3 称賛
『バズる』という現象はカミノメでも発生する。
カミノメも他のプラットフォームと同様、一部の人気者がランキングの大半を占めるのが通常営業であるが、たまに見慣れない動画が突然ランクインすることがあるのだ。
「まさか俺がヒットするとはな……」
日向の持つスマホが再生しているのは、ある盗撮動画だった。
歩行する女性の胸部を至近距離で捉えたものだ。
ショルダーバッグのひもが胸に食い込んで谷をつくり、二つの小さな山が強調されている。それが大地震のように上下に、左右に揺れていた。
露骨に揺れて見えるのは、日向の技量の成せる業だ。
歩く女性の胸は振動する。振動とは微細な揺れである。いや、揺れというよりも震えと表現した方が適切だろう。
ゆえに通常、街中などで肉眼で見るだけでは、その振動を視認することは――巨乳ならさておき平均以下の胸なら――難しい。
これを日向は可能にする。
遠距離からズームを行い、並外れた
その結果、女性の、胸の振動だけを切り取って、映し続けることができる――
「自覚はないが、たしかに高度な技術だろうな。疲れるし」
日向は動画を閉じて、カミノメのページに戻った。
バズった原因と思われる、フォーラムのスレッドを開く。
――これは芸術である。
そう締めくくられていたコメントの投稿者名を見て、呟いた。
「石油王か……」
石油王。
カミノメの有名ユーザーであり、
その名に負けないほどの富豪らしく、ビジネスホテル、スポーツ施設、スーパー銭湯から高級スパまで多数経営しているらしい。
そんな彼が投稿する動画は中々にえぐい。
十以上のアングルによる同時撮影。
便器の中というアングル。
隠しカメラに似つかわしくない高画質――
動画のことごとくが、まるで施設に最初から盗撮装置を組み込んでいるかのような出来栄えなのである。
これは後にそのとおりであることが、本人のコメントによって示されている。
コメントでは彼の熱い思いも語られた。
曰く、スリルは高品質の追求を放棄する免罪符であると。
曰く、リスキーゆえに追求できないのであれば、やり方を変えるべきだと。
曰く、彼は何十年という努力を経て力を磨いてきたのだと。
その名も――
今やカミノメにおけるカテゴリーにまで昇格した、一大ジャンルである。
もっとも盗撮動画の本質がスリルであることもまた事実であるため、石油王の人気が群を抜いているわけではない。せいぜい人気撮り師の一人でしかなく、日向のメインアカウント
しかし知名度の話になると立場は逆転。
石油王は最も有名で、最も影響力を持つインフルエンサーの一人だ。カミノメ利用者でその名を知らぬ者はいない。
対してJKPは、芸能界でたとえるなら最近人気の若手俳優程度でしかない。第二アカウントのぷるんにもなれば、知らないユーザーの方が多い。
そんなぷるんが、石油王にべた褒めされているのである。
まるでテレビに――それもゴールデンタイムの番組に紹介された穴場スポットのような反響を見せている。
直接的な数字を言えば、一日で百万円を軽く超える収入が入っている。
「……」
日向はしばし集まったコメントを読むことに集中する。
数百件程度をざっと見たところ、ぷるんが訴求する性癖に刺さったのが二割、どちらかと言えば好みだが抜き用途には至らない層が五割、残り三割が性癖の相違といったところだ。
「体育祭は修羅場になりそうだ」
その呟きは憂鬱な
夜七時頃、日向が帰宅すると、余分な二足は変わらず残っていた。
リビングに入ると、沙弥香と志乃がテーブルで勉強に勤しんでいる。祐理はトイレなのか見当たらない。
「お前らそろそろ帰れよ。俺は風呂入る」
これは裸を見ることになろうと文句は言わせない、という攻撃的な表明だった。
本来なら実力の露呈に繋がる生身は隠すべきだが、既に実力の一部から新太との仲まで知られてしまっている。もはや身体を隠す意味はない。
