3 車内1

 天気が急に崩れ、辺りが消灯のように暗くなり始める。

 午後七時前の時点で、外は本を読むのもはばかられるほどだった。


 ざあざあと本降りが視聴覚を遮る中、校舎玄関前に八人乗りの大型ワゴンが停車する。児童養護施設『村上学校』からの迎えだ。


 助手席側のドアから出てきた職員、遠藤が見慣れない女生徒二人に気付く。


「えっと、二人はお友達かな?」

「お友達ですし、お泊まりですよ」


 がにこやかに答えると、遠藤は当惑の表情を浮かべた。


「参ったなぁ。施設長、今立て込んでるんだよね……」


 そこに新太が一歩踏み出す。


「大丈夫ですよ遠藤さん。僕らは全員関係者です」


 新太が手慣れた様子で喋るにつれ、遠藤の顔は少しずつ晴れていった。

 その傍らでは志乃がから握手を求められ、交わしている。続けて真智と京介とも済ませた。


「まめさん、早く行こうぜ」


 京介が率先して後部座席に乗り込む。

 そこにが続き、志乃もついていく。「まめさん?」志乃が問うと、「遠藤さんと言うんです」えるが少し恥ずかしそうに説明した。


「遠藤さん、まめさん…………あ、えんどうまめ、ですか?」

「正解」

「センスねえよな」


 京介がさりげなく会話に混じる。「可愛らしいと思います」志乃が微笑んで返すと、京介は意外そうな顔をした。

 初対面の自分に全く怯まない女子は相当に珍しい。


「京介君。いきなり発情するのはやめなさい」

「ざけんなてめえ。はっ倒すぞ」

「それだけ元気があれば大丈夫ですね」

「……ちっ」


 励まされたとわかった京介は、ばつが悪そうにそっぽを向く。その横では微笑ましさをにじませていた。

 無遠慮で、しかし気心知れた温かさを前に、志乃の表情も自然とほころぶ。


 志乃達の前方、二列目には運転席から真智、祐理、沙弥香が座る。沙弥香が「アンタも泊まるの?」尋ねてきたので、志乃は「はい」首肯。


「……」


 その隣では、祐理が俯きがちに前を見たまま黙り込んでいる。二人が泊まるとなれば、喜んで抱きついてきそうなものだが。

 困惑した二人がを見やると、えるは小さく首を横に振った。


「全員乗ったね。ひー、ふー、みー――」


 運転席の遠藤が指を差しながら数えた後、ワゴンを発進させる。


 街灯に淡く照らされた、広く綺麗な下り坂を下っていく。

 外には通行人もいなければ対向車も無い。車内でも誰も会話しないまま、雨音に混じって走行音とクーラーの稼働音だけが虚しく響く。


「えっと……何があったのかな?」


 遠慮がちに遠藤が口を開くと、「まめさんは黙ってて」真智が一蹴する。

 不満を言いたげな表情を遠藤はつくってみせたが、誰も見向きもしなかった。


「……」


 やがてワゴンが坂の終点、麓に入る前の信号に引っかかる。

 遠藤は助手席に身体を傾け、新太に耳打ちする。


「何があったの?」

「運転に集中してください」

「……」


 新太の態度は普段からは想像もつかないほど無愛想だったが、直後、新太は頬をかいて、いつもの調子で返す。


「一言で言うと、僕達は負けたんです。日向君と勝負して」


 遠藤が言葉に詰まる。


 一職員として彼らが遊んでいるのを見たことはあった。新太のことも知っていた。新太は――目の前の好青年は日本一、いや世界の頂点も狙える逸材だ。

 しかし、そんな存在の口から出る言葉が、あまりにも弱々しかった。


 信号が青になり、遠藤はアクセルを踏む。


 ロータリーを過ぎ、駅前の繁華な通りも過ぎると、広い国道と合流。


「新太さん。アンタでも完敗だったのか?」

「最終的にはね」


 京介の問いに対し、終盤までは悪くない采配だったと。そう言外に主張する新太。


「最後のか?」


 京介の言葉は屋上からの飛び降りを指していたが、女子五人にさしたる反応はない。

 唯一目撃したであろう新太も、既に吹っ切れたのか、至って平静に頷いた。


「ありゃオールラウンダーの動きじゃねえぞ」

「一発屋でも無理だろうね」


 持久力を度外視して瞬発力に倒したトレーサーを『一発屋』と呼ぶ。新太の造語であり、一度動いただけですぐに疲労してしまうという持続性の無さを皮肉っている。


「僕にも無理だ」


 トレーサー『アラタ』があっさり認めたという事実は、あまりにも重い。えるや真智はおろか、運転中の遠藤も思わず振り返るほどだった。


「オレも無理だな」

「というより人間に出来る芸当じゃない」

「何が無理?」


 口を挟んできた真智が新太と京介をきょろきょろと交互に見ていると、「んだよそれ」京介は苦笑だけ寄越した。真智の問いには答えなかった。


 海底にいるような沈黙が続く。

 ワゴンは長い谷をひたすら直進しており、窓を大粒の雨で濡らしていた。


 ふと新太が後方を向く。横目だけ向けた、申し訳程度の振り向きだ。

 真後ろの沙弥香が身を乗り出して反応するが、新太の視線はさらにその後ろに飛んでいた。


「東雲さんと言ったね」

「……はい」

「君は知っていたのか? 彼があれほどの男だという事実を」


 新太が妹から逃げるように前に向き直る中、志乃は逡巡する。


「……」


 バックミラー越しに新太と目が合った。これから日向について語るのだという確かな意志を感じた。

