4 開かずの間
体育祭は盛況のまま無事終了した。
その余韻は話題という形で、三十分経った校内でも散在している。
二年A組の教室でも例外ではなく、いつも以上に私語が盛り上がっていたのを担任が叱ったばかりだった。
「惜しくも三位だったが、皆よく頑張った。今日はしっかり休むように」
教卓前で喋る担任が、ふと気付いたように視線を窓側最奥へと向ける。
「特に渡会の功績は大きかった……ってどこ行った?」
空席の隣、祐理に注目が集まる。
「え、えっと……」
祐理は頬をかきつつ、教室前方出入口そばに座る沙弥香を見ると、おもむろに立ち上がった。
「沙弥香ちゃん。あと佐久間くんと成瀬くんも」
琢磨と誠司が身体ごと向けてきたのを確認して、祐理は提案した。
「みんなにも協力してもらう?」
「日向ちゃんに嫌われるよ?」
琢磨がにこにこしながら答えるも、祐理は真剣な表情を崩さない。
そんな状況を見てか、担任も腕を組んだまま次の言葉を待っている。
「いい。元よりそのつもりだもん」
「アタシは反対よ」
沙弥香が足を組み直す。体育祭でも散々活躍してみせた美脚に、何人もの視線が吸い寄せられる。
「騒ぎになったら先生や学校は走るなって言うに決まっているもの。でもアイツが守るとは思えない。そもそも数で攻めて勝てる相手ではないしね」
教室の隅と隅をまたいで交わされる会話に、クラスメイトの大半が疑問を浮かべている。
しかし沙弥香の発言は、当事者の誠司と琢磨もそうさせた。
一方、祐理はすぐに頷く。
そんな祐理を見ていた琢磨が「なるほどね」間もなく得心した。
「パルクールを知る者にとって、雑魚の物量は大した
どこか挑発めいた物言いをする琢磨だが、その表情は、爽やかなイケメンにそぐわず自虐的だった。
どう反応していいかわからず、教室内に当惑の空気が充満し始める中、祐理は気にせず肯定している。
ここで担任が口を開いた。
「よくわからんが、渡会は意図的にサボってるんだな?」
「うん」
教室内がざわめき始める。目撃談から不満まで、ぽつりぽつりと漏れ出した。
「わかった。来週叱っておこう」
それから進行は担任に切り替わり――数分後には解散となっていた。
会話と往来がざわざわと飛び交う中、
「先生、いいの?」
教卓前の自席から琢磨が尋ねた。
「何がだ?」
「いつもならもっと怒るじゃん。なのにさっきはなんていうか、仕方がないって納得してるように見えた」
「せっかくのムードを台無しにするのも気が引けるだろ」
担任が視線を上げる。琢磨のそばに集まっている沙弥香、祐理、誠司にも聞かせるように、
「それに渡会は真面目な生徒だからな、信頼している。お前らとは違ってな」
「せんせー、そりゃないわー」
誠司が皆の笑いを誘った。「自業自得ね」沙弥香も呟く。
いつものメンツの、いつものノリ。
しかし、皆の顔はすぐに引き締まる。
沙弥香は席を立ち、
「よしっ。モタモタしてないで、早く行くわよ」
「そうだね」
「それじゃせんせー、おつかれっす」
「……ああ」
スマホとイヤホンを片手に、足早に教室を出るトップカースト勢。
彼らが見えなくなった後、担任は机に目を落とす。
荷物は残ったままだった。
片耳にイヤホンを装着し、スマホに目を落としながら歩く祐理達。
その前に一人の人影が立ち塞がった。
通行人の目を奪う佇まい――春日春子だ。
「春子ちゃん? どったの?」
「ちょうど良かった。渡会日向を見なかったか?」
校内一のご令嬢と美少女。そのくだけたやりとりに、周囲の足が止まる。
迷惑にならないよう祐理が隅に動くと、春子もすぐに従った。
「今から探しに行くの。春子ちゃんも参加する?」
「参加?」
祐理が琢磨らに目配せをする。異論は無いようなので、早速春子にも状況を共有した。
「――なるほど。やはりそれほどの男だったか」
数分後。
春子は口を動かしながらも、手元のスマホに目線を落としていた。
画面には音声会議のウィンドウ。最新メッセージとして春日春子が参加した旨の通知が表示されている。
「春子といったか。てめえもまあまあらしいが油断すんじゃねえぞ」