「先にアタシが入るわ」
「――は?」
「なんで汚いアンタの後に入んなきゃいけないのよ」
「そうじゃねえよ。家で入れよ」
当然のように祐理の部屋着を着ている沙弥香。シャーペンを置き、我が家のようにのびをした。
胸部が強調されている。日常系の盗撮であれば目玉となるシーンだろう。
「私達、今日は泊まるんです」
マイペースな沙弥香に代わって、志乃が応えた。
「聞いてないぞ」
「大丈夫よ。この家は豊富だもの」
沙弥香の発言は「衣食住に困らない」という意味だ。
祐理は多数の衣類を所持している他、最近はこのような展開に備えて日用品を多めにストックし始めている。洗濯についてはドラム式洗濯乾燥機により今日中に乾燥できるし、食料は元から十分な備蓄がある。料理は志乃ができるし、寝床も十分。
沙弥香の格好と、二人のくつろぎようを見るに、この決定を覆すことは不可能だろう。
「また裸見られても文句言うなよ」
「いいわよ別に。どうでもいいわ」
一応嫌悪感を出してみるものの、まるで効き目が無かった。
「前はキレてたくせにな」
「そりゃあね。アタシも女の子だもの。動転くらいするわ」
「私は構いませんよ。むしろ一緒に入りたいです」
対して志乃は目を輝かせていた。
「二人とも逞しすぎだろ……」
しれっと浴室に向かおうとする沙弥香の前を塞ぎ、通り抜けようと仕掛けてくる突撃やフェイントもすべて封殺していると、
「でも祐理さんとは入ったんですよね」
いじられる未来しか見えない質問を前に。
「……」
日向はノーコメントのまま浴室に逃げた。
二人の客人が風呂に入っている間、日向は夕食の支度をする。
冷蔵庫を開けると、上段と中断にはぎっしりとタッパーが詰まっていた。みっちりと詰まった中身も見えている。野菜、肉、魚介類からきのこまで多様なラインナップだが、一見するととてもそうには見えない。
「志乃には下の分を使ってもらえ」
「言われなくてもそうしますよーだ」
日向は迷うことなくタッパーを取り出し、てきぱきと自分の夕飯を支度する。
炊きたてのご飯を鍋に放り込んだ後、タッパーの具も入れていく。
「うげえ」
祐理が心底気持ち悪そうに顔をしかめた。
「こればっかりは何度見ても見慣れないや。こんなのエサじゃん」
「エサでいいんだよ。トレーサーに味は必要ない」
べちゃ、ぬちゃ、くちゃと料理にあるまじき音のオンパレードを前に、祐理は手で口を覆う。
吐き気ではなく不快の表明である。日向もいちいち気にしない。
「せめて温めればいいのに」
「電子レンジは栄養を壊す」
「殺菌しないとお腹壊すよ?」
「消費期限は把握している。そもそも微量なら何ともない」
支度を終えた日向は、鍋を部屋に運んだ。無論、一人で食べるためだ。
祐理の反発はおとなしかった。
「さてと」
キーボードの横に鍋を置き、パソコンのスリープとロックを解除する。
その後、いったん立ち上がって部屋を見回す。聴覚的にも視覚的にも違和感が無いことを確認してから、ドアを本棚で塞ぐ。
席に戻り、鍋をつっつきつつ、ブラウザを操作する。
アクセス先はカミノメの、撮り師専用ページ。ログインを済ませ、撮り師ぷるんのアカウントを開く。
二桁に及ぶ通知をすべて既読にした後、フォーラムのページにアクセスした。
日向は口を絶えず動かしながら、その両手はキーボードと鍋を行き来させていた。
ご飯一粒、汁の一滴さえもこぼすことなく、鍋に入れたエサを減らしていく。同時に、テキストボックスにテキストが溜まっていく。
しばらく作業したところで、「よし」投稿完了。
新着スレッドとして最上段に表示されたタイトルには、こう書いてあった。
【ぷるん】体育祭で撮ってほしいターゲットと部位を募集中【投票】
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます