3 無慈悲

 全校生徒が、教職員が、来客が校舎を見上げている。

 仮に屋上から見下ろす者がいたならば、まるで何百もの視線が突き刺さっているかのように感じられるだろう。

 しかし日向は平然とカメラを構えていた。無論、姿そのものを晒すことはない。グラウンドで整列する女子ターゲットを捉えられる程度に、カメラだけを露出させている。


「残るは二チームですが、同時に発表します!」


 生徒会長、中根寧音なかねねねによる結果発表が続いている。

 日向の位置からは見えないし、映えない者を撮る価値など無いが、彼女の高揚と興奮が見て取れる声音だ。


 ファインダーには体操服越しの胸部が映っている。

 今の被写体ターゲットは下着が少し透けており、色まで分かるほど鮮明だ。


 閉会式を、日向は迷うことなくサボっていた。

 女子の立ち姿はの撮り方では映えないため、リスクを考えれば撤退するべきである。

 しかし、それでも撮れば撮るほど良いと言えた。胸部の正確無比な遠隔ズームスナイプ自体が稀少であり、の専売特許にも等しいため、単純に出せば出すほど稼げるからだ。


 そもそも既に不審と不信をばらまきすぎている。今さら保身に走ったところで意味はない。

 ここに潜んでいることがばれさえしなければ良いのだ。


「一位は――――D組チームですっ!」


 直後、校舎が揺れるほどの大歓声が沸き起こった。

 それでもなお、が映し出す光景は揺れない。


(音声のカット、やらないとなぁ……)


 どころか動画の編集加工作業に意識を寄せるほどに、日向には余裕があった。


 数ヶ月前の日向ではこうもいなかった。スポーツテストの時は超集中ゾーンに入り、体力を総動員して撮れていたものだ。

 それが今では、別のことを考えながら単調作業をするかの如くこなせている。


 とどのつまり、日向は未だ成長の最中にあった。


 その口元が愉快そうに歪む。

 くわえられていたゼリー容器が自由落下を開始する。


(よし次)


 容器が地面に落ちる前に、日向はカメラを微動させて次の被写体に切り替えた。


 同時に片足で容器を蹴る。足元にあったら邪魔だからだ。

 凄まじい速度で繰り出された足払い。これを受けた容器はライナーのように吹き飛んでいき、ばんっと壁に叩きつけられる。


 ファインダーには既に次の女子が映っていた。

 闇雲に狙ったものではない。誰をどの順番で撮るかは、すべて日向の脳内で決まっている。

 ただの立ち姿は他の動画と比べると刺激が足りないため、アクセントを付けるのが好ましい。そこで日向はJKPJKぺろぺろ動画の容姿ランキング――カミノメのフォーラムにてファンによる投票が行われており千を超える票が集まっている――に従い、トップ5の女子のみに狙いを絞っていた。


 眼下に広がる、何百という人の海。

 これを前にしても、日向は盗撮対象ターゲットを数瞬で見つけ出せる。そもそも誰がどの位置にいるかは記憶しているし、想像シミュレートもできれば、撮影中の光景をインプットにして補正することさえも可能だった。

 日向に自覚は無いものの、自身の最大の武器は遺憾なく発揮されているのだった。


 同時に、その無慈悲さも牙を向いている。

 今現在、犠牲者として映っているのは――沙弥香の胸部だった。




      ◆  ◆  ◆




「……何してんだお前ら」


 閉会式の後、烈が正門を抜けると、見知った顔が三つほど待機していた。


「見張ってんだよ。アイツを逃がさないためにな」


 その必要は無い、と言いかけて、烈は悟る。


 日向には既に帰省を命令している。日向が抗うとは思わないだろう。

 にもかかわらず、この守り。


 ということは、やはり日向は何か後ろめたい事情を持っているのだろう。そうでもなければ、父の目があり人目も多い体育祭の最中で、あえて不審な逃走行動をする理由がない。

 そして日向は、それを隠蔽するための最終段階として、いったん帰宅する。京介達はそう踏んでいるのだろう。


施設長パパ……」


 対向側の歩道に立つ真智の、どこかすがるような眼差し。

 しかし抑えきれない緊張と高揚が滲み出ており、周囲への警戒も怠っていない。その隣のしっかり者も同様だった。


「迷惑かけないようにな」


 烈は娘達の破顔を見ることもせず、その場をあとにした。


 長い下り坂を、ゆっくりと下る。


 ――手のかかる息子日向が何をしているか。


 気にならないと言えば嘘になるが、必要以上に干渉しないのは烈のポリシーである。


 烈は児童養護施設『村上学校』の長だ。

 拠り所の無い子供たちを救うことを使命としている。


 救いとは何か。

 それは主体的に自立できる力を手に入れさせることだ。

 魚を与えるのではなく、その手段や多様性を教えることだ。


 釣り方を。

 色んな池が存在することを。

 色んな魚が生きていることを。

 同じ池に何人もいることや、同じ魚を皆で取り合うことを。

 協力して手に入れることもあるということを――。


 救えれば、手がかからなくなる。

 手が空けば、次を救うことができる。


 そうやって使命の具現を広げていく。

 それが烈の決意であり、信念であり、人生目標であった。


 だから一人の子供に入れ込みすぎることなどあってはならない。

 それがたとえ才に優れる者であっても。


「杞憂であってほしいところだがなぁ……」


 少し前の会話を思い出す。




 ――正直びっくりしています。あんな生徒だったとは。


 ――彼は運動がからっきし苦手だったんです。その女々しさを男子にからかわれるほどでして……




 日向の担任が漏らした感想だ。

 烈は午後、日向の担任と少しだけ話す機会を設けており、普段の日向について共有していた。


「たしかに引っかかる点は多い」


 日向の演技力は知っている。


 抜群の観察力と繊細な身体感覚による模倣エミュレーション


 その片鱗は小学生時代から発揮されていた。日向が他の子の動きを正確に真似してみせる光景や、病人よりも病人らしい言動で仮病をすることなど珍しくもない。烈が騙されたことも一度や二度ではなかった。

 当然ながら他人を騙し通すことも容易いだろう。

 現に担任を、クラスメイトを、全校生徒を欺いている。


「……」


 烈の意識は、日向とのやりとりを掘り起こす。




 ――凄いな。俳優でも目指したらどうだ? 実力があれば融通の利く仕事だ。お前にも合っている。


 ――何言ってるんですか。人間ほど単純で真似しやすい生物なんてそうはいませんよ。




 日向本人は覚えてないだろうが、烈には印象的だった言葉だ。

 何気なく当たり前のように呟かれたからこそ、その逸脱と狂気が強調される。「生物」なんて単語は、普通は出てこない。




 ――それに真似するのは退屈だし面倒なんで嫌いです。




「……そうだな。日向はそういう子じゃない」


 そもそも自分を隠す理由が無いのだ。むしろ隠すのに労力を使うくらいなら、逆に見せびらかし見せつけることで実力を示し、周囲を黙らせるだろう。


 もっとも以前、祐理が何気ない会話LIMEで言っていた通り、パルクールのプロとして華々しくデビューするための戦略として今は伏せる、というやり口はありえる。

 しかし、もしそうだとするなら、たとえ烈が命じたとしても体育祭で実力を出す真似はしなかったはずだ。どころか、逆に「プロになるために必要だから」と弁明するのが自然でさえある。


 にもかかわらず、日向は弁明もしなかった。烈が課した制約――体育祭を真面目にやることを素直に受け、今まで積み上げてきた秘密をあっさりと暴露した。

 一方で、烈に文句を言われない程度に体育祭をサボり、こそこそと何かをしている。


「何を企んでいるかはわからんが、少なくともプロどうこうの話じゃなさそうだ。アイツは気付いているのか?」


 旧知の悪友、陣内を思い浮かべる。


 あれはあれで食えない男だ。

 烈が任せたのは日向をプロトレーサーにすることだが、あの男もまた才能という言葉が似合う存在である。パルクール以外にも日向を生かそうとし、かつ日向自身を納得させることも難しくないだろう。むしろ、そうするのが自然とさえ言えた。


 だからこそ以前、金儲けの道具にするなと直々に忠告したのだが。


「まあいい。今夜、背中を流してもらいながら、たっぷり聞こうじゃないか」


 それでも烈は、日向が今夜だけ帰ってくることは疑っていなかった。


「……それにしても長いな」


 下り坂はまだ続く。一キロ近く伸びているらしい。バスも通っていないというのだから、生徒には同情しかない。

 烈は健康のためになるべく歩くタイプだが、今日ばかりは後悔した。「ふぅ」ポケットからハンカチを取り出し、汗を拭う。


「お帰りですか」


 好青年の声だった。


 顔を上げると、想像通りの人物が立っている。

 どう見てもスポーツ選手にしか見えない体躯が、肩にリュックを担いでいる。変装用のサングラスも変わらず装着してはいたが、先ほど貼り付けていたはずの、社交辞令の愛想は見当たらない。


「新太君。もう帰ったと思っていたが」

「体を温めていただけですよ」


 何のために、とは聞かない。

 この男もまた、魅せられた者の一人なのだから。


「そうか。程々にな」


 会釈する新太の横を通り過ぎる。

 一度振り返ってみたが、そのたくましい背中がこちらを振り返ることはなかった。


 ふと日差しが弱いことに気付き、天を見上げる。

 厚くて太い、空を食い尽くすかのような積乱雲が、いつの間にか存在感を放っていた。

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