5 ハーレム2

「お席ありますか?」

「あるわよ。この二人がどけるから」

「さやちん、最近ワイらの扱いが酷いよな」

「同感だね」


 誠司と琢磨は苦笑しつつも、素早く移動する。窓側最後尾に座る日向の、前席の机を囲む形で座り直した。

 日向側の椅子は空けられており、そこに志乃が座る。

 ふわりと嗅ぎ慣れない匂いが日向の鼻をくすぐった。


「めかしこんでるね」

「どうです? 似合いますか?」

「人工物は好きじゃない」

「ギャップを狙えると思ったのですが……残念です」


 沙弥香は志乃の顔をじろじろ見ていたが、祐理はすんと鼻を鳴らした後、ぽんと手を叩いた。


「香水だっ! わたしは好きな匂いかなー」


 ちなみに春高は――限度と例外はあるものの――おしゃれにも寛容である。香水の他にピアスも許されていたりする。


「祐理さん、くすぐったいです」


 祐理が志乃に鼻を近付けてじゃれているのを、日向は口をもごもごさせながら見ていた。

 視線をずらすと、何か言いたげな沙弥香と目が合う。

 ごくりと飲み込んだところで、その形の良い唇が開く。


「モテモテね。気持ち悪い」

「俺に言うな。こいつらに言え」

「日向がキモいのは今に始まったことじゃないよ」

「そこもまた良いところです」


 目の前からぶつけられる、二人分の好意と。

 その隣から刺さってくる、一人分の嫌悪と。

 両極端なのが妙につぼで、日向は吹き出しそうになるのを堪えた。


 途端に居心地の悪さが顔を出す。

 琢磨と誠司を始め、見世物のように注目されている。たまにしか登校しない芸能人のクラスメイトでさえもここまではひどくないだろう。想像以上の規模に日向は不快感をおぼえる。

