8 休息日8
午後五時をもって春高祭の一日目が終了した。
体育館は豪華なフィナーレで盛り上がっていることだろう。しかし校舎では味気ない放送が流れただけだった。
いつもの放課後を思わせる喧噪が訪れる。違うのは生徒の格好と校内の装飾か。この非日常感に日向は心地良さを感じていた。
「今日は楽しかったです。くたくたですが」
「わたしもー……」
一年生フロア――五階の渡り廊下で、窓から中庭を見下ろしながら二人がつぶやいた。
志乃は背中を預け、祐理は前のめりにぐでっともたれている。
ここに来たのは祐理の提案だ。本人曰く、ちょっとサボりたいからと。
「だらしないな。まだ明日があるというのに」
「さすがですね、渡会くんは」
「ばけものひなた」
日向は二人の後方で直立していた。
疲労は軽微だった。メイドカフェでくつろいだ後もあちこちを歩き回り、特に身体を動かすアトラクション系の出し物で何度も遊んでは祐理を目立たない程度に叩きのめしていたが、日向にとっては
「食事の差だよ。模擬店の粗悪品なんか食べるからエネルギーが切れるんだ」
「またそういうこと言う……」
自分のポテンシャルを自然に誤魔化しつつ、渡り廊下に意識を向ける。
幅で言えば教室よりも広く、休憩時間や放課後は生徒の溜まり場になるスペースだったが、今は閑散としている。一年生も片付けと準備に忙しく、たまに何かを運ぶ生徒が通りがかる程度だった。
会話は露骨になってきているが、あえて注意する必要は無さそうだと日向は判断した。
そもそも本当ならすぐに帰宅して、明日の盗撮本番に備えたいところだが、そうもいかない。明日の準備に勤しむというていを祐理に見せておく必要があった。
「明日も閑散とすればいいのにな。そしたら楽できる」
「ぶすいひなた」
「他人事じゃないぞ祐理。俺達はビブリオバトルを運営するだけだからまだマシだが、お前はオーリー役だろ? 明日の客入りはえげつないぞきっと」
その言葉とは裏腹に、日向は明日、丸々サボるつもりでいる。
この件は志乃とも共有している。というより、唯一の協力者だ。
使う理由はシンプルに仮病。伝える先は山下先生。もっとも日向ではなく志乃の口からだが。
そうなると図書委員の出し物、ビブリオバトルの運営をどうするかという話が出てくるが、既に志乃だけで回せる段取りになっている。山下も志乃に一任しているため、志乃が問題無いと言えば大して気には留めないだろう。
問題は祐理であったが、早朝から出かけてしまえばいい。
祐理は早朝には起きないタイプだし、仮に起きたとしても逃げるのは容易い。言い訳は、明日が終わった後で考えればいい。
撮り師として飛躍するためにも。
今後も楽しく稼ぎ続けるためにも。
明日だけは、絶対に外せないのだ。
「客の多い校内を歩き回らないといけないオーリー役には同情するよ」
思ってもいないことを口にする日向。
祐理はというと、明日の忙しさを想像したのか、締切直前の宿題を前にした時のような顔をしていた。
「やっぱり今日オーリーをやって、明日は日向と遊ぶべきだったかなー」
「ビブリオバトルは明日だけだ。俺と東雲さんのいない文化祭になってたぞ」
「日向だけでもサボればいいのに。それか、人並以上に働いて当日は免除してもらうとかさ」
「……頭いいな」
どころかほぼ的中しているのだから、思いつきも恐ろしい。
「頭いいな、じゃありませんよ。それでは私が渡会くんとデートできなくなります」
志乃は壁から体を起こすと、日向の横に移動して、その手を握った。
「今日は楽しかったです。また遊びましょうね」
「志乃ちゃーん。もうちょっと遠慮してほしいなー?」
「どうせ家でイチャイチャされているのでしょう? 文化祭くらいは譲ってください」
祐理は頬で不服を表明しつつも、日向の空いた手を素早くかっさらった。
「乱暴すぎるぞ祐理。あと東雲さんも、離してもらえると嬉しいんだけど」