乱暴な声音が飛んできた。京介の第一声だ。
その初対面とは思わない発言に、春子は豆鉄砲で撃たれたハトのような顔をする。「ぷっ」祐理が思わず吹き出した。
「おい、聞いてんのかこら?」
誠司が「あかん」と呟き、なぜか琢磨の背中に隠れている中、春子は微笑を浮かべて。
「――ふっ。彼のことは知っている。油断などしないさ」
「ならいい」
通信が一段落したところで、沙弥香が切り出す。
「それじゃ行動を開始するわよ。手筈通りにね」
先導して皆と分かれる沙弥香に続き、各自も持ち場に向かった。
日向捕まえ隊の、校内勢の作戦は至ってシンプルだ。
一つ、各自の持ち場に日向が潜んでないかを調べること。
一つ、日向を発見したら追跡しつつ、その情報を皆と共有すること。
一つ、焦らず長期戦になることも念頭に置いた上で、じわじわと追い詰めていくこと。
唯一の出入口である正門は、京介らが守っている。
それだけで食い止められるのか沙弥香は不安だったが、音声通話越しの説明と、チャットにて共有された動画を受けて納得した。せざるをえなかった。
京介だけじゃなかった。えると真智も相当な実力者だ。どころか部分的には沙弥香も超えていた。
加えて三人は日向と付き合いが長く、さらには互いに連携して動くことにも長けている。
まさに対日向と呼ぶにふさわしい。
――エグいわね。
沙弥香が思わずそう漏らしてしまうほどの布陣に思えた。
正門からは、抜けられない。
かといって敷地の周囲は二メートルのフェンスで囲まれ、その先には高密度な草木――天然のバリケードが巡らされている。ここを越えるのは物理的に不可能だろう。
仮に越えようとしてもセキュリティに引っかかり、けたたましい警報が鳴る。去年もボールを取ろうとした男子生徒がやらかしている。
結論として、日向は明らかに袋小路だ。
あとは隙を見せないよう、じわじわと追い詰めていくだけでいい。
「こちら沙弥香。特別棟四階は異常無しよ。各教室、トイレ、窓側の外、と全部見て回ったわ」
「男子トイレは?」
「ちょうど一年がいたから、とっ捕まえて見てもらったわよ」
「さすが沙弥香だね……。オレの方、一般棟五階も異常は無さそうだよ。一年生フロアだから、隅々まで見るのはもうちょっと時間かかるかな」
「コミュ力お化けのアンタが頼みなんだからしっかりやりなさいよ」
音声会議上でリアルタイムに情報が共有されていく。
「こちら誠司や。特別棟の周囲見とるけど異常無いで」
「わたしも異常ナッシングだよー。てか体育館、柔道場ってわたし一人だけ広くない?」
「春日だ。北側のプール周辺を見て回っているが、問題は無い」
各位からの報告も聞きつつ、沙弥香は慣れないイヤホンの位置を微調整しながら階段を下りる。
「ホントどこに潜んでるのかしらね……」
小声でぼやきつつ、一箇所ずつ見て回る。
特別棟三階、二階、一階――。
校内はクーラーが効いているのが幸いで、休憩や補給無しに潰していけた。
しかし収穫は無かった。
一階の渡り廊下を歩く。
他階とは違って壁や窓の一部が取っ払われており、正門や中庭と直に繋がっているエリアだ。今日はずっと開放されていたからか、地面の汚れ具合がひどい。
完全下校時刻になると、通路を塞ぐようにシャッターが下ろされるらしいが、沙弥香はまだ見たことがない。
立ち止まって南を向くと、正門が見えた。
通りがかる体操服の数はまばらだ。
「静かね……」
既に体育祭を終え、生徒も早々に帰宅している。今日は部活動が無いからか、気味が悪いくらいに喧騒が乏しかった。
反面、敷地外の自然から発せられるセミの泣き声は、未だ止む気配が無い。校舎の防音仕様もあって普段は気にならないはずだが、壁の無い、この渡り廊下だと響くようだ。
「……」
何か致命的な見落としがあるような予感を感じつつも、結局何も思い出せず、思いつかず。
沙弥香は「特別棟は終わったわ」報告という形で降参した。
間もなく誠司や春子からも同様の一報が入る。
次いで祐理、最後に琢磨。
スマホが示す時刻を見ると、午後五時半を過ぎていた。