 身体を動かせば気にもならなくなるが、今は食事中だ。

 一人なら密かに鍛えることステルストレーニングができるが、今やったところで鋭い志乃に気付かれ、ネタにされるのがオチだろう。


 結局、日向は昼食の消化に勤しむことで逃避する。


 日向を囲む女子三人は早速、他愛の無い話で盛り上がっていた。

 クラスメイト達の視線などまるで気にしていない。

 沙弥香と祐理はさておき志乃もそうだった。四月頃の、おどおどしていた頃が嘘のようだ。


 そんな花々が話に花を咲かせていたが、ふと会話が途絶えたところで誠司が割り込む。


「東雲さんも渡会君のこと知ってたんか?」


 沙弥香に睨まれた誠司は、パンをかじりながら片手で詫びのジェスチャーを入れる。

 その様子がおかしいのか、志乃はくすりと微笑んでから、なぜか祐理を見つめて、


「はい。むしろ私がファン第一号です」

「第一号はわたしなんだけどー」

「祐理さんは幼なじみなので対象外です」


 もはや恒例となりつつある対抗意識である。


「ファンかぁ。運動神経に惚れたん?」

「はい」

「ならワイはどう? ワイも強いで?」


 誠司の発言は決して自意識過剰ではない。多様な生徒が集まる春高において、琢磨に次ぐスポーツテスト二位――今年は日向のせいで三位――を取っている。

 高校生男子としてはかなりのものだ。体育でも特に目立っているし、琢磨とともに何かと無双している。


「えっと、すみません……ご存じなくて」

「えぇ!? ワイを知らへん?」


 沙弥香がぷっと吹き出す。祐理は感心したように呆けていた。

 日向もどちらかと言えば後者の感想を抱く。志乃は男子の運動神経という、知りたくなりがちなバロメーターにとらわれていない。

 そんな人間に好意を持たれているという事実を改めて知り、日向はどことなく落ち着かなかった。


「じゃあオレは知ってる?」

「はい。佐久間君は目立ってましたから」

「ワイも目立っとるやろー」

「ごめんなさい」


 志乃の態度は、台詞以上に淡々としたものだった。


「この世界線おかしない?」

「何おかしなこと言ってんのよ」

「さやちんはどうや。ワイと渡会君、どっちがええ?」

「どっちもイヤよ」


 日向は水筒を掲げて流し込んでいたが、視線を感じたので眼球だけ動かす。案の定、沙弥香と目が合った。

 今に始まったことではないが、よほど気に入らないらしい。

 裏を返せば、それだけ新太を愛しているとも言える。


 ――これが脅威にならなければいいが。


 直後、日向は警戒してばかりの自分が滑稽に思えた。

 苦笑で口元が緩むのを水筒で隠す。沙弥香は気付いたようだが、


「お兄ちゃんだけだもんね」

「そうよ」


 琢磨がいじってくれたおかげで事なきを得た。


 それからも雑談が続く中、日向は黙々と消化に勤しみ、最後の一口を飲み干す。

 併せてこの場からも離脱したい日向は、水筒を片付けながら機会をうかがう。


「渡会君とはどこで知りおうたん?」


 それは誠司から志乃に向けた発言だったが、「図書委員だよ」日向はすかさず横槍を入れた。

 一瞬だけ当惑の間があったが、さすがはトップカースト勢。ほぼ違和感無く紡ぐ。


「渡会君、もしかしてアレか、山下先生も……」

「そういや親しそうだったね」

「タクマンは一蹴されたんやけどな」

「うるさい」


 なははと笑う誠司の横で、またもや沙弥香の視線が痛い。

 日向はつい弁明を口にする。


「違えよ。気に入られてるのは東雲さんだけで、その矛先が俺にも来てるだけだ」


 しかし、これが思わぬ地雷だったらしい。


「前々から言いたかったんです」


 志乃が体ごと日向を向いて、行儀良く座り直してきた。両手を膝の上に置く。


「えっと、どうしたのかな、東雲さん」

「私だけ名字呼びですよね」

「……成瀬も名字呼びだけど」

「口調も私に対してだけ、どこか優しいというか、一線引いてるというか」

「そんなことはないと思うけど」

「祐理さん、どう思います?」

「そだねー、ちょっと猫かぶってるね。わたしには『そんなことねえよボケッ!』って言うもん」


 祐理の演技は悪意しか感じないものだった。


「言わねえだろ……」

「ほらっ! 祐理さんにはそういう口調じゃないですか」


 唐突の志乃の大声量に少しひきつつも、日向はその意図がわからず尋ねる。


「えっと、東雲さんはつまり、何が言いたい?」


 そこまで言うと、祐理と沙弥香が顔を見合わせて嘆息し合った。

 こういう呆れ方には身に覚えがある。鈍い日向とはいえ、ある程度付き合っていればさすがに気付く。


「私は彼女なのですから、そろそろ名前で呼んでいただけませんか」


 二人は今度は同時に振り向いてきた。素で驚いているらしい。「心外だな」日向は一言置いて、


「しれっと嘘つくのはやめてね。名前呼びは別に構わないけど」

「口調もですよ。もっと馴れ馴れしくしてほしいです」

「……祐理みたいにか?」

「はい」

「どうにもやりづらいんだが」

「なぜです?」


 志乃と話している間に、祐理は手でマイクをつくって沙弥香にインタビュー。沙弥香は「きもいわね」と明瞭な感想。

 そこに琢磨と誠司が椅子を寄せてきて、日向と志乃について四人で好き勝手な憶測をコメントするという光景が広がっていた。


「そうだな、まず東雲さ――志乃が敬語で喋ってくるから、自然とこちらの言動も丁寧になってしまうのと、あとは、そうだな……志乃は祐理みたいに気心知れた仲じゃないし、沙弥香みたいにどうでもいい存在でもないから、あまり適当な言葉遣いができない」


 沙弥香が「は?」と凄みのある声音と表情をぶつけてきたが、無視する。


「なるほど。つまり日向君がそういう言葉遣いをするのは、よほど親しい相手か、どうでもいい相手だけだということですね」

「たぶんね。言語化すると、そんな感じが近いと思う」

「そうかな?」


 自然に割り込んできたのは琢磨だ。

 違和感を感じさせない、絶妙のタイミングとボリューム。日向は胸中で感心した。


「オレや誠司にもそういう口調じゃん? 日向ちゃんにとって、オレらはどうでもいいはずなのに」

「男子だからな。……いや、少し違う気もするな。正直よくわからん」


 元々日向は口調には無頓着だったが、乱暴な口調が女の子を容易く泣かせることを知り、配慮するようになった。


 日向の口調は、たまに遊び相手に付き合わされている子供たちがベースとなっている。

 施設時代は一回りも年の離れた弟や妹らに徒党を組まれて鬼ごっこやいたずらを仕掛けられたし、今も春日野町の公園でトレーニングをしている関係で、一部の子供たちからはヒーロー扱いされている。子供と関わる機会はそこそこあるのだ。


 自覚こそしていないものの、人付き合いの機微に関して、日向は自分が思っているほど致命的に欠如しているわけではない。


「ふふふ。変なの」


 四人が相変わらずオーバーにいじってくる中。

 志乃だけは、柔らかく微笑んでいた。


 日向にはそれが心地良かった。

 一瞬、自分も顔が緩みそうになり、表には出さないが慌てて堪える。


 こんな自分を好いている志乃に対して、率直な感想を口にした。


「人のこと言えねえと思うぞ」

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