7 下校2
一同は賑やかなまま、大通りを下る。
やがて分岐点に着いた。
春日野町に住む日向と祐理はここで解散することになるが、沙弥香と志乃も続こうとする。
「ワイらもええ?」
「申告してないわよ」
「なんでや」
春高生は春日野町への立入を厳しく禁じられている。生徒が行動できるエリアは限定されており、駅前と、高校を繋ぐ大通りの坂道だけだ。
迂闊に破れば容赦なく停学レベルの重い処分を食らってしまうため、破る者はいない。
例外として、春日野町に住む生徒の家を尋ねる場合は容認される。事実、沙弥香や志乃は既に何度か足を運んでいる。
その際、今までは事後報告だけで済んでいたが、春高は日向という春日野町
これに則り、今日申告していたのは沙弥香と志乃だけだった。
「いちいち面倒くさいわよね」
「仕方ありませんよ。春日野町の居心地を守るためです」
春日野町は過ごしやすい
「そもそもこんなところに高校建てるのがおかしいのよ」
「春日家の手腕でしょうね。意図はよくわかりませんが」
「どうせ豊かな自然に囲まれた学び舎とか、心身を育む春高坂とか、そういうのでしょ」
志乃と沙弥香が、最も真実に近いであろう当家の娘に目を向ける。
春子は「他言無用で頼む」と前置きを加え、手招きをして皆を近付けてから、
「単に別邸から近かっただけだと父は言っていた」
真実に対する反応は様々だったが、日向は何の反応も出さなかった。
代わりに胸中で感想をなぞる。
――俺は知ってたけどな。
天才的ハッカーであり悪魔的クラッカーでもある佐藤の尽力により、春高内の情報にアクセスできる日向は、この手の情報にも目を通している。
記憶を辿る。
たしか春高の設立や運営に関する計画書があった。
主目的として娯楽的側面が強調されていたのはよく覚えている。別邸から近いという便の良さを制約にして、いかに面白い学校をつくりあげるかというゲームであると。
春子も同様のことを聞きかじっていたらしく、端的に説明していた。
このような機会が少ないのかもしれない。語り終えた春子は満悦の様子に見えた。
「本当は私もお邪魔したいところだが、後日にしよう。それではごきげんよう」
春子、琢磨、誠司と別れる。
男女比がアンバランスになった。もっともそんなことを気にする面々ではなく、何事も無かったかのように歩き始める。
祐理が一人先行する。テンションの高い子供のようにぶらぶらしている。
日向の左右には志乃と沙弥香。志乃は前を向いて微笑ましさを滲ませつつ、沙弥香と話している。
喋っているのはもっぱら沙弥香だ。まだ春高坂の話題を引きずっていた。
よく見ると足取りが若干重い。昨日あたりにでも激しいトレーニングをしたのだろう。
「せめてもう少し麓に建てて欲しかったわね。電車は遠いし、坂はだるいし」
ちなみに春高坂の勾配は、自転車で登ることを諦める程度には優しくない。道のりもキロメートルに迫るほど長い。
「沙弥香さんでもだるいのですか」
「当たり前よ。こいつとは違うのよ」
その発言は日向だけ異次元であると言っているようなものだった。
人間は多少身体能力に優れただけでは、日常生活における移動への耐性はつかない。根本的に、何の負担も感じない境地に至るためには、身体的にも、精神的にも、そして習慣的にも劇的な成長が必要となる。
トレーサーとして優れているからか、沙弥香も勘が良いと日向は感心した。
事実、日向にとっては春高坂を歩くことなど何の負担にもならない。平地を歩くことと大差なかった。
「沙弥香さんも認めているのですね」
「実力はね。正直お兄ちゃんは買いかぶりすぎだと思ってるけど、客観的に見て、こいつが優れたトレーサーなのは間違いないわ」
「良かったですね日向くん」
「どうでもいい」
日向が言うと、沙弥香が振り向いてきた。