人が少ないとは言え、少しやりすぎである。
「すみません。挑発されたので、牽制しました」
「いや、そんなつもりはなかったと思うけど。だよな祐理?」
「え? したよ? 恋の戦いはとっくに始まってるよ?」
したのかよ。思わず日向は口に出しつつも、二人はすぐ離れたため、内心ほっとするのだった。
離れた二人は、また窓に寄って、外を見る。
視線を落とし、中庭を見下ろしている。
それは美しい背中だった。
場所も、素材も、
そして、いやらしくもあった。
健康的で肉付きが良く、程々に引き締まった祐理の後ろ姿。パルクールの実力を考えれば、もう少しごつくなってもおかしくはないが、祐理はそういうタイプではない。抜群のスタイルを欲しいままにしている。
その隣には主張の控えめな、しかし清楚と気品を感じさせる志乃。スタイルは貧相だが、悪くはない。スカートも長いが、だからこそ想像をかき立てる。よく見ると身体のラインが読み取れるのが、良いスパイスにもなっている。
(優れた被写体なんだがな……)
祐理は家族同然の存在でもあり、
志乃については別段そうではないし、知り合ってからも何度か盗撮している。今は放置しているが『日常シリーズ』でも普通に映しているし、カミノメでも当該動画は既に公開されている。
しかし、こうして好意を向けられ、告白も受け、デートもした仲となれば、何も感じないわけにはいかなかった。
(感情面で障害があったら楽なのにな。いや、それはそれで目立つから微妙か)
日向は胸中で苦笑し。
(欠陥は目立つからな……)
そんなことを考えていると、「あ、佐久間くんだ」祐理がつぶやいた。
中庭を歩いているところでも目撃したのだろう。
琢磨は文化祭実行委員として総合監督のポジションに就き、誰よりも貢献してきた。クラスで唯一、二日とも仕事を免除されて、というよりさせている。
それでもクラスメイトに傲慢さを感じさせないよう、今も後片付けや準備を率先して行っているのだろう。
「にしても佐久間くん、さすがだったねー」
「そうですね。どおりで学力試験でも勝てないわけです」
さっきのメイドカフェで話した件――つまりは日向の正体がバレたことは、あの後すぐに共有された。
琢磨の望みどおり、琢磨は日向というトレーサーを知る、数少ない人物となった。
「いっそのこと、日向調べ隊に入ってもらおうか?」
「能力は買いたいところですが、親しくない殿方を入れるのはいただけませんね」
「だよねー」
「……物騒なグループ名が聞こえてきたんだが」
「気のせいじゃないよ。ささやかなアピールだもん。ねっ?」
祐理から同意を求められた志乃は微笑んで、
「物騒、と仰られましたね? 何か心当たりがおありで?」
日向は内心で頭をかく。
――からかわれてるな。
志乃は楽しんでいるつもりなのだろうが、些細な一言で祐理に何か勘付かれそうな気がして、日向は不安でならない。
だからといって、頭ごなしに言い聞かせるのも無粋だろうし、そもそも今は祐理もいる。
「……無いから物騒なんだよ」
「じー」
祐理のジト目は無視する日向。
「あっ! わたしのことスルーした。やっぱり後ろめたいことがあるんだ!」
「ない。何のことだ」
「今日は楽しかったけど、わたしはまだ疑ってるんだからね。絶対暴いちゃるもん」
「そのことかよ。トレーニングしてるだけなんだがな……」
しらばっくれながらも、居心地の悪さを感じる日向だった。
それからもしばらく時間を潰して、午後五時半。
まずはクラスの出し物を手伝う祐理と分かれ、その姿が二年A組の教室に入り、出てこなくなったことを確認したところで、
「東雲さん。明日はよろしく頼む」
「はい」
日向は本来向かうべき図書室には向かわず、志乃と分かれた。
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