2 感想
春高祭はつつがなく進行し、滞りなくフィナーレを迎えた。
来場客を出し終え、夜もすっかり暮れたグラウンドの中央ではキャンプファイアーが点火され、自由行動の生徒らがカップを片手に散らばっている。
何かと厳しい昨今にもかかわらず、このような後夜祭を開催できる点は、春高の人気の一つだ。
後夜祭は自由参加だが、午後八時を回った現在でも生徒の半数以上が残っている。
既に告白の光景が複数見られるほど浮ついた場であったが――中央に近い、とある一画に集まるグループだけは異様な静寂と迫力を放っていた。
その顔ぶれを知り、その表情が見えた者は近寄ろうとしない。
また知らない他学年の生徒であっても、それらがいわゆるスクールカーストの頂点に位置していることは肌で感じられた。
「そんなことがあったのか……」
ここに集まることを提案した人物――琢磨が件の話を聞いた後、ぽつりと呟く。その隣であぐらをかく誠司は、気怠そうに間延びした影を見ていた。
「誠司。お前は大丈夫なのか?」
「ワイは問題無い。けど、あの子が心配や」
「あの子?」
「逃走犯にタックルされて吹き飛ばされた子がおんねん。車にはねられたみたいに吹っ飛んどった」
「全治一ヶ月らしいわよ」
二人の背後、より熱い位置では沙弥香と祐理が並んで腰掛けている。
「ホンマありえへんわ。あの女、何やねん」
「トレーサー――かもしれないわね」
沙弥香は振り返り、誠司に返しつつも、琢磨に意味深な視線を送る。
「トレーサー?」
誠司が首を傾げる横で、琢磨は頷いていた。隣を見ると、祐理も「うん」と同意を示す。
沙弥香は一呼吸置いた後、自身が隠していた趣味――パルクールの話を誠司にも共有した。
共有後、改めて見解を述べる。
「あれは普通じゃなかったわよ。少なくともアンタらよりは強い」
「せやな」
誠司があっさり認めたので、琢磨は思わずその横顔を見た。「何やタクマン」琢磨は首を横に振る。視線を沙弥香に戻し、純粋な疑問を口にした。
「それって本当に女なの? 悪いけどオレ――いや誠司もそうだけど、その辺の女性アスリートには負ける気がしないよ」
「琢磨に同じや。ワイは女装した元軍人の変態男、に一票やな」
「違うわ。あれは女よ。動きの質が女だったもの。というかキャシーそっくりだったもの」
沙弥香の目は少しも揺らいでいない。どころか絶対と信じて疑わない闘志の色さえあった。
「……そうやな。言われてみればそんな気もするわ」
「不謹慎だけど、オレも一目見たかったなー」
そんな風にして誠司と沙弥香による情報共有会が行われる光景を、祐理は平静を保ちながら見ていた。
次々と伝わってくる、実力者トレーサーの特徴と。
春高祭の最中もちらちらと脳裏によぎった、意中の同居人と。
その幼なじみがなぜか今日に限って丸一日休んでいる事実。
何の証拠もなければ、関連もない。
ただ印象的な事象を並べているだけにすぎない。
しかしそれは祐理の頭からは離れてくれなかった。
詰みかけていることがわからない未熟な棋士のように。あるいは意味がわかると怖い話を読んでいる時のように。
嫌な予感を感じずにはいられない。
「一ノ瀬さんはどう思う?」
「……え? わたし?」
「一ノ瀬さんは一人しかいないよ?」
琢磨が苦笑すると、祐理は大げさに笑ってみせた。
「あはは、そうだよねっ。ごめん、正直結構疲れてるんだー」
「オーリー役、張り切ってたもんね」
「何言ってんのよ。普通にアタシらとくつろいでたじゃない。当のリーダーも見て見ぬふりしてたし」
「好奇心に負けたんだよ。おかげで愛しのお兄様と知り合えたから安いもんだよ」
「殺す」
「ごめんて」
沙弥香は止まらず、琢磨の首を締め上げるに至っていた。
誠司もいじろうとしたが、沙弥香の目が思っていたよりもマジだったので苦笑するに留めた。
「それで祐理。アンタの見解はどうなのよ?」
「んー……そもそもその人、タックルが強かったんでしょ? わたしはパルクール関係無い、に一票かなー」
「いいや、あるわ。キャシーはね、動画再生数がしょぼいのよ。彼女を知る国内トレーサーはたぶんそうはいないわ。お兄ちゃんも知らなかった」
「お兄ちゃん」
琢磨が復唱した途端、沙弥香は再度力を入れた。琢磨らしからぬ、情けない悲鳴が漏れた。
「でね。キャシーの動きはね、独特なのよ。女性なのにパワフルというか、パルクールらしくないというか。でもちゃんとした助走になっているのよ。それでありながら動きの質は全体的に女性のそれなの。柔軟性と可愛らしさが滲んでいる。そのアンバランスさがたまらないのよ」
沙弥香は琢磨を解放し、胸ポケットからスマホを取り出して何やら操作。
祐理に差し出しつつ、男子二人にも手招きをする。
後夜祭の、燃えさかるキャンプファイヤーの前で、男女計四人がスマホを覗き込むという光景ができあがっている。
四人の知名度や
しばし動画を視聴する。
「――たしかにユニークだねぇ」
「ワイルドやな」
「ごめん、よくわかんないや」
「でしょ。これと瓜二つの女がいて、アタシや誠司を出し抜いたのよ? 信じられる? あの逃走犯がアタシと同じくパルクールを嗜んでいて、アタシと同じ趣向をしていたとでも言うの? どんな偶然よ」
「あはは、そうだねー……」
外からは沙弥香の剣幕に押され、内からは嫌な予感に押され、と祐理は中々に胸が苦しく、苦笑を浮かべることしかできなかった。
「あ、そうだ」
ふと、琢磨が思い出したかのように口を開いた。
「日向ちゃんにも訊いてみようよ。明日は来るんだっけ?」
「んー、どうだろ」
「アイツには訊かなくていいでしょ。どうせ女性トレーサーには興味無いわよ」
「あ、そっか。日向ちゃんは沙弥香のお兄さんと付き合っているんだっけ」
沙弥香は無言で琢磨の捕獲に走った。逃げる琢磨のスタートダッシュはそんな行動を明らかに読んでいた。
運動部顔負けの、ガチな鬼ごっこが突如始まったのを見て「なはは」誠司が笑う。
「さやちん、おっかなすぎやろ」
「成瀬君も気を付けた方がいいよ。沙弥香ちゃん、手加減しないから」
「せやな」
誠司は地面に寝っ転がった。
つられて祐理も空を見上げる。星はあまり見えない。炎が明るすぎる。
祐理は会話が振られることに注意を向けていたが、誠司にその様子はない。
――どうせ女性トレーサーには興味無いわよ。
沙弥香の言葉が再生される。
そうなのだ。
日向というトレーサーは、どこまでも己にストイックで、基本的にエゴである。実力的に劣っているとわかっている性別など最初から相手にしない。眼中にもないはずだ。
今日もどこかでハードなトレーニングか、チャレンジングなジャンプでも楽しんでいるのだろう。
もう帰っているのか。それともまだお楽しみ中なのか。
前々から計画していたくらいだから、泊まり込みでもおかしくはない。日向なら一人でも一晩中楽しむだろう。
だから、あるはずがないのだ。
――日向は、ここには来ていない。
「うん」
祐理は一人頷く。
とりあえず顔が見たい。
そんなことを考えていた。
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