6 注目

「よう変態」

「……京介。来てたのか」


 日向の行く手を遮るは、長身の男。

 ポケットに両手を入れて佇んでいる様が、威嚇する熊のようなオーラをまとっている。


 初対面を高確率でビビらせる目つきの鋭さ。

 髪にあしらわれた金のメッシュ。

 柄の悪さを感じさせるピアス――

 そんな風体が、通気性の良さそうなスウェットに身を包み、隠しきれない身体能力を物理的に醸し出している。


 三熊・リー・京介。

 ともに施設で育った仲――施設長の言い方をするなら家族――であり、祐理が女ガキ大将なら、男ガキ大将とも言うべき男。


「やる気あんのかてめえ。リレーも椅子取りも手ぇ抜いてたろ?」

「何のことだか」

「とぼけんじゃねえ」


 ずかずかと近づいてきた京介に胸倉を掴まれそうになったため、日向は素早く後方に下がって回避した。京介は「ちっ」舌打ちをして、


「無様な姿は見せんなよ。オレが許さねえ」


 周囲がぎょっとして避けていくのも気にせず、ただただ日向を見据える。


「省エネだよ」

「あん?」


 日向は口角をつり上げてみせた。


「やりに来たんだろ? 俺と」

「はぁ? 何をだよ?」


 京介がここに来た意図は知らないが、来た以上、どうするかの推測はつく。


 何度も戦い、懲りずに挑まれては、その度に蹴散らしてきたのだ。日向が一人暮らししてからはご無沙汰だが、恋しく感じないでもない。

 日向でさえそうなのだから、相手がそう思わないはずがない。


「俺は最初からそのつもりなんだが。お前が来ると聞いて、すぐに思ったさ。久々に勝負できるって。ここ最近、相手になる奴がいなくて退屈だったからな。期待には応えてくれるんだろうな?」

「言うねぇ」


 京介は獰猛どうもうな笑みを浮かべ、日向に一歩近づいた。


「自分で言うのもアレだが、最近のオレは神懸かってるぜ? 次こそ祐理はオレのモンだ」

「まだ諦めてないのかよそれ……」

「当然だろうが。惚れた女を諦める男がどこにいる?」


 京介が祐理を好いていることは、施設では誰もが知る公然の秘密である。

 もっともそんなことはどうでも良かった。


 悠長に雑談している場合ではない。今の日向は、その祐理から逃げてきたばかりだ。

 戦意喪失させたためしばらくは安全だろうが、長居は危険である。一刻も早く目的地に向かいたいところだが――


 目の前の男は

 決して疑いを持たせていい相手ではない。


「へいへい」


 その好戦的な眼差しを受け流し、これで会話は終わりとばかりに、日向は京介の横を通り過ぎた。

 京介も特に呼び止めない。日向のそういう性格は既に知っている。知られていることを日向も知っていた。


「日向」


 不意に呼び止められる。

 日向は背中を向けたまま、続きを待った。


施設長パパが会いたがってたぜ。一度くらい顔出せや」

「……どうせ後で連行される」


 横顔だけ向けてそう応え、日向は歩みを再開。京介から視認されないとわかったところで、急ぎ特別棟の西側に向かった。




      ◆  ◆  ◆




「あれはただ者ではないな。新太君もそう思わんか?」

「……ええ」


 一般棟四階の空き教室――VIPルームと化したその部屋の窓側では、三人の大物が並んで外を見下ろしていた。

 一久かずひさの問いに答えた新太は、判断を仰ぐように烈を見る。

 烈は頭に手をやっていた。


「二人とも彼を特別視しているようだな」

「施設一の問題児だよ」

「……最も優秀な教え子です」


 烈に日向のことを隠す気が無いことがわかり、新太も堂々と応えることにした。


「ほう。新太君にそこまで言わせるか。娘には言ったこともあるまい」

「ええ。残念ですが比べ物になりません」

「ははは、そりゃ凄い」


 春日春子という娘も決して凡庸ではない。むしろ先天的に恵まれたと言って良い優れた身体と頭脳に、後天的な英才教育が施されているのだ。十分に非凡と言える。


 それを新太は「比較にもならない」と切り捨てたのだが、一久はぴくりとも気にしない。

 懐から何かを取り出した。細長いライターのようなそれ。

 しゅっと飛び出てきたのは板ガムだ。一久はそれを口に含み、もぐもぐとあごを動かしながら、


「確かにそうなのだろうな。半端な才能ではない」

「才能?」


 あの逃走の光景から何を感じ取ったのか。新太は偉人の思考回路に興味を抱く。

 同時に、もう一人の偉人のそれも推し量ろうと、目をやってみたが、烈は微妙な面持ちでグラウンドを見下ろしているだけだった。


「うむ。あれほど動いておきながら、不思議なくらいに目立っていなかった。まるで一流の役者だ。いや、役者というと少し違う。見せ方や見え方がわかっているという風ではない。あれは――」

「眼、ですよ」


 新太がぽつりと割り込む。

 一久のみならず、烈もこちらを向いた。


「彼は周囲の空間を観察し、記憶することに長けています。周囲の空間を脳内に展開できるんです。別のアングルから覗いたり、真上から俯瞰したり、といったことを擬似的に再現できるようなものですね」

「記憶力が並外れている? サヴァン症候群とかその類かね?」

「いえ。その辺は至って平凡だと思いますよ。あれはおそらくですが――手続き記憶です」

「ほう」

「ふむ」


 一久と烈のリアクションがシンクロするが、二人に気にする素振りは無い。

 烈が何事も無かったかのように口を開いた。


「手続きとは何だろう?」


 手続き記憶とは記憶の一種で、いわゆる『体で覚える』類のものだ。自転車の乗り方やタッチタイピングの打ち方から、将棋のプロ棋士が自身の対局を寸分違わず覚えるのもこれにあたる。


 烈が訊いているのは、日向にとっての手続きとは何か、ということだ。


「スポーツ選手が自分の試合過程を詳しく覚えているように、彼も自分がを覚えているんですよ」

「手続き、の範囲がずば抜けて広いということかね?」

「それもあります。そもそも空間をどう動くか、というのはトレーサーが辿る過程そのものですし、彼の専売特許ではないです。僕も常用してます。ただ、彼はそれがずば抜けていて、そうですね――広いだけでなく、深い」


 烈は「ふむ」と腕を組み、考え込み始めた。施設時代の日向について思い出しているのかもしれない。


「君よりも?」


 一久の問い。

 その答えは、考えるまでもないことだった。


「僕よりもです」


 烈が目を見張ったのがわかった。


 新太と日向は指導者と生徒の関係にあたる。烈にはそう見えている。いくら日向が優秀だからといって、世界トップレベルの新太を超えるとまでは思っていなかったのだろう。


「素晴らしいな。ぜひとも欲しい」

「譲れませんよ」

「……ほう?」


 嘘か本当かわからない、どこかお茶目な一久の双眸。

 新太はあえてシリアスな表情をつくって、挑むように睨んでみせた。


「彼の類稀たぐいまれなる才能は、もっとパルクールのために使うべきだ」


 一久はビジネスマンの顔をつくったが、間もなく相好を崩した。


「一理ある。界隈の発展は大事だ。それに――」


 その視線がグラウンドに落ち、ゆっくりと動く。

 日向が動き始めた南のあたりから、消えていった北西の方へと。


「正直言って、私にはあれを飼い慣らせる気がしない」


 今度は新太が目を見張った。一久とは付き合い始めたばかりだが、できない旨をこうして口にすることは聞いたことがなかった。


「……飼い慣らしちゃダメでしょう。少なくとも対等パートナーでないと」

「新太君。対等とは何かね? 人間関係とは多かれ少なかれ契約だ。それとも曖昧な契約内容が許されるような緩くぬるい関係がそれだとでも?」

「いえ。僕はギブアンドテイクだと思っていますよ?」

「君はいわゆるマッチャーなのか。私はギバーなのだがな」


 一久が懐から何かを取り出す。ポケットティッシュだ。

 ティッシュにガムを吐き出し、丸めたそれを背後に投げ捨てる。と、同時に、空気のように存在感の無かった執事が動いた。俊敏な身のこなし。数歩の距離にもかかわらず、難なくキャッチしていた。


「僕も昔はギバーでしたよ。ただそれだけでは先に進めなくなったから鞍替えしたんです」

「贅沢な奴だな」

「幸せは失いつつありますけどね」


 グラウンドを眺める。バケツリレー用の設備はとうに撤収され、代わりに、まるで統一感の無い集団が走者として集まっていた。

 クラブ対抗リレーだ。

 パフォーマンス加点もあるらしく、一位を諦めた格好も多数見受けられる。


 新太は眼前の遊技を流し見しつつ、時折一久と会話を交わしながらも。


 その頭は日向の意図に想像を巡らせていた。

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