4 免除1
翌日、木曜日の午後。
冷房がフル稼働した体育館には全校生徒が集められていた。
衣替えはとうに過ぎており、制服は夏仕様一色である。腕まくりやスカートのたくし上げもお馴染みの光景。
一方で、上着を着用する生徒もちらほら見られた。
これは冷房設備が充実しているためだ。春高では冷房をフル稼働させる方針となっており、防寒は各自で対処するようになっている。
窓から差し込む日差しがにわかに強くなった。暑い、眩しいとあちこちで不満や愚痴が飛び交う。
投影にも支障があるのだろう。壇上の教員が舞台裏に消えた後、間もなく駆動音が鳴り響いてカーテンが閉まった。
並行して大型のスクリーンが下りてくると、いよいよ私語が薄まってくる。
準備を終えた教員らが壇上から去り、代わりに上がってきたのは、ラフな格好の中年。
サンダルをぺたぺたと響かせながら中央まで歩き、軽く挨拶すると、体育祭の説明に入った。
春高の学園長であり、大富豪とも称される春日家の頂点に立つ人物。
春日家自体が一般にはあまり知られていないが、春高で彼を知らない者はいない。
大物の芸能人や政治家に匹敵、いや凌駕するとさえ噂されている。その片鱗は、このユニークな学校が実現されていることや、彼の愛娘たる春日春子からも容易にうかがい知れた。
普段はあまり顔を見せない一久だが、こうして人前に立てば、場は電源を切ったかのように静かになる。
説明は二十分に渡った。
体育祭のコンセプト、開催競技、優勝特典に始まり、当日までのスケジュールや練習方法、さらには熱中症を始めとする生活の諸注意や知恵まで、至れり尽くせりの内容。
それがプレゼンテーションという形で、時に語り口で、時に図表によって端的に、しかし飽きが来ないように表現されていた。
学園長直々の説明で盛り上がった後は、これまた毎年恒例の『顔合わせ』だ。
そもそも体育祭とはA組からG組まで計六チーム――国際科であるF組とG組は人数が少ないため合同で一チームとなる――が競い合う対抗戦であり、必然的に組を同じくする先輩後輩とも協力することになる。
その初回の顔合わせも、こうして全体スケジュールの一部として組み込まれていた。
日向らA組チームは壇上そばに集まり、円陣のような輪を形成していた。中央には体育祭実行委員――各クラス一名ずつ選出される――三名が顔を合わせている。
一年からは、いかにも真面目そうな女子。
二年からは、いわゆるオープンなオタクの
三年からは、いかにも運動部で幅を利かせてそうな男子。
「当日まで時間がないであります。個人練習は各自で、クラス練習は各クラスで行うとして、問題は合同練習でありますね」
「リハーサルではダメなんでしょうか」
「足りねえよ」
全員が発言すると収拾がつかないため、こうして実行委員が代表して顔を突き合わせるのが通例だ。
その分、他の生徒は手持ち無沙汰になり、思い思いが雑談したりスマホをいじったりしている。
日向は中央付近に陣取り、スマホに目を落とすふりをしながら聞き耳を立てていた。
「三年のオレだからよくわかってるんだが、クラス単位の出来が良くても、全学年三クラス合同になるとグダグダになるパターンが多い。早期に合同練習に慣れさせないと勝ち目はないな」
「それは難しいかもしれないであります」
「なんでだよ?」
「人が多様だから、でありますよ」
高井が周囲を見回し、つられて一年と三年もそうする。
日向は音でその様子を察知していた。
「どういう意味だ?」
「去年の結果を見るに、優勝するには文化祭並に時間をかける必要がありますな」
「あん? いいじゃねえか」
「なるほど、そういうことですね……」
一年の女子が深刻な面持ちを浮かべた。
「どういうことだよ?」
言いにくそうにする一年の代わりに、高井が淀みなく答える。
「そこまで練習することを強要して、果たして全員が納得できるか、という話です」
「強要するまでもねえだろ。体育祭だぜ? 全力出すに決まってんじゃんか」
女子と高井が顔を見合わせた。
――こじれそうだな。
日向はそう直感した。
「なんだよお前ら。言いたいことがあるなら遠慮無く言えっての。実行委員なんだからよ、フランクに行こうぜ」
体育祭はチームプレーだ。そして全員参加の競技も多い。ゆえにやる気のない生徒や運動神経の悪い生徒は足を引っ張る要因になりうる。
これがただの体育祭であれば、せいぜい不満を抱かれ愚痴をぶつけられる程度で済むだろう。
しかし春高は違う。校風からして学校行事に積極的であり、そういう生徒が最初から集まっている上、優勝特典――高級リゾートプールでの一日遊び放題――も魅力的なのだから。
「生徒の中には、ぶっちゃけ運動が苦手で、できるだけ体を動かしたくない人もいるであります。僕もその類でありますね」
「私もです」
「何言ってんだお前ら。なら頑張ればいいだろ。何ならオレが鍛えてやろうか? 女子の競技は知らんけど、メガネ、お前なら鍛えてやれるぞ」
「僕は高井であります」
――いや、こじらせて『練習しなくてもいい』空気をつくるのもアリだろうか?
日向は頭を悩ませていた。
日向にとって重要なのは一つのみ。撮り師ぷるんとしての活動――体育祭で女子を
当然ながら下準備や盗撮練習も要する。体育祭の練習に時間をかける暇などない。
しかし去年のようにサボることもできなかった。
今年になってから施設長が学校側に『普通の生徒のように扱って構わない』旨を伝えているせいである。孤児だから、という事情を盾に取ることがもはやできない。
無理に休もうものなら、施設長に連絡が行ってしまうだろう。学校生活が不真面目すぎると評価されれば、一人暮らしも剥奪されかねない。
――今はまだ、事を荒立てる時じゃない。
加えて今年は対人関係のしがらみも多い。
祐理、志乃は言うまでもなく、誠司や琢磨も要注意だろう。万一、尾行でもされて、盗撮風景を目撃されでもしたら、リアルに社会生命が終わりかねない。
尾行の察知や逃走は容易いが、今回の盗撮は波に乗ったぷるんの――ひいては日向の将来を左右する
全力を尽くさねばならない。察知や逃走に割くリソースさえも惜しい。
「体育祭は春高の目玉イベントだろうが! ここを頑張らなくていつ頑張るんだよ?」
「春高生として頑張るのは当然であります。ですが、限度がありますよ」
「はぁ? んなもん、運動部と比べたら大したことねえだろうが。こちとら毎日夜まで練習してんだぜ?」
「自分のものさしだけで物事をはかるのはやめるべきであります」
「なんだよメガネ、さっきから突っかかってくるじゃねえか」
「高井であります」
日向の危惧どおり、二年の高井と三年の委員が衝突し始め、何事かと周囲からも注目が集まってきた。
ここで事態を重く見たのか、静観していた琢磨――ちなみに去年は琢磨が器用にまとめあげたおかげで争いは一切無かった――が動く。
琢磨は日向の隣にやってきて、何してんのと言いたげに軽薄な笑みを向ける。
日向はそれに気付きながらも、スルーした。
あと少しで思考がまとまるところだった。
「君達、どうしたんだい?」
教職員の声。
それが情報の授業を担当する城ノ内先生のものだと日向は認識した。
――荒削りだが仕方無い。行動は早い方がいい。
ちょうど直近の行動を練り上げ終えた日向は、早速行動を始める。
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