3 デート2

 目的地は予想外に近く、二駅隣だった。

 最初からここで待ち合わせれば、と日向は喉元まで出かけたが、こらえた。


 数分ほど歩いて、着いた先は古本屋。

 入店すると、真正面には背合わせになった本棚。それを側面から見ている形だ。チラシやポスターが丁寧に掲示されていた。


「では、後ほど」


 そう言うと、志乃は迷い無き足取りで奥へと進んでいった。

 ここで一時間ほど過ごすことになっている。てっきり二人でくっついて、いちゃいちゃしながら本を選ぶのかと思いきや、そうでもないらしい。


「楽でいいな。……――俺も何か読んでみるか」


 いつもの日向なら、こっそり抜け出してトレーニングしに行くことを考えるが、これはデートであり、志乃を満たすための交換条件でもある。自分勝手な行動は慎もう、と日向は割り切ることにした。


 ぶらぶらと歩き回りながら本棚を眺めるが、その思考は次第に盗撮へと傾いていく。


 書店でスカートの中を盗撮アップスカートする動画をしばしば見かける。

 日向は未経験だが、書店での盗撮は、本を選ぶ女性客を狙って盗撮することを意味する。通行人がアットランダムなのはもちろん、被写体の動きも読みづらいため、意外と難易度が高そうだ、というのが日向の感想だった。


(しっかし、ばあしかいねえな)


 客はまばらだった。いずれも高齢者である。

 日向は撮り師としての活動を早々に諦め、志乃を思い出す。


 志乃は本棚の一角で見つかった。空気のように物静かに佇んでいた。

 時折ページをめくる以外は、ほとんど微動だにしない。もっとも所詮は一般女性の体力であり、強力な体幹と鋭利な感覚で微細な揺れさえも止める日向とは比べるまでもないが、「リラックスしているな」日向が思わず呟いてしまうほど、志乃は自然だった。


 何となく志乃の隣を陣取ってみる。本棚に並ぶタイトルを読み流しつつ、志乃の様子を探るも、その本を読む手は止まらない。

 声をかけたらどうなるだろう、と一瞬考えたが、やめた。

 集中を乱されることが著しく不快であることを日向は知っている。屋外でパルクールを練習する日向は、無垢な子どもによって、無慈悲な警備員によって、また無神経な大人によって何度も何度も阻まれてきた。思い出すだけでも腹が立つ。

