第2章 文化祭の余波
1 次熱1
六月二十一日、水曜日の朝。
二年A組のホームルーム中に響く喧噪は、いつもどおりの音量を取り戻していた。
「――今から警告しておくが、くれぐれも無茶はしないように。学業をおろそかにしないように。それから夏バテに負けない生活習慣も整えておくように」
日向は教室内を広く視界に入れながら、担任が言及している次のイベントについて考える。
春日野高校体育祭。
七月十五日、土曜日に開催される。体育祭と言えば、たいていの高校が催す恒例行事だが、春高では力の入れ方が違う。
あえて文化祭直後の、夏季のまっただ中に設定されている上、テーマも毎年固定で「真夏の大白熱祭」。本気で戦わせる気マンマンである。
何より優勝賞品が群を抜いていた。春高という私立高校を全国に知らしめるポイントでもある。
「タクマン、頼んだで」
「人任せは感心しないな誠司」
「アタシは別に興味無いんだけどねー」
最前列に一席分ずつ飛んで座る琢磨たちが遠慮無しに会話を交わすと、にわかに私語が増えた。
嘆息してみせた担任が間もなく注意したことで、あっさりと収まる。
「ねえ日向。プールって何なの?」
祐理が頬のそばに手のひらを立て、小声で尋ねてきた。じろりと担任の視線が刺さるが、見なかったことにしたらしい。
担任が説明を再開したところで、日向も小声で応対する。
「高級プールの招待券だよ。春日リゾートという庶民には無縁のリゾートがあって、そこのプールで一日遊べるんだ」
「ぷかぷか浮かびながらお酒飲む感じ?」
「それはナイトプールだっての。高校生を行かせるわけないだろ」
「それくらい知ってますぅ。むしろ日向がナイトプールを知ってるのが意外」
「バカにするなよ」
着眼の鋭さに、日向は胸中で舌を巻いた。
日向がナイトプールを知っているのは、盗撮経験があるからだ。
もっとも戦果に対する反応はいまいちで、いわゆる『パリピ』な大人女性の水着姿は、カミノメユーザーの琴線に触れなかったのだが。
「プールってどんな感じ? 楽しいのかな」
「私語せずに先生の話を聞け」
「ぶー」
言いながらも祐理はおとなしく引っ込んだ。まだ横目で見られているが、日向は気にせず思考を続ける。
――ともあれ体育祭に集中できそうで何よりだ。
文化祭の余熱も、三日も過ぎれば冷めるらしい。
知る人ぞ知る逃走犯の話題も一昨日、月曜日時点では盛り上がっていたが、昨日午後には沈静していた。
まだ怪我を負った生徒とその周辺人物には強い憤慨が残っているものの、大部分の生徒には所詮他人事である。
――春高側も問題は無かったしな。
その手段は二つ。一つはガシア――学校侵入アプリが教えてくれるセキュリティ状況から。もう一つはガシアと同様、佐藤が構築したミラーリングファイルサーバー内の教職員専用ファイルから。
職員会議の議事録では議題にさえ挙がっていなかった。春日家の独断で握り潰したのだろう。
無理もない。盗撮が発生し、取り逃がしたとなれば、春高の評価は落ちるのだから。
盗撮と逃走を行った日向自身の所感では、逃走はともかく、盗撮に気付いたのは春子のみ。
そして春子は、誰にも伝えていない。あるいはせいぜい父親くらいか。いずれにせよ容易に握り潰せる範囲内である。
――あとはこいつらに用心するくらいか。
日向は前方、スクールカーストの風格が醸し出されているあたりの中心人物を見る。
佐久間琢磨。
他学年にも知られるほどハイスペックな男。
いまいち掴みどころのない男。
日向が実力のある
そうでなくとも祐理や志乃のせいで悪目立ちしてしまっているし、日向の立ち位置も琢磨らトップカースト勢の範疇だと認識されつつある。
目立ちすぎている。
人と関わりすぎている。
しかし今さらどうしようもなかった。
撮り師という裏の顔は死守するにしても、普段隠している身体能力まで隠し通すには限度があるだろう。この体育祭、直近一ヶ月の間にばれてもおかしくはない。
「――以上だ。それじゃ号令」
担任の話が終わり、号令による起立が始まったことを察知した日向は、即座に反応して席を立つ。
無論、慌てて立ち上がるような不器用な振る舞いはしない。そうならないよう素早く反応する程度のことは、日向には造作も無いことだった。実際、隣の祐理さえも日向が思索に耽っていたことに気付かない。
ホームルーム終了後、日向は男子トイレに向かった。
個室に入り、鍵を閉める。誰にも邪魔されたくない時の逃避である。
(体育祭の撮影戦略を考えないとな)
高校生にもなれば運動会に張り切る女子は少なくなるが、春高はその限りではない。ただでさえ行事に熱心な風土に加えて、プール特典もあるからだ。毎年女子達も全力を出す。
撮り師
(このために去年は丸々情報収集に充てたんだからな……)
ケッコンのように明確なコンセプトは無くてもいい。既にJKPに親しんでいるユーザーにとっては、体育祭で白熱するJKの一つ一つが貴重で垂涎な
単に撮ればいい。撮りまくればいいだけだ。
数が多ければ多いほど評価され、収入にもアピールにも直結する。
まさに金のなる木である。
たとえ文化祭の時のような、いや、それ以上のリスクを犯してでも、取り組む価値があると言えた。
「くふふ……」
日向は顔のにやけをあえて抑えずに、内なる高揚を楽しんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます