは理解できた。


「しかも失敗したら死に至る行為リーサルだ。といっても身体的に死ぬわけじゃないけど、不法侵入にせよ、盗撮にせよ、ばれたら社会的に死ぬ」

「一種の命がけっつーことか。なるほどな」


 リーサルという言葉を理解したのは京介と、あとは志乃くらいだった。

 新太は戸惑いを見せるその他女子達をバックミラー越しに見つつも、フォローはれず、続ける。


「僕らはリーサルとは無縁な日常をおくっている。まあ僕はある程度は挑戦することもあるけど、たかが知れてる。でも日向君は違う。――日常だ。彼にとっては、リーサルも日常の一部でしかない」

「そうでしょうか?」


 ここでが疑問をはさんだ。


「そんなに危ないことをしている印象はありませんでしたが」


 女性トレーサーだけあって理解が早い。リーサルという言葉の意味に至ったようだ。祐理と沙弥香も同様である。


「単に見せてなかっただけだと思うよ」

「待って新太さん」

「……祐理ちゃん」


 新太が振り返る。

 泣き止んだばかりの、よく知った少女の顔があった。


 新太は高校生の時、村上学校でパルクールの指導業務についていたが、当時から祐理は何度も日向に泣かされていた。

 一方的に勝負を挑み、あっさりと巻かれ、追いつけないと泣く。

 その慰め役として、新太は何度も祐理を励まし鎮めてきた。

 新太に興味は無かったが、男子を虜にする可愛さは健在で、それが悔しさと、そして変わることのない好意を宿しているのが常だった。


 しかし、眼前の彼女には、当時には無かった成分が一つある。


 吹っ切れた――。

 そんな潔さを感じさせる晴れ晴れしさだ。


「日向をエクストリームスポーツの中毒者みたいに言うのはやめて」

「その様子だと祐理ちゃんも知らないみたいだね。いや、僕も知らなかったけど。東雲さんは違うのかな」


 新太が挑戦的に微笑を寄越してみると、志乃は「はい」自信たっぷりに頷いた。


「……何にせよ、みんな彼の本質を見誤っている。彼を彼たらしめるのは、日常的にリーサルで遊んでいることなんだ」

「エクストリームと何が違うの?」


 祐理の疑問はもっともだった。


 エクストリームスポーツと呼ばれる世界がある。

 極限エクストリームを追い求める個人競技や個人活動の俗称であり、しばしばリーサルを伴う。

 命のやりとりゆえに極度の興奮、高揚、スリルを生み出しやすく中毒性も高いが、失敗したら死ぬという重圧は並大抵ではなく、高頻度で挑めるものでは決してない。


 一方、パルクールはエクストリームの対極を成すものだ。


 パルクールではあくまで己との対話を重視する。限界を認識し、地道に練習を積み重ねることで絶対に失敗しない、負傷しないというレベルの正確性と安定感を身に付け、そして広げていく――


 飛び降りや宙返りといった派手なパフォーマンスが目立つのは、あくまでも鍛えに鍛えた熟練者の結果でしかない。

 そこいらの凡人が真似したところで、いずれ怪我して終わりだ。

 そもそもプロでさえ、そんなに高頻度では行わないし、長時間動くこともない。


 日向とて例外ではないはず。


 祐理達はそう考えている。というより、疑うまでもない前提だった。

 だからリーサルと言われても、エクストリームスポーツのそれしか想像できない。


「エクストリームを過ごす時間の密度さ」


 そう答える新太は遠い目をしていた。


「エクストリームな人達は、一日せいぜい指で数えられる程度しか挑めない。時間にすれば十分じゅっぷんか、せいぜい数十分。でも日向君は違う。何十回、何百回と平気で挑む。いや、挑むなどという表現はおこがましい。彼にとっては呼吸みたいなもので、それこそ数時間は過ごせるからね」

「……」

「そうでもなきゃ、あんな能力水準には至れないんだよ。本当に化け物だよね――そろそろだ」


 皆を乗せたワゴンからは児童養護施設『村上学校』が見えていた。


 周囲を林に囲まれた廃校の小学校校舎は、雨夜あまよを背景にすれば肝試しもはばられる迫力を放つ。

 それを和らげているのが明かりだ。


 校舎にはぽつぽつと淡い光が浮かび、隠しきれない温かな生活感が漏れ出ていた。

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