2 浴室の攻防 前編

 日が暮れる頃、日向は隠れ家のマンションから自宅へと帰宅した。

 仁王立ちの祐理が待っていた。


「ただいま」

「……」

「今日は何食いたい? たまには希望を訊いてやろう」

「え、ホントに!? えっとねー――ってそうじゃないよっ!」


 どん、と地面を踏む祐理。さすがに誤魔化されないか、と日向は苦笑した。


「で、用件は何ですか」

「何してたの?」


 盗撮のために女装の練習をしていた、とは言えるはずもない。


「トレーニングだと申したはずですが」

「ウソ。だってコソコソしてるもん」

「していませんよ。堂々としています。お邪魔虫から全力で逃げることも含めてですがね」

「だーっ!」


 祐理が襟を掴んで前後に揺らしてきた。「シャツ伸びるからやめてください」言うと祐理は顔を上げ、キッと睨んでくる。


「その敬語! 腹立つっ!」

「……祐理がしつこいからだよ」


 日向は祐理の両腕をほどき、見つめ返した。

 どちらかと言えば童顔だが、ほんのりと大人の色香も漂い始めている。美人なのは間違いない。平凡な人生を歩んでいたら、とうに恋に落ちていただろうな、と他人事に考えつつ、探りを入れることにした。


「何を勘ぐってるんだ?」

「日向の秘密」

「秘密なんてない」

「じゃあ金庫の中身を見せて」

「なぜ金庫が出てくる? あれは開かないと何度も言ってるはずだが。疑うなら大家にでも問い合わせてみろよ」

「うー……」


 祐理は悔しそうに歯噛はがみした。

 既に大家に問い合わせたが、期待する成果は無かったという顔だ。と同時に、それだけでは納得できかねるという表情でもある。


「今日は何のトレーニングをしたの?」

「説明するのがだるい」

「怪しい」

「とりあえず風呂入らせてくれ」


 祐理の横を通り過