2 デート1

 五月二十八日、日曜日の朝。


 日向は悩んでいた。


(何を着ていけばいいんだ……)


 デートに着ていく服など考えたこともない。

 そもそも考える必要もなければ、考えるつもりもなかったのだから。


 これから行う志乃とのデートは、言わば交換条件である。

 日向は春高祭の準備に充てられる時間を減らしたかった。準備メンバーは図書委員の志乃と日向の二人だけなので、志乃に全部任せれば可能ではある。自分に好意を抱く志乃なら無条件で引き受けてくれるだろう――

 そう期待した日向だったが、志乃は中々にしたたかで。



 ――デートしてください。


 ――デート中は私のことだけを見てください。



 それが志乃から提示された条件。

 つまりデートに手を抜くことは許されない。


(これは条件を満たすためであって、俺が期待しているわけでは決してない)


 自分らしくない行為に、つい内心で正当化する日向だったが、


「……いや、違うな」


 くくっと笑う。


 期待はあった。


 志乃と結婚するという選択肢だ。

 プロと呼ばれる人間のことごとくが結婚し、妻に生活をサポートしてもらえているという事実がある。合理的な生き方だと日向は思っている。


 もっとも採用には消極的であった。自分のような犯罪を容認できる者がいるとは思えないし、いたとしても、そもそも悪事という事実を誰かと共有することそのものがリスクになる。

 しかし、志乃ならば――


 日向は頭を振る。


(いや、ひとりで完結できるに越したことはないよな)


 選択肢は保留にして、身だしなみの準備を続ける。






 春日野駅から数駅ほど離れた駅。その出入口前が待ち合わせ場所だった。


 六月を控えただけあって、気候は暖かい。強烈な日差しも加わって、初夏のような暑さが実現されている。

 道行く人の半数以上は前腕を露出しており、日傘を差す女性も当たり前のように散見された。


「お待たせしました」


 志乃の声に顔を上げる。


 志乃は涼やかなワンピース姿に身を包んでいた。

 頭には麦わら帽子。肩からはトートバッグを下げている。足下は女性もののサンダルで、露出しているのは足首まで。ふくらはぎは見えない。


「涼しそうだね」

「似合っていますか?」

「よく似合っていると思う」


 長いスカート丈は想像力をかき立てる。少数派マイノリティではあるものの、需要はあった。

 ミニスカートとロングスカートの関係は、裸と下着の関係に近い。後者は直接的な刺激には劣るものの、フェチに訴えることができる。


(盗撮のしがいがありそう、が本音だけどな)


 無論そんなことは口が裂けても言えない。


「渡会くんも似合っていますよ」

「そう? おしゃれした甲斐があったかな」


 日向は襟付き長袖シャツに地味な色のスラックス、そしてスポーツシューズにリュックという出で立ち。


「いつもはしないんですか?」

「全くしない。おしゃれって大変なんだね」

「その程度でおしゃれを語っていては、世のおしゃれな方々全員を敵に回しますよ」

「だろうね。やめておくよ」

「渡会くんのはおしゃれというよりも身だしなみですね。それも不完全ですが」


 志乃は一瞬だけ逡巡した後、日向の前に立ち、両手を伸ばしてきた。

 襟を整えるのだと、触れられてからわかった。

 白く、細い腕が視界の両端をはさんでいる。


 襟はすぐに整った。


「問題無いよ。東雲さんが直してくれた」

「……渡会くんらしいですね。集合もまだ十分前ですし」


 ふふっと志乃が微笑む。


「今日の予定は? 何も聞いてないけど」

「お互いを尊重しましょう。お互いが、自分のやりたいことをやるんです。午前は私で、その後お昼を食べて、午後は渡会くんです」


 志乃が歩き出す。今度は定期入れを取り出し、日向に見せるように掲げてきた。

 切符の有無を尋ねているのだろう。日向はポケットからICカードを取り出し、見せた。「そのまま持ち歩いてるんですね」志乃が再び笑う理由はわからなかった。


「俺も尊重してくれるって言ったけど、俺もやりたいことをやっていいんだよね?」

「はい。渡会くんのこと、もっと知りたいですから」

「その格好だと動きづらいと思うけど」

「そんなこともあろうかと」


 弾んだ声の志乃が、バッグから何かを取り出す。

 ランニングシューズだった。


「準備ばっちりだね。まあ無理に動かなくてもいいけどね」

「そのつもりです。動かないかもしれませんね」

「なのに持ってきた?」

「一応です」


 ピッ、と改札を通過する。最初に志乃、続いて日向。

 駅ホームはあまり広くない。日向は志乃の横ではなく、後ろについた。日向の癖である。

 志乃は気にした様子は無い。すぐに話の続きが投下された。


「そもそも私、パルクール自体はあまり好きじゃないんです」

「そうなんだ」

「渡会くんのパルクールが好きなだけで……って、どうしてそんなに嫌そうな顔するんですか?」

「いや、勘弁してほしいなと」

「勘弁しませんよ。約束は覚えていますか?」

「もちろん」


 志乃が止まろうとしたが、日向は止まらず、率先してホームの奥を目指す。

 志乃が後を追ってきた。構内の喧噪にかき消されそうな、控えめな足音。


「混雑がお嫌いなのですね」

「好きな人はいないと思う」


 他愛ない会話を交わしていると、電車が到着する。

 乗り込む。椅子は空いていない。

 日向は出入口付近で直立した。志乃は上方をきょろきょろした後、


「握ってもいいですか?」

「どこを?」

「そうですね、――では、二の腕を」


 列車内で平然と耐えるであろう日向自身を握り棒にしたい、とそう言っているのだ。

 日向は余裕で耐えるつもりでいるし、今さら志乃に肉体を隠す意味はないので、抵抗無く受け入れた。


 触れた途端、なぜか志乃がぴくっと震えた。「すっ、すごい……」小声が漏れている。


 列車が発車する。

 日向は乗車時間にあたりをつけるべく、目的地を問おうとしたが、無粋だと考え直す。


 電車に揺られつつ、上腕の二頭筋と三頭筋を掴まれつつ、たまに揉まれつつして過ごす。

 会話はほとんどなかったが、志乃も無理に探す様子はなく、日向は心地良さをおぼえていた。

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