「――もしかして、もういなかったりして?」
その琢磨の音声は、皆の予感を代弁していた。
少し間があった後、
「そんなはずは、無いと思うけど……」
祐理の自信無さそうな声音。
直後、「んだとこら」京介の怒声が重なった。
「こっちは見逃してねえぜ。つーかよ、てめえら揃いも揃ってバカなのか?」
「うっさいわね、見張りが偉そうに」
沙弥香は思わずきつく言ってしまう。
結果が出ない苛立ちが乗ってしまったのだと後悔するも、相手は京介。撤回しないことを即決する。
「春高には詳しくねえけどよ、一つ見てねえとこがあんだろが」
京介もまるで気にした素振りがなかった。
「どこよ? 一通り見たわよね?」
琢磨や春子も交えて分担したのだ。見逃しがあるとは思えない。が、
「あ」
「あー」
祐理と琢磨の声が重なったのを聞いて、沙弥香も思い至る。
「……たしかに。バカね、アタシら」
そのまま答え合わせに続いた。
「屋上ね」
「はぁ? 入れへんやろ」
「アイツなら出入りできるわよ」
「鍵でも複製しとるんか?」
「春子。アンタなら鍵とか手に入るんじゃないの?」
「可能だ。生徒会長に同伴して、先生に頼んでもらう手筈になる」
「面倒くさそうね」
「春日さん。悠長なことは言ってないで、すぐに取ってきて」
的を得ない誠司をスルーして、音声によるやりとりが続き――
「――では渡り廊下五階に集まってくれ」
「なんでや、屋上前でええやろ」
「わからず屋ね。気付かれるでしょ。アイツは勘も良いのよ」
「それもそやな。頭ええな沙弥香」
スマホから届く足音は全体的に勇んでいた。
想像に違わず、数分もしないうちに全員が集結。
さらに数分後、春子もやってくる。その手には鍵――カードキーらしく交通電子マネーのようなカードだ――の他に紙袋もぶら下がっていた。
「にしても盲点だったね-。全然思いつかなかったよ」
「そうだね。ちょっと悔しい」
春高の屋上は、普段開放されることのない開かずの間である。
春高生にとっては最も存在感の薄い場所とも言えた。祐理らがこぞって発想に至らなかったのも無理はない。
渡り廊下を歩きながら、琢磨は単純な疑問を口にする。
「ねえ春日さん。春高が屋上を閉鎖してるのって何か理由があるの?」
「単に管理が面倒だからだと父は言っていたな」
「なんていうか自由だよね、理事長さん」
「しっ」
屋上に繋がる階段の前で春子が振り返る。唇に人差し指を当てたジェスチャー。
荘厳な彼女には似合わず可愛らしいものだったが、その表情は分相応に引き締められている。
「おそらく彼はこの先にいるだろう。慎重に行くぞ。物音を立てるな」
春子が全員の表情を舐めるように睨む。間もなく一切の私語が消えた。
そばを一年生が通りがかるが、誰も見向きもしない。春子は「よし」頷いて、
「ここからは連携が重要になる。作戦を教えるから、しっかり頭に入れてくれ。まずはこれを――」
紙袋から取り出したのはハンズフリーキットだ。小型のワイヤレスイヤホンにしか見えないが、受信のみならず送信も行え、ノイズキャンセリングと指向性も備えたスグレモノである。
春子はこれを皆に装着させた。無論、手を空けたまま通話できるようにするためだ。
「……それと、念のため彼らにも付けておこうか。佐久間。頼めるか」
「りょーかい」
琢磨は春子から紙袋を受け取り、軽快に階段を駆け下りていった。
正門を守備する京介、える、真智にも届けるためだ。
なお琢磨を選んだのは、体力と説明の上手さを考えてのことだ。誰も異論は差し込まなかった。
その琢磨が数分ほどで戻ってきた後、改めて音声テストを行い、全員の導通を確認。
「――セットアップは終わったな」
春子の双眸は一切の雑談を許さない、緊迫したものだった。
「続いて作戦だが――」
小声のまま、さらに数分ほど打ち合わせてから。
春子は部隊長のように皆を引き連れ、忍び足で階段を上がっていく。
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