「でも好き嫌いで言えば嫌いだわ。基礎、基礎、基礎って感じが気持ち悪い」
「なんでだよ。トレーサーはそういうもんだろ」
「オタクっぽいのよ。基礎が大事なのはわかるわよ。でもそれが目的じゃないでしょう? 手段でしかないの。基礎を大衆に訴求できるほど応用してこそのプロよ。結果を出せなきゃただのゴミ。自己満でしかないわ」
「別にプロは目指してないけどな」
「は?」
日向は内心で冷や汗をかいた。自分はプロを目指しているという体になっている。
「いや、お前がいうプロに縛られるつもりはないってことだよ。俺は俺というコンテンツで貢献できる道を探っている」
「無理に決まってるじゃない。パルクールをコンテンツにするには二種類しかない。素人向けのエンターテイメントか、経験者向けのトレーニングか。アンタはどっちにも向いてないだろうし、やる気もないでしょ?」
「その二つで言えばな」
沙弥香はふんと鼻を鳴らした。
プロという言葉に対する認識に
「芸術作品、としてはどうなのでしょうか?」
志乃が口をはさむ。
「当面は無理よ。向こう十年はかかるでしょうね」
「どうしてでしょう?」
「お兄ちゃんの又聞きだけど、芸術というジャンルを持ち込めるほどの感性を持つトレーサーがいないし、日本人もそういうのは疎いし、何よりお兄ちゃん、そっち方面はやる気が無いって言ってたわ」
志乃のいう芸術とは絵画や彫刻、あるいは純文学のような、コンテンツという横文字が似合わない、高尚なそれを指すのだろう。日向にはさっぱりな世界だ。
即答する沙弥香を前に、志乃はあっさりと引き下がった。
「ともかく、俺は第三の道を開拓するつもりでいる」
「お兄ちゃんでもできてないのに?」
「新太さんは関係ないさ。俺がやるかどうか。それだけだろ」
本音を言えば、日向にプロになるつもりなど毛頭無い。
しかしパルクールやトレーサーの在り方について考えることは――パルクールを哲学と捉えて議論や思考を楽しむトレーサー達のご多分に漏れず――趣味の一つである。加えて日向は、佐藤やジンや新太といった、我が道を歩んで成功している者達を知っている。
それっぽい台詞はすらすらと出てきた。
「日向の名言来たね」
いつの間にか――もっとも日向は気付いていたが――来ていた祐理がなぜかしたり顔でつぶやき、志乃も頷いて、
「惚れ直しました」
「……」
沙弥香は友人二人に
ほんの少しだけ顔が赤い。
「素直に認めない沙弥香ちゃん可愛い」
にやにやする祐理は沙弥香に抱きつき、疎ましがられていた。
閑静で小綺麗なニュータウンを横切っていく。
ヘルメットを被ってキックスケーターで滑る子供や、買い物袋をぎっしり詰め込んだ電動自転車などとすれ違う。
途中、老夫婦に挨拶をされ、全員笑顔で応えた。そんな日向の様子が見慣れないのか、沙弥香は日向を二度見していた。
間もなく家に着く頃合いだ。
日向は迷った末、念を入れることにする。
「三人には改めて言っておくが、俺が新太さん並ってことはばらすなよ」
「は? 何調子乗ってんの?」
沙弥香は日向が部分的には新太を超えていることを知らない。
「言葉の綾だよ。俺が超高校級であることはばらすな、と言っている」
「なんでよ? もうばれたようなものじゃない。琢磨も知ってるし」
「それでもだ。俺は琢磨よりも少しだけ強い――そのくらいで留めておきたい。琢磨程度なら正直取るに足らないが、俺がこのレベルであることは知られたくない」
「だからなんでよ」
「目立つと困るからだよ。俺は今、水面下でプロになるための準備をしている。俺という存在が今、世の中に知られるのはまずいんだ」
沙弥香が怪訝な顔つきのまま腕を組む。
口を開く様子は無いが、鋭い相貌は凝視のごとく向けられている。
「それはつまり、名前を大々的に公表するタイミングがある――ということでしょうか。広報戦略の一つですよね」
「まあそんなところだ」
「どゆこと? なんで困るの?」
隣を歩く祐理がこてっと首を傾げる。
無意識なのだろうが、こういう動作の一つ一つが男子曰く可愛いらしい。
「仮に今の俺の実力が知られたとする。間違いなく拡散されるだろう。高校生離れした凄い奴がいる、と」
沙弥香が「大げさよ」と口をはさむが、日向は無視して続ける。
「で、何年後かは未定だが、俺がプロとして名乗りをあげたとする。既に拡散されているせいで、ああ、あの人か、となるわけだ。インパクトが足りない。広報としては失敗だ」
「逆に知られてなかったらどうなるの?」
「ぽっと
普段無愛想な日向は珍しくオーバーな声を演じたが、言った後に後悔する。
案の定、祐理がぷっと吹き出した。
「なるほどね。くだらないツイートやらブログやらが乱立して、お祭り騒ぎになるわけね。それこそスポーツテストの、X《エックス》の時みたいに」
「えっくす?」
スポーツテスト一位の騒動は、祐理が転入する前の出来事である。祐理が知らないのは当然であったが、日向は祐理の反応を無視した。
沙弥香も「でも大げさね」構わずに続けている。
「たかが身体能力が化け物な高校生ってくらいでそこまでの話題性は無いわ」
「なるさ。既に新太さんとの交友があるからな」
新太は人気芸能人にひけをとらない知名度を持つ。
――あの新井新太が育てた高校生。
暴力的なキャッチコピーであることは想像に難くない。
「でも新太さんの二番煎じは御免だ。俺は俺という全く新しい存在として、世の中にインパクトを落としたいんだ」
「なんか胡散臭いねー」
祐理の感想はもっともだった。どころか
「私もそう思います。日向くんは、どちらかと言えば世の中がどうなろうと知ったことではなくて、自分さえ良ければいいというタイプではないでしょうか」
志乃も同様らしいが、こちらは確かな見解として述べているのだろう。
日向は、志乃には自分のことを語りすぎてしまっている。
「志乃の言うとおりだが、俺が言っているのは手段の話だ。不自由なく暮らしていくために、地位と生活基盤が欲しいだけだよ」
日向は冷静に、淡々と嘘を紡ぐ。
これが完全なでまかせであれば、さして器用でもない日向に勝ち目はない。
しかしプロとしてパルクールで食べていくという選択肢は、日向にとっては――アイデアはともかく実力は――射程範囲内にすぎない。そもそも日向はジンと組んで村上学校を、施設長こと村上烈を騙し続けているのだ。
淀みなく語ることは、造作も無いことだった。
「別に世の中にインパクトを与えようが与えまいがどうでもいい。与えた方が楽して儲かりそうだから与える。それだけだ」
「自信があるのね。具体的にどんな計画を立てているのか教えてもらえる?」
「教えるわけねえだろ」
三対一。そんな構図を日向は感じていた。
日向調べ隊という不穏なLIMEグループも目撃したばかりだ。
おそらく祐理主導なのだろうが、そもそも日向は祐理が何をしているのかを知らない。さして興味も抱いていないし、そんなことに時間を費やす気もない。ただ自分に直接向けられた嫌疑や疑念を退けるだけだ。
そう考えていたが、ここに来て立ち止まる。
――この際、能動的に対処するべきだろうか。
たとえば密かに祐理を尾行し、何をしているかを探る。
たとえば探りを入れる会話を吹っかけて、反応を見る。
たとえば自宅にカメラを仕掛けて、その企みを暴く――
そうこうしているうちに自宅に着いた。
日向は先行して手洗いを済ませ、自室で着替えを済ませた。
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