3 行方
外部スタッフの迅速な働きで、グラウンドには18人単位の円が20ほど配置された。
円を構成するのは椅子だ。背もたれの無い丸椅子で、春日家のオリジナルである。安全性と軽量化が重視されている。
間もなく午前九時半。
二つ目の競技、椅子取りゲームが始まる。
「なんで男子だけなんだろねー。日向と一緒にやりたかったよ」
「冗談じゃないわよ、暑苦しい」
「日向くんと同じ円に入れる保証もないですしね」
出番の無い祐理らは西側、生徒エリアのスタンドで腰を落ち着かせていた。B組の志乃も合流している。
「そんなことより、次こそは一位取らないと承知しないわよ」
「手厳しいですね」
「当然よ。あれだけサボったんだから」
日向は練習にほとんど顔を出していない。出したのはリハーサル含め数回程度だ。
「でも実力は示されたのでしょう?」
遠くの日向を見据えたまま、沙弥香が渋い顔をする。
B組の志乃は知らないはずだが、日向はその数少ない参加にて実力を遺憾なく発揮し、A組全員を黙らせている。
そうでなくともスタック――日向自らが提案したチャットサービス上にて有益な動画やアドバイスを提供しており、貢献度で言えば確実にA組中トップクラスであった。
「そうなのよね。そこがまた腹立つのよ……って何よ祐理」
「さっきから日向のことばっか見てる」
三人の視線は北側、出入口で待機する男子陣のごくごく一部分に向いていた。
沙弥香はにたりと笑い、
「当然じゃない。好きなんだから」
「だーっ!」
「二人とも。騒がないでください」
二人にはさまれた志乃が、双方の太ももをぐりぐりする。
「アタシは騒いでないんだけど」
「逆に志乃ちゃんはなんで冷静でいられるのさ?」
「正妻の余裕です」
「正妻はわたしですー」
そんな風に三人共通の
円に男子が集まる光景を前に、会場がボリュームダウンする。
一方で、リハーサルなどで見慣れた女生徒はむしろ逆で、誰がカッコいいだのと騒ぎ始め、早速三人の後方でも琢磨や誠司の名前が挙がっていた。
「むー……遠い」
マウント合戦の落ち着いた祐理が遠目を投げながら呟く。
日向が属する円は北東の端にあり、南西側のスタンドに座る祐理達からは最も遠い。
「どうせ決勝でまた見れるわよ」
椅子取りゲームでは各円20人からスタートし、18人、10人、6人、3人、1人と絞っていく。その後、各円の勝者20人で決勝戦を行い、10人、6人、3人、1人と勝ち残っていく流れだ。
間もなくゲームが始まり――流行りの邦楽が流れた。
ライブのように高品質で重厚感のある音だ。「お、これって」などと反応する来客も散見された。
しかし渦中の男子達にそんな余裕はない。
真顔で、強張った様子で、円の周囲をゆっくりと歩く。
椅子取りゲームは瞬発的な世界である。少しでも聞き入ってしまったが最後、反応に遅れて脱落するのみ。
「ついてないわねアイツ」
「あ、ほんとだ」
日向が周回している円には、A組を表す赤色のはちまきが一つしかない。加えて、前後をはさむ男子は緑色のはちまき。
「どういうことですか? このゲームは個人戦だと思っているのですが」
志乃が属するB組では、椅子取りゲームは個人で戦うゲームだと結論付けていた。
「打ち合わせを覚えてないの? うちは強い奴を優先的に――」
「優先的に?」
「……敵には教えないわよ」
一方、A組では同じ円にいるチームメンバーと協調する方向で戦略を練っていた。日向含め実力者は個人プレーだが、それ以外の男子は他チームの実力者を妨害することを優先する手筈になっている。
沙弥香は日向が逆に妨害されるのでは、と危惧したのだ。
「残念です」
「油断ならないわね……」
おっとりと微笑を浮かべる志乃を、沙弥香は胡散臭そうに横目で睨んだ。
「だよねぇ。志乃ちゃん相手だとつい気が緩んじゃ――」
祐理が同調している時に、ふと曲が止まった。
三人の視線が槍のように一点に伸びる。
会場の喧噪も電源を切ったかのようにおとなしくなる中、日向はというと――
「あっ!」
祐理が思わず立ち上がる。
日向の真横とその両隣、計三つの椅子が蹴飛ばされていた。
仕掛けたのは前後の緑はちまき――D組だ。そのうち一人は、同時に二つの椅子を蹴散らす『二枚抜き』を成功させたことになる。
想定外なのか、日向はぽつんと突っ立っていた。
間もなく我に返ったが、緑の二人は既に椅子をキープしている。横取りを防ぐべく抱え込むような格好だ。この椅子取りゲームの定石とも言える守り方、通称『ホールド』であり、この状態から奪い取るのは容易ではない。
「何してんのよもうっ!」
「緑なんか吹き飛ばしちゃえ!」
同様に立ち上がった沙弥香と二人で興奮する中、志乃は座ったまま成り行きを見ていた。
空いた椅子はもう無い。椅子を手に入れた者はホールドしているか、
他の円でも同様の光景が繰り広げられている。
「……しい」
「ん? 志乃ちゃん?」
祐理に見下ろされた志乃が、「ううん」と首を横に振る。
「何でもありません。運が悪かったですね、日向くん」
「うぎぃぃ……日向なら吹き飛ばせるのに」
「失格になりますよ」
くすくすと笑いながらも、志乃の目は日向の立ち姿だけを映していた。
――美しい。
思わず漏れてしまった感想だった。
これでは隣の友人と大差無い。子供な自分を自覚して、志乃はもう一度苦笑した。
椅子取りゲームはつつがなく進行していく。
20人が18人に絞られ、18人が10人に絞られ――グラウンドの密度は目に見えて寂しくなっていた。
一方で出入口――北、東、南と三箇所存在する――付近では敗者の男子が固まり、悔恨と遺憾の色が漂っている。
「まだ行けるわよ。琢磨も誠司も残ってる」
「赤色、明らかに少ないけどねー」
祐理は明らかに不服といった様子で、まだ頬を膨らませていた。
再び音楽が流れる。
今度は一際特徴的なイントロ。つい先日、社会的現象を巻き起こした映画のオープニング曲だ。祐理も好きなのか鼻歌交じりに肩を揺らし始めた。
それも数秒も経たないうちに終わる。不意打ちのような停止だった。
「よしっ!」
沙弥香がガッツポーズを取る。その対象は志乃もちょうど見ていた。
琢磨だ。お手本のような反応と手さばきで椅子を引き寄せ、皆が反応し始めた頃にはホールドを完了させていた。
そこに「あっ」見落としに気付いたかのような、小さな声音。
「どうしたんですか?」
志乃が声を掛けても、当の本人――祐理は応えない。立ち上がってきょろきょろと見回していたが、間もなく「いない」どかっと腰を下ろした。
「……日向くん、ですか?」
「うん」
ホイッスルが鳴り響く。各円は6人にまで絞られ、脱落した4人が出入口に向かう。
「こっそり抜け出してサボりでしょ。この後アイツの出番は無いし、責められるのもわかってるもの」
「そうじゃなくて」
祐理のどこか焦るような口調に、沙弥香は首を傾げた。
祐理は誤魔化すように首を横にふるふるした後、人差し指を立てて、
「わたしの勘があやしいと告げている」
「日向調べ隊の出番ですか?」
志乃の質問により、沙弥香も祐理の意図を悟った。「まったくもう」ため息を漏らした後、
「体育祭くらい放っておきなさいよ」
そう言いつつ、沙弥香は視線をあちこち走らせていたが、すぐに止めて、もう一度呟いた。
「どうせ大したことはできないわよ。校内は立入禁止だし、警備員もいるし、来客もたくさんいる。アタシでも
「練習、なのかな……」
日向をあまり知らない沙弥香は練習だと考えているようだが、祐理は違う。
そもそもさっきのゲームからしておかしかった。
たとえ二対一であっても、日向にとってはハンデにもならないはずだ。施設時代、徒党を組んで出し抜こうとしたこともある祐理だからこそ痛感している。
日向の状況判断力は、次元が違う。
動体視力も、反射神経も、反応速度も、その後の動作速度も――すべてが桁違いだ。
あの程度の状況で負けるはずがない。
だとしたら、故意に負けたのだろうか。
――何のために?
今日は
下手に手を抜いたりサボったりすれば、それこそ怪しまれかねないのだから。
「……」
思案に浸る祐理の横顔を、志乃は横目で一瞥した。
志乃は見ていた。
椅子取り合戦が盛り上がり、場の注目がグラウンドに集まっている中。
日向が自然な動作で立ち上がり、素早く出入口から出て行ったのを。
まるで存在感が無かった。
これ以上のタイミングは無い、と。そう志乃も賞賛するくらいに絶妙だった。
「ほら、次が始まるわよ」
「うん……」
グラウンドの各円はまばらで、椅子はたったの三つだ。周囲を囲むのは六人。
先ほどと同じ曲が流れる。残った男子達に動揺は無い。運営があえて同じ曲を使ってくる程度の小細工をしてくることは既に知られており、各チームとも対策済である。
今度はすぐに停止しなかった。
十秒経ってもまだ流れている。
スタンドも緊張感に包まれながら、場の成り行きを見守る。
そんな最中に「志乃ちゃんは」ぽつりと祐理が呟いた。
「志乃ちゃんは、どう思う?」
曲が途切れる。椅子の奪い合いが始まった。
倍率は二倍。椅子の少なさもあるのだろう、早々のホールドを許さない、白熱した攻防が繰り広げられている。応援もヒートアップし、球場のようにうるさい。
視界の端で椅子が吹き飛ぶ。わあっとスタンドが湧く。
そのタイミングで、志乃がこちらを向いた。
いつもの微笑は浮かんでいない。
「気になるというのが正直なところですが、それでも私は変わりません。――箱を開けるつもりはないです」
ホイッスルが鳴り、「よしっ!」沙弥香が立ち上がってガッツポーズを取る中、
「……そっか」
祐理は寂しそうに呟いた。
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