 志乃は肯定するしかなかった。


「どうやって知ったんだ? 彼の偽装は巧妙だったはず」

「偶然です。日向くん曰く、異分子を甘く見ていた、だそうです」

「異分子とは?」


 志乃は口を開きかけたが、ふるふると首を横に振る。


「……」


 ミラーに映る新太の双眸が少しだけ険しくなる。妹の目元とよく似た鋭さだ。


 新太はそれ以上突っ込んでこなかったが、志乃は車内の注目を一手に引き受けていた。

 それもそのはずで、新太と京介――怪物の領域に踏み入れた者しか知らないであろう事柄を、志乃という一介の少女が知っていたからだ。


 とりわけ何か言いたそうに熱烈なのが祐理だった。


「祐理さん?」

「それっていつ?」


 祐理がぐいっと志乃に迫る。


「はじめてお泊まりした時です」

「……もしかして深夜?」

「はい」


 さらにぐいぐいと距離を詰める。志乃との距離は鼻先が触れそうなほどに近い。


「なるほど。どおりあんなに寝るのが早かったわけね」


 一泊したメンバーの一人である沙弥香も思い至ったようだ。


「彼の家で皆さんとお泊まりですか。意外と懐が深いんですね」


 沙弥香やの言葉で、祐理は冷静さを取り戻したようだ。

 志乃に苦笑で詫びた後、どかっと背もたれにもたれる。


「半ば強引に進めただけだよー。日向は渋々って感じだった」

「それでも嫌なら許しませんよ、彼は。三人とも日向君と仲が良いのですね」

「まあね」


 えると祐理が話に花を咲かせ始めたが、ふとがいやらしい笑みを浮かべる。「真智」意味深なアイコンタクトを受け取った真智は「うん」呟くと、両手を祐理に伸ばして、


「ぐえ」


 ぎゅっと強く抱きしめた。


「真智ちゃん、ちょっと……」

「姉さん。まだ何か隠してる」


 有無を言わせない真智の態度に、祐理は何をされるかを悟る。


「え!? わたしっ!? ちょっとタンマ――」


 冷や汗を流しながらも抵抗を試みるが、


「そうはいきませんよ祐理」


 祐理の後方からが両手を伸ばす。

 二対一。祐理は抵抗虚しく力を抜いた。


「姉さん。こっちを見て」

「真智ちゃん……」


 真智は片手で祐理のあごを掴んで固定すると、空いた手で前髪をずらした。

 普段隠されている片目が現れる。眼球は何の変哲もないが、それを真っ二つにするかのような痛々しい刃傷が縦に刻まれていた。


 『嘘発見器』として烈にすら恐れられる、真智の特技が発動する。


「日向について、姉さんはまだ隠していることがある」

「……」


 祐理はだんまりを決め込むが、真智は間もなく「いえす」淡々と呟いた。


「それは日向の実力に関すること」

「……」

「いえす」


 そんな光景を見た沙弥香は「えぐい……」言いながら祐理と距離を取る。


「沙弥香ちゃんが冷たい……」

「姉さん。こっちを見て」


 ぐいっと戻される祐理。


「もう一つだけ。姉さんが知っている日向の実力は、人類史上を超えてるレベル」


 大胆な仮説が飛び込んだことで、車内が静まり返る。

 しかし露骨な反応をしたのは運転そっちのけで振り向いてきた遠藤くらいで、残る全員はさして驚いた様子も無かった。


 そんな総意を代弁するかのように、「いえす」真智が診断結果を述べた。


「姉さん。ありがとう」

「……ううん。こっちこそありがとね、真智ちゃん。えるちゃんも。おかげで現実と向き合えそう」

「なでなでしてほしい」

「いいよー」


 祐理と真智の微笑ましいやりとりに、車内の空気が少し緩む。

 二人の後ろに座るは、ふぅとため息をついてから座り直し、雑談混じりに独り言ちた。


「やはりそれほどの人でしたか」

「やはり、というと?」


 反応したのは新太だ。


「特に明確な根拠や目撃例があったわけではありませんが、私とて長らく彼と遊んだ仲です。超えがたい差があることはとうにわかっていました。将来、歴史に名を残すほどの傑物だという予感も」


 疑問や否定は一つと飛んでこない。唯一「ちっ」不愉快そうに京介が舌打ちをする。そのまま補足を入れるように、


「だな。アイツはおかしいのは今に始まったことじゃねえ」


 京介が両腕を頭の後ろに組む。


「小せえ頃から既に頭一つ飛び抜けてたし、練習量に至っては頭抜けてた。悔しいが、認めるしかねえ」

「アンタらよりも?」

「オレらなんか比較にならねえよ。アイツにとって動くこと、鍛えることは呼吸みたいなモンだからな。ありゃ世界がアイツ一人だけになったとしても、何一つ顔色変えずに生きるぜ?」


 あっさりと負けを認める京介を見て、沙弥香は最後の望みとばかりに兄を向く。


 新太は「同感だ」意味深にそう呟くだけで、妹とは目も合わせない。


「あー、思い出すだけでイライラする。この話題は終わりにしようぜ。これ以上腐っても仕方ねえ」


 車内の空気は最初ほど重苦しくはなくなっている。京介がぺらぺらと喋る横では真智と、祐理と志乃も別々に雑談を交わし始めていた。


「んなことよりもよぉ、肝心な話がもう一つあんだろ」


 しかしその一言で、皆の会話が停止する。


 見て見ぬふりをしていたものに、京介が切り込む。


「盗撮ってなんだよ?」

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