2 配置

 北側から退場する日向の背中に、複数の視線が刺さっている。

 見えなくなった後、刺していた一人――祐理が立ち上がった。


「またどっか行く気だ」

「今は放っておきなさいよ。一応真面目にやってくれたみたいだしね」


 日向の走りは圧倒的で、彼の代名詞と言える安定感は素人でもわかるほどに映えていた。

 沙弥香も立ち上がり、「すみません」会釈して通り抜けつつスタンドを出る。


「昼からずっといなかったし、ホントどこ行ってたんだろうね」

「知らないわよ。外は暑いし、校舎の中じゃない?」


 二人は邪魔にならないよう縦に一列になって歩く。南側のテントエリア――京介たち施設勢がキープしている席へと向かう。


「巡回があるはずだよね」

「アイツ、どうせ隠れんぼも上手いんでしょ?」

「うん。憎たらしいくらい」


 祐理は「あっちー」呟きながらタオルで汗をぬぐう。ついでにタオルコーナーに寄って交換した。

 沙弥香は最初、見ているだけだったが、結局新品を手に取った。

 そのまま顔だけでなく身体も拭く。まくし上げた体操服から、へそが露出していた。周囲の視線――男子生徒や来客の男性達が葛藤しているのがわかる。


「だとしても妙ね。仮に校舎に潜んでいたとしたら、ああして障害物競走に参加する前に、一度は外に出たことになるわ。警備員と、この人混みをかいくぐってね。まあ警備員はさておき、人混みに見られたからってどうにかなるわけじゃないだろうけど」