 と、そこで。


「良い本は見つかりましたか」

「……いや、特には。東雲さんはどう? その本がお気に入り?」


 志乃は文庫本に目線を落としたままだが、その横顔は微笑んでいた。


「いえ、そういうわけでは。ついつい読み進めてしまいました」


 文庫本は半分ほど進んでいる。まだ三十分も経っていない。


「すごいね。速読だ」

「大したことありません。慣れればすぐできます」

「そうかなあ」

「渡会くんでいうパルクールみたいなものです」

「なるほど」


 志乃に緊張した様子は見られない。

 一月前の、赤面しながらおどおどびくびくする様が嘘のようだ。そうでなくとも、仮にも好意を抱いているはずで、少しは挙動に表れるのではと日向は疑問を抱きつつ、


「こういうので大丈夫? 俺、何もしてないけど」

「はい。一緒に居れるだけで幸せです」


 デートについての問いだったが、志乃には通じたようだ。


「じゃあトレーニングしててもいい?」

「ダメです」


 笑顔で返された。

 横顔の笑顔。冗談に応える柔らかさと、真剣に禁止する頑なさの内在した、器用な微笑み。


「最低一冊は購入してくださいね。感想も尋ねます」

「速読じゃないんだけど」

「読まなくても結構ですよ。その本を選んだ動機とか、ここに来た感想とか、なんでも」

「大したこと言えないよ」

「感想の質はどうでもいいんです。渡会くんの言葉が聞きたいので。もっと知りたいんです」

「……了解」


 どうにもむずがゆい。日向は、いったん志乃から離れる。

 真面目に本を選ぶことにした。






 結局日向は一冊だけ購入した。


 隣のカフェに入る。

 落ち着いた内装だ。控えめにBGMがかかっている。

 客層も渋い。生活に余裕のありそうな老夫婦が二組。カウンターではマスターが何やら作業をしている。そばには清潔に手入れされた器具がずらりと並んでいた。

 日向は嗜好品を一切飲まないが、コーヒーにはインスタントのイメージしかなかった。こんな大がかりな装置が必要なのか、と少し驚いた。


「何を飲まれますか」

「水でいいや」

「……ブレンドコーヒーですね」

「嗜好品は摂らないんだけど」

「健康のためですか?」

「それもある」

「ここのコーヒーは不健康ではありませんよ。インスタントとは違います」


 日向に自分を曲げるつもりはなかった。反論を試みたが、志乃の豊富な知識と、途中でさりげなく参戦してきたマスターの解説もあって、容赦なく論破されたのだった。


 そうこうしているうちにコーヒーが到着する。

 テーブルにはシックなカップが二つ。上品な湯気と香りが立っている。

 日向は見慣れない液体を凝視していたが、覚悟を決め、味わった。


「美味しいでしょう?」

にがみを美味しいというのであれば、確かに美味しい」

「ふふっ、子どもなんですね」


 横目で見ると、マスターも笑っていた。


 日向は美味しいという感覚がいまいちわからなかった。食事は補給と強化の手段でしかなく、普段の料理にも調味料で味を付けることさえしない。

 味はわかる。ただ、感知した味に対して、どういう評価を下せばいいかがわからない。


(これもまた美味しいと評せる味の一つか)


 日向は他人事のように思うのだった。


 ゆったりとしたひとときが流れていく。

 会話の内容はもっぱら本について。

 日向が選んだ本についても尋ねられた。日向は推理小説を選んでいた。


「適当に決めたんだよ。まずは読んでみようって」

「良いと思います。感想はいかがですか」

「三階から飛び降りることは不可能、と結論付けてるけど、俺は異論を唱えたい」

「それは渡会くんだけです」

「でも現実的にはあり得る。この探偵は未熟だな」

「全国のミステリーファンを敵に回しますよ?」

「上等だね。何なら鬼ごっこしてもいい。楽しそうだ」


 日向は雑談という行為が全く好きではなかったが、今は心地良さがあった。

 自分の趣味でもあるパルクールが通じることはもちろん、志乃が聞き上手で、態度も落ち着いているからだろう。


(誰かさんとは大違いだな)


 つい最近、好意をぶつけてきた幼なじみを思い浮かべた。

 元々人懐っこい性格だったが、志乃みたくアプローチがより積極的になるのだろうか。盗撮に集中したい日向としては悩ましい問題であった。

 対策を検討したかったが、デート中に行うのはさすが失礼だ。そもそも日向は複数の思考を流せるほど器用ではない。


「東雲さんは何を買ったの?」

「五冊ほど。適当に選びました」

「適当なんだね」

「そんなものですよ。どこでどんな出会いがあるかわかりませんし、表紙やタイトルだけがすべてではありませんから」

「隠れた名作ってやつ?」

「それもありますね」


 志乃は購入したばかりの本を取り出し、嬉々として語り出した。

 その場で読んだものについては感想を、まだ読んでいないものについてはあらすじや印象を、飽きもせず楽しそうに紡ぐ。

 日向はそれを聞いていた。


「それはそうと、空気椅子はやめてください」

「してないよ」

「……」


 志乃に真顔で睨まれる。志乃の真顔は貴重だった。


「じゃあ屈んで見てみるといい。お尻は浮いてないから」

「渡会くんなら傍から見てもわからないくらい、少しだけ浮かせることもできると思ってます」

「買いかぶりすぎだよ」

「じゃあなんでそんなに汗かいてるんですか」

「店内が暑くてね」

「……」


 日向は己の認識の甘さを自覚した。

 隠れトレーニングは行っているが、バレたことはほとんどない。また、見抜かれない自信があった。

 しかし、日向の身体能力と性格をある程度知り、かつ好意も抱いている相手となっては、そうもいかないらしい。


「悪かった。つい癖で」

「渡会くんらしいとは思いますが、TPOは弁えてほしいです」

「了解」


 そこからはお互いの幼少期の話になった。

 日向はただでさえ自分の無礼であろう振る舞いを意識的に抑える必要があった上、素直にすべてを話すわけにもいかない――撮り師になった経緯を含め人には言えないことが多数ある――ため、落ち着いた雰囲気にもかかわらず、頭を忙しなく回転させる羽目になった。


 話は大いに花が咲き、昼食もここでとることになった。

 志乃のおすすめでサンドイッチに。日向は三つほど平らげて、志乃を驚かせた。

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