7 昼休憩

「うー……」

「いつまでもねてんじゃないわよ」


 グラウンド南側のテントエリアでは白いテントが連結され、長テーブルが並んでおり、主に来場者が昼食や談話を楽しんでいる。暑さには苦戦しているようだが。

 生徒の数は目に見えて少ない。クーラーの効いた教室が使えるのだから当然だろう。


 祐理と沙弥香は、そんなテントエリアの一画に腰を下ろしていた。


 祐理はテーブルに伏している。置かれた弁当箱は開封されていない。

 よく見ると、赤色のはちまきを首に巻きつけている。その意図を沙弥香が尋ねようとすると、


「いた」


 淡白だが、不思議と透き通る声だった。

 見ると、片目を前髪で覆った女の子。

 その隣にはもう二人。ジャージ姿だがグラマラスな体型を隠しきれていない黒髪の女子と、『狂犬』とでも呼ばれていそうな迫力の男子。

 祐理は振り返って「おいっすー」気怠そうに手を挙げ、また伏せた。


 三人はすぐに腰を下ろしてきた。

 女子二人が祐理の左右をはさみ、その対面に座る沙弥香の隣に男が来る。彼は座ると同時に、


「祐理のダチか?」

「ええ、マブダチよ」

「オレは三熊・リー・京介。祐理に片思いしてる系男子だぜ。よろしくな」


 逞しい手が差し出された。


「新井沙弥香よ。アイツよりはよっぽどいい男ね」

「だろ?」


 沙弥香が京介と握手する。

 そこに「沙弥香ちゃん」反芻はんすうするかのような呟きが割り込む。


「あなたが噂のライバル」


 無表情な片眼に覗き込まれていた。


「ライバル?」

「姉さんは私のもの。でも姉さんはあなたの話ばかりする」


 彼女が祐理の腕に抱きつくと、「うえー」祐理が気怠げな声をあげた。


「ごめんなさい。この子、祐理に懐いてるから」


 真智の反対側に座る女子がそう応える。


「あなたは?」

「鶴江えると申します。彼女は宮野真智。私たちは祐理の家族です」

「そっ。よろしく」


 施設のメンツとここで落ち合う旨は祐理から聞いていたばかりだ。首のはちまきは目印だったようだ。

 そのはちまきは、真智が早速外している。なぜか匂いを嗅いでいた。


「聞いてるぜ沙弥香。祐理並に強いんだって? あとでオレと手合わせしてくんね? 祐理と二人でいいからよ」


 見た目は筋金入りの不良そのものだが、その目にはどことなく童心が宿っている。

 滲み出る身体のポテンシャルといい、トレーサーとして強者なのは間違いなさそうだ。


「ずいぶんと自信があるのね」


 何を競うとは問わない。性別差を考慮した上で、トレーサーが競うとなれば追いかけっこチェイスの他にない。


「違う。沙弥香は私達と遊ぶべき」

「いいですね。祐理も含めて四人で遊びましょう。何ならうちに来ます?」

「てめえら、オレをけもんにすんじゃねえ」

「面白そうじゃない。ぜひ行くわ」


 沙弥香も早くも壁を取っ払い、えるに乗る。


「何と呼べばいいでしょう? 沙弥香で構いません?」

「ええ。私も、真智、で良いわよね?」

「はい」

「うん」


 京介の強さが気になる沙弥香だったが、女子トレーサーにとって同性の仲間は貴重だ。京介への興味は霧のように消えていた。

 普段教室で見る女子のように、沙弥香たちは早速会話で盛り上がる。


 一方、京介はというと、いつの間にか来ていた琢磨誠司コンビと話していた。

 二人とも、この見た目にまったく気後れせず、もう打ち解けているのはさすがだった。


 どんっ。テーブルに何かを置かれた。

 えるの持参物らしい。風呂敷に包まれたそれは、大きな弁当箱だ。


「沙弥香も食べますか?」

「食べる」


 応えたのは祐理だ。笑顔が戻っている。


「えるちゃんの料理でパワーを充填するっ」

「私は姉さん成分を充填する」


 真智がぎゅっと祐理の腕を抱きしめる。


「真智ちゃん、ちょっと暑いかな……」

「ぷっ」


 沙弥香は思わず吹き出した。

 祐理が姉のように慕われている光景は、普段とは似ても似つかない。まだまだ知らない顔をたくさん持っているのだろう。


「何でもないわ。食べましょう」


 自然と顔がほころぶのを自覚する。

 柄に合わないことは知っているが、そんなことを気にする間柄ではない。パルクールという共通言語は、言語や人種の壁さえ、いとも簡単に超えてくれるのだから。


 それでも、学校の顔なじみについてはその限りではない。

 沙弥香は少しだけばつが悪そうに、横目で様子をうかがう。


 彼らは腕相撲をしていた。


「え、ちょ、ま、ウソやん!? ――うへっ」


 誠司が赤子のように瞬殺された。

 力比べでは琢磨も凌駕し、スポーツテストの握力では70kgを超える男が、いとも簡単に。


「凄いな……。英才教育でも施されているのか?」

「そうでもねえよ。オレが強えだけだ」

「今のはナシや京介。もう一回。もう一回勝負するで――ってなんや、さやちん」

「往生際悪いわね。力の差は歴然でしょうに」


 沙弥香はさりげなく京介の二の腕を観察する。


 しなる鉄骨――。