 回収ボックスに放り込まれるタオル。

 沙弥香はもう一枚手に取り、首にかけてから歩き出した。


「日向ならできそうな気がするけどなー」

「無理に決まってるじゃない。何人来場してると思ってんのよ」


 歩きながら辺りを見回す沙弥香。ピークは過ぎたが、まだ駅前のような混み具合で、直進し続けることさえ難しい。


「それに、そんなことはもはやどうでもいいわ」


 テントエリアに到着。その一画では、昼休憩の時と変わらず三人がくつろいでいた。

 真智が校舎側の巨大ディスプレイを見ながらぼうっとしている横で、えるが手を振ってくる。祐理も振り返した。沙弥香は軽く挙げただけだった。


「遅えんだよ」

「うっさいわね」


 椅子の上であぐらをかく京介が沙弥香を睨む。


「なあ。アイツ、さっきも手を抜いてたよな?」

「そう?」


 沙弥香が女子達に視線を飛ばすが、祐理も、えるも真智も同様の反応を示す。

 なぜそう思えたのか、真意を問おうと沙弥香は口を開こうとしたが、


「まぁどうでもいいけどよ」


 京介が割り込むように席を立つ。


「そろそろ配置につくぜ」

「そうですね」


 えるも立ち上がり、「うん」真智も続いた。


 午前中に祐理が急きょ提案した『日向捕まえ隊』。

 その作戦は昼休憩の後、午後からも煮詰められていた。


 当初は体育祭の最中でも隙あらば捕まえるつもりだったが、祐理ら春高勢が思っている以上に忙しいのと、校内の人混みや喧騒も想像以上にハードなことから断念することに。

 結果、体育祭中は深入りせず、その後に日向を包囲しつつ追い込んでいく――そんな手筈となった。


 施設長直々の鑑賞もあり、日向は少なくとも体育祭中は敷地内を出ないだろう。しかし、その露骨の逃走やサボり具合を見れば、閉会式後もその保証は無い。

 これに警戒するため京介、える、真智の三人が正門で張ることとなっている。


 校内の出入口は正門だけであり、ここを固めれば日向は袋のねずみとなる。

 この状態で校内を動き回り、日向を追い詰めるのが春高の生徒――祐理、沙弥香、琢磨と誠司の役割となっている。


「あっさり抜かれるんじゃないわよ」

「誰に言ってんだてめえ」

「アイツはエグいわよ?」

「んなこたぁ知ってる」


 京介だけでなくと真智も真剣な、しかしどこか意味深な表情で頷いていた。


「何かあったら会議室に書くからよ、ちゃんと見ろよ」


 京介の提案で既にスタック――春高が用意したものではなく京介達の私物である――を用いた音声会議が開催されている。

 参加者はこの場の京介、える、真智、祐理、沙弥香に加え、琢磨と誠司も合わせて計七人。

 この機能により、全員がほぼリアルタイムに発声とチャットでやりとりできるようになっていた。無論、日向を捕まえるべく連携するためだ。


 間もなく京介達と散会した。

 その背中が通行人で見えなくなったところで、


「アタシらも行くわよ」


 沙弥香も立ち上がる。

 対して祐理は、見るからに気怠そうな様子。タンクトップのようにまくられた二の腕と、その先の豊かな膨らみが相変わらず眩しい。


「ほらっ」


 力尽く腕を引いた。「ぐえー」とは祐理の声。


 もうじき最終競技――男女選抜のクラス対抗リレーが始まる。

 女子トップクラスの運動能力を持つ祐理と沙弥香は当然ながら参加であった。琢磨と誠司も既に向かっているだろう。


 一方、日向は参加していない。本人の半ば強引な希望により免除されている。

 その代わり障害物競走で確実に一位を取らせると日向は語っており、現に見せつけてみせた。


「思えば、だいぶ周到に計画されていたようね」

「ほぇ?」

「スタックを提案したのも自分の時間を捻出するため。少しでもパルクールしたいから、と言われたらそれまでだけど、どうも引っかかるのよね。お父さんも来てるんだし、今日くらいは割り切っても良いだろうに」


 首を傾げる祐理をスルーして、自らの思考を整理するかのように呟く。


「まるで今日、この場で時間を捻出することが重要であるかのように見える」


 しばし無言のまま、器用に通行人を交わしつつ歩いていたが、その先は何も思いつかなかった。


 ふと、気になっていたことが口に出る。


「それより志乃はどうしたのよ?」

「さ、さぁ?」


 横顔だけでも嘘が下手なのが見て取れる。沙弥香はくすっと笑みをこぼす。


「た、体調が悪い、みたいだよ?」

「ふうん」


 志乃と離れたのは午前終盤、バケツリレーの後からだ。

 それ以来、一度も会話していない。暑さか疲労か、テントで休んでいるのは見ているが、向こうにもこちらを探す素振りは無かった。


「喧嘩でもした?」

「……」


 祐理のこうべが微かに揺れる。縦にも横にも。「どっちよ」言うと祐理は苦笑して、


「ううん。音楽性の違いってやつ」

「音楽、ねぇ……」


 沙弥香が思い当たる対象は一つしかなかった。


「うん。沙弥香ちゃんも好きなやつ」

「そうね」


 集合場所に着いた。

 クライマックスにふさわしい、好戦的なムードが漂っている。集まっているのは実力者揃い。言わばここまで目立ってきた生徒が一堂に会している。


 少し離れた地点には琢磨と誠司もいた。二人とも別行動で、知らない女子と雑談している。


「……まあいいわ。申し訳ないけど、志乃の体力なら足引っ張るだけだしね」


 それが『日向捕まえ隊』のことを言っているのは明らかだった。


「さ、ここから正念場よ。気合い入れなさい」


 ばしっと背中を叩いてみせると、「ありがと」想定外に穏やかな、そして可愛らしい微笑みに返ってきて、沙弥香が逆にたじろぐこととなった。


「なんて笑顔してんのよ。……アンタがモテるのもわかるわ」

「わたしは沙弥香ちゃんが羨ましいかなー。だって日向、沙弥香ちゃんの方がタイプだもん」

「まだそれ言ってんの」


 言いつつ、口元が緩む沙弥香であった。


「ありがと沙弥香ちゃん。もう大丈夫。絶対捕まえようね」

「ええ」


 沙弥香はもう一度祐理の肩を叩くと、持ち場につくため離れていった。

 その後ろ姿を見送った後、祐理は。


「――うん。今度こそ負けない。絶対に」


 捕まえ隊としての決意を固めるのだった。

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