5 免除2

「君達、どうしたんだい?」


 情報科目を担当する城ノ内先生が、言い争っている三年委員と二年委員の高井に声を掛ける。

 しかし二人は気付いていないのか、無視しているのか、振り向きもしない。


 日向は城ノ内の目に入るよう、二人のそばにまで寄った後。両手を高く挙げて――ぱん、ぱん、ぱん。

 巨大クラッカーのような拍手を鳴らした。


「俺が状況を説明します」


 周辺の注目を一手に集める中、城ノ内に向かって語り始める。


「彼らの争点は、全員がどこまで頑張るべきかというものです。運動部の彼は、文化祭並に時間をかけて練習に費やすべきだと主張しています。一方で、帰宅部の彼は、行事と言えど全員をそこまで拘束するのはおかしいと主張しています」


 日向はジェスチャーも交えながら、まるで場の全員にプレゼンするかのように話す。


「このままでは収拾がつかないので、俺から一つ提案します」


 その堂々たる態度と声量は、生徒の割り込みを許さなかった。


「て、提案……? ふむ」


 戸惑いを見せる先生に対し、半ば強引に日向は進める。


「まず、この議論はいったん置いておきます。今すぐ解決すべきことじゃない」

「なんだと?」


 三年の委員が睨みとセットで威圧してきたが、日向は一瞥いちべつだけ寄越した。


「今すぐに整備するべきは、このチーム全員が効率的にコミュニケーションを取り合うための手段です」

「何言ってんだお前」

「つまりはチャットですよ。もっと言えばSTACKスタックですね」


 『スタック』とはビジネス向けチャットサービスの一種である。主にICT企業で活用されており、チャット界隈の事実上の標準デファクトスタンダードとされている。

 チャットはプライベートではLIME、ビジネスではSTACKの二強だとも言われる。


「ほう」


 城ノ内が目を輝かせた。

 STACKは高校生が知る存在ではないが、情報の教員たる城ノ内ならば知っていて当然だった。むしろ熱心な城ノ内であれば、高校生がそのような提案をしてきたことに興味関心を示す。日向の思惑通りである。


「スタック? チャット? 何を言ってやがる」

「君は少し黙っていなさい。彼の話を聞こう」

「ぐっ……」


 三年の委員がおとなしくなる。


「スタックを使えば、いちいちホームルームを開かなくても、スタック上でやりとりできます。全学年が参加する部屋、一年だけが参加する部屋、友達だけを集めた部屋、と用途ごとに部屋を分けて、メッセージをやりとりできます。ですよね?」

「うむ」


 日向は酔いしれたプレゼンターのように、歩きながら饒舌に話す。それは今は亡き著名なクリエイターのような立ち振る舞いで、見る者の口をつぐませる。

 事実そのとおりで、日向は以前ビデオで観察したことのある、かの人物の言動をそっくりそのまま真似ていた。


「情報収集、情報交換、質疑応答、目標管理や進捗報告は、全部このスタックで完結できます」


 聴衆のうち大半は――日向の所感では九割以上は――まともに理解していないように見える。

 一方で、生徒では琢磨が、教師陣はほぼ全員が得心しているようだった。


「しかしスタックについて知っている生徒はほとんどいないです」

「だろうね」

「そこで城ノ内先生にお願いなのですが、情報の授業でご教授いただけませんか?」


 日向は知っている。


 春高の教職員が、スタックを用いて業務の大半のコミュニケーションを行っていることを。

 城ノ内という情報の教員が、どんなネタで教育すれば良いかに日々悩んでいることを。

 そして春高がICT教育の一環として、チャットによるコミュニケーションを推進しようとしていることを。


 情報源は佐藤のクラッキングにより随時同期ミラーリングされているデータであるが、一つ目の事実については「職員室で画面を見た」で済む。


「……ほう。いいね。そのアイデアは、良い」


 滅多に笑顔を見せないらしい城ノ内がさも愉快そうに微笑んだ。日向は頷いた。


「で、そのスタックが何だって? もう少しわかりやすく説明してもらえるかい?」


 絶妙のタイミングで割り込んできたのは琢磨だった。

 いつもの軽そうな笑みと、それでも色褪いろあせない容姿は健在で、特に女子の視線が注がれる。


「……すいません、もう少しわかりやすく説明します」


 日向は全員に語りかける調子を崩さない。


「スタックというのは、簡単に言えばLIMEのビジネス版みたいなアプリのことです。こういう大人数で物事を進めるようなシチュエーションにはピッタリの手段ですね。俺は趣味で社会人サークルに入っていて、そこでスタックを使っているのですが、LIMEよりも圧倒的に便利です。最近では夫婦や家族が日常コミュニケーションに取り入れるケースも増えてきています」


 ふと日向の頭を悩ませる女子三人が視界に入る。祐理と沙弥香は胡散臭そうな視線を寄越し、志乃は尊敬と感嘆の眼差しを注いでいた。


「俺が言いたいのは、俺たちA組チームの今後の進め方についてです。いつもみたいに休憩時間や放課後に集まるんじゃなくて、このスタック――チャットアプリ上でやりとりしようってのが俺の提案です。だって、みんなで集まっても時間ばっかり食って、大した結論なんて出ないでしょ? そもそも全員が発言できるわけじゃないし」


 日向は淀みなく喋りながらも、聴衆と化した周囲を漏れなく観察する。理解度はともかく、A組チームのほぼ全員が聞いているのがわかった。


 このように目立つことは日向の肌ではないが、体育祭で暗躍するための下準備としてはまたとない好機だ。たとえ即興の、成功率の高くない策だろうと、行動する価値があった。

 もう後には引けない。とことん演じきるしかない。


「スタックにはLIMEでいうスタンプのような機能もあります。それもメッセージに対して付けられるんです。たとえば俺が『椅子取りゲームは捨てて障害物競走に注力した方が良いのでは?』と理由もセットで投稿したとしましょう。この俺のメッセージについて、皆さんは『いいね』とか『ダメだよ』とか『微妙』とかスタンプをつけることができるんです。つまり、皆さんが投稿したメッセージ一つ一つに対して、皆さんがリアクションをつけることができる。これを使えば投票も実現できます」


 頷く生徒がちらほら見えるが、首を傾げる生徒の方が多い。


「詳細は明日以降、情報の授業にて、城ノ内先生からご教授いただきたいと思います」

「……いきなりだね」

「ぜひお願いします」


 日向は城ノ内に頭を下げた。


「いいよ。むしろ歓迎したい」


 城ノ内はしきりに頷き、こほんと咳き込んでみせてから。


「彼の提案は素晴らしい。生徒にとっては良い学びになる。スタックが便利なのは本当だしね。授業の方は任せておいて」

「ありがとうございます」


 城ノ内の了承が取れたところで、再び琢磨が割り込む。


「で、この場はこれで解散ってことでいいのかな?」


 解散と聞いて弛緩する空気に対し、日向は変わらぬ声量で答えた。


「いや、ここから本題だ」

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