 そんなイメージが思い浮かぶ。大柄な体躯をトレーサーとして機能させるだけの物量があり、それでありながら必要十分の筋肉。

 敬愛する兄とも違えば、最近気になりだした同級生日向とも違うタイプだ。


「どうだ祐理? 惚れただろ?」

「べっつにー」


 その一言は、京介の意中を悟るには十分だったらしい。ひねり潰された二人は、憂さを晴らすように京介をいじり始める。


 いつもより暑く、いつもより賑やかなランチタイムが始まった。






 食事も会話も一通り落ち着いたところで、祐理が突然立ち上がった。


「日向捕まえ隊を結成します! メンバーを募集するっ!」

「まだ諦めてないのね」

「当然だよ。今日のあやつは怪しすぎる。絶対に暴いちゃるもん」

「……みんな物好きね」


 沙弥香は腕と足を組みつつ、興味を示していた残り全員に聞かせるように嘆息した。


「タクマン、渡会君の次の出番っていつや?」

「障害物競走だから、三時からだね」


 沙弥香が校舎に目を向けると、大型ディスプレイは十二時半を示していた。


「祐理。詳細を訊かせてください」


 事態の飲み込めない施設勢に対し、祐理は日向が逃走した旨を共有。


 彼らの感想は「日向君らしからぬ怪しさですね」えるの一言に集約されていた。


「で、どうすんだ?」


 京介が問うと、「そうだな」琢磨が応える。


「各自が自分のペースで日向ちゃんを探す。で、捕まえたり追い詰めたり、何か重要なことがあったら連絡する。――これでどう?」

「いいんじゃない?」


 琢磨の提案に沙弥香も同意する。本音を言えば体育祭に集中したかったが、一人だけ無関心を装うほど強くはない。


「ご褒美も欲しいよね。一ノ瀬さんの案だし、そうだな……日向ちゃんを捕まえたらデートしてくんない? 一日デートね」


 琢磨がとびっきりの笑顔を祐理に向ける。

 校内屈指の容姿は健在らしく、「女たらし」真智が呟くほどだった。


「は? 何言ってんだてめえ」

「京介もだよ。捕まえたら一ノ瀬さんとデートできるんだぜ? こんなチャンス無いでしょ?」


 真智とほぼ同時に反応してきた京介にも、琢磨は冷静に主張してみせる。


「たしかにそうだな。いいぜ! 乗った!」

「え、キモいんだけど」


 沙弥香が京介に侮蔑の眼差しを向けるも、京介は「るせえ」気にせず一蹴。

 そんな中、真智とえるも同意を示す。誠司は祐理に配慮してか、控えめに頷いていた。


 全員の視線が祐理に集まる。

 半分ネタみたいなものだ。断りのツッコミを入れても許される空気だったが、


「……いいよ」


 その回答も、表情も、気味が悪いくらいに落ち着いている。


「祐理。アンタ……」

「お兄ちゃん離れ。しないといけないからねぇ」


 沙弥香から見た友達の顔は、少しだけ陰っているような気がした。

 しかし確かな意志も感じられた。


 沙弥香でさえそう見えたのだから、彼らに見えないはずがない。実際、場の空気はどこか重たい。


「では、ルールを整理しましょうか」


 えるが改めて取り仕切る。


「体育祭が終わるまでに日向君を捕まえる。ただし彼が出場する競技の、前後の時間帯は禁止。捕まえた人は、希望者に限り祐理と一日デート。これでいかがでしょう?」


 この中に行事を妨害してまで成そうという者はいない。誰も異論をはさまなかった。


「単に捕まえるだけでいいの? 日向ちゃんが何してるか知りたいのがメインでしょ?」

「捕まえた後に吐かせればいいのよ」

「私に任せて」


 真智がえへんと胸を張り、とんと叩く。


「任せて、とはどういうことかな宮野さん」

「真智は人の嘘を見抜けるの」


 祐理が説明すると、真智はすんと鼻を鳴らした。


「ウソやろ、怖っ」


 誠司が女の子のように胸を隠す動作をする。「キモい」沙弥香から肩パンを食らっていた。


「嘘をつく時の微かな挙動を読み取るんだとよ」

「京介のイタズラを見破ったこともある」

「言うんじゃねえぞてめえ。あれは物心っつったろ」


 小学生の頃だが、京介は祐理の下着を嗅ごうとしたところを真智に見られたことがある。

 洗濯当番の最中にふと湧いた出来心で、もちろん京介は誤魔化したのだが、真智に問い詰められ、あっさりバレてしまった。


 真智だけが知る京介の黒歴史であるが、二人とも絶対に口を割らないため、えるや祐理はもはやいじりもしない。

 そんな様子もあってか、誠司と琢磨も見なかったことにする。


「ふうん。イエスノーで答えられる質問をして、その反応を見る感じなのかな?」


 琢磨が尋ねると、真智がこくりと頷いた。


「でもよぉ、アイツに効くのか?」

「効く。日向は正直者。慣れない嘘は下手なはず」

「ですね。これは期待して良さそうです」


 施設勢は何やら確信を持っている様子だったが、春高勢はピンと来ない。「どういうことよ?」沙弥香に尋ねられた祐理は、昔の日向について熱く語るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る