6 下校1
放課後、即行で教室を出ようとした日向は、またも祐理に阻まれた。
「一緒に帰ろうぜぃ」
口調はフランクだが両手は広げられ、腰は落とされている。
手加減無しで抜くべきか迷っていると、沙弥香らもやってきて壁が形成された。
越えられないことはないが、非凡であることを知らしめるには割に合わない。
日向は嘆息をもって同意した。
日中業者が掃除していたからだろう、清潔な光沢を放つ校門をくぐる。
目の前には見慣れた下り坂。歩道さえも大通りのように広く、横並びで下るグループが何十も見える。二カ所ほど人一人分さえ通りづらい部分が発生しており、一人で早歩きする男子がもどかしそうにしていた。
迷ったあげく、彼は視線を落とす。その先は、前を歩く女子の膝裏。
――俺だったら撮れるな。
周囲の生徒を余すことなく把握していた日向は、胸中でそんな結論を出していた。
このような衆人環視で
などと現実逃避をしているところで、前方の会話が届いてくる。
「なるほど。パルクールは偉大なのだな」
「違うわよ。熱心に練習し続けるトレーサーが偉大なのよ」
日向は志乃と肩を並べて歩いていた。
その前には誠司、琢磨、沙弥香とトップカースト勢が一列に並んでいる。そこいらのグループには無い圧が感じられる。
加えて沙弥香の右後ろには祐理――沙弥香と距離が近く疎ましがられている――がいて、さらに右隣には、このメンツを凌ぐ有名人。
「でも珍しいねー。春日さん、ものすごく忙しいイメージあるもん」
「学生はそういうものだろう?」
「で、その忙しい春日春子大先生が、アタシに何の用なのよ」
春日春子――春日野高校を経営する春日家の長女、つまりは学園長の娘として知られ、自身もその名に恥じぬ存在感を放つ人物。
その凜然とした歩き方と、どう手入れすればそうなるかわからない、長い黒髪の艶やかさだけを見ても、一介の生徒とは別次元を生きる人間なのだとわかる。
春子とは玄関で合流した。沙弥香に用があるらしく、半ば強引に付き添う形になっていた。
女子陣が早くも打ち解けている一方、心なしか男子陣はおとなしい。誠司はともかく、琢磨は好んで観察しているだけなのだろうが。
その春子は沙弥香を手招きし、一歩距離を詰めてきた沙弥香に耳打ちをする。
「お兄さんのことだ」
聴力に優れた日向は、かろうじて聞き取れた。
鍛錬に貪欲な春子のことだ。先ほどまでの会話を考えても、パルクールを倣うつもりだろう。
逃走犯を逃がさない力を手に入れるために。
性犯罪者に二度と負けないために。
文化祭の時、女装した日向は春子を圧倒したが、あの時、対峙した彼女からはただならぬオーラを感じていた。
盗撮に関する嫌悪や敵意、いや憎悪とでも呼べるような、刺々しくもまがまがしいものを。
――もっと被写体にしたいところだが、リスキーだよなぁ。
「却下。その話題は一切受け付けないわ」
「そうか……」
春子は項垂れてみせると、ちらちらと沙弥香に視線を送る。
「しつこいわね。ダメなものはダメよ」
「そうか……」
有無を言わせぬ沙弥香の前に、今度こそ諦めたようだ。「意外とお茶目ですね」隣の志乃が小声で話す。「ああ」日向は棒読みで返すに留め、彼女達への注視を継続する。
「仕方ないよ春日さん。沙弥香はブラコンだからね」
ここで琢磨が口を開いた。へらへらしている。
隣の誠司は「嘘やろ」とでも言いたげな驚愕を浮かべていた。
「琢磨しばく」
沙弥香が手を伸ばすのを、琢磨は素早く回避。誠司の左側に回り込み、盾にする。
誠司を柱に、二人の鬼ごっこが開幕した。つぼに入ったらしく、祐理が声を上げて笑う。
ふと春子が、思い出したように振り返ってきた。
志乃ではなく、日向を向いている。間もなく自然にペースを緩めて、日向の左隣にぴたりとついた。
「……どうしました?」
「君もパルクールをしているのだろう?」
どうせ沙弥香あたりにばらされるだろうが、日向は悪あがきを試みる。
「いえ、僕はしてないです」
「ならば説明してほしいところだ。君の立ち振る舞いは、素人のそれではない。ずっと気になっていた」
「……」
思わぬ詮索だ。この様子だと前々から気にしていたようだ。
何とかして興味を逸らしたいが、とっさには何も思い浮かばない。
志乃にアイコンタクトを送ってみる。素知らぬふりを決め込んできた。
「……熱心に筋トレしてるだけです」
「熱心な筋トレだけではそうはならない。君からは明らかに、何らかの実践に揉まれた形跡が感じられる」
好意を抱いていれば常に助けてくれる、とは限らないらしい。
志乃だけでなく祐理もだが、むしろ実力を隠す日向を不満に思っており、もっと広く知ってほしいと考えている節がある。
好きならば秘密裏に、内密に独占したいものではないのか。
日向は相変わらず乙女心がわからなかった。
「気のせいだと思いますよ。たぶん懸垂や腕立てといった原始的な運動を取り入れてるからかと」
「つまりパルクールであると」
「パルクールではないです」
「嘘は良くないな」
口ぶりから察するに、確信があるのだろう。日向は「ですね」降参した。
春子は頷いた後、
「パルクールもそうだと思うが、マイナーな嗜みを知る者は引き寄せられやすい。まして君は彼女らに一目置かれている。これだけでも十分な根拠だと思うが?」
「……さすがですね」
春子の推し量るような視線を受ける。
居心地が悪い日向は次の言葉を探していたが、別の人物が動いた。
「わたしは彼をおすすめしますぞ」
「コイツの言うことは真に受けないでください。俺を慕うブラコンみたいなものなんで」
「ブラコンどころじゃないよ。もっとだよ」
「さりげなくアピールするのもやめろ」
「私も負けませんよ」
すかさず志乃も日向の腕に抱きついてくる。
胸部に絡めることを忘れていない。この引き寄せ方や包み込み方には覚えがある。祐理のそれとよく似ていた。
「ほう」
「ほう、じゃないですよ春日さん。あなたの狙いは新太さんでしょう? 俺の見解を述べますと、諦めた方が良いと思います。あの人は素人を相手にするほど暇じゃない」
春子は一瞬、むっとした表情を見せたが、すぐに「なるほど」頷き、あごに手を当てる。
「彼の人柄が見えた気がする。なるほどな、やはりそういう感じなのか。ふむ。ならば――」
ぶつぶつと呟く春子。
そんな彼女を祐理は一目見た後、日向に向けて、にやりと意味深に微笑む。
その手が身体ごと伸びてきて、左腕を取られた。
志乃と同じように、しかしはるかに強い力で引っ張られ、包まれる。
弾力も段違いだった。
ここで、まだ逃げ回っていた琢磨が「ハーレムじゃん」すかさずいじってくる。
狙いどおり沙弥香の怒りも止んだようだが、代わりに日向が睨まれることとなった。
「気持ち悪いわね。誠司もそう思わない?」
「そうか? ワイは羨ましいで。男のロマンやん」
誠司は肩パンを食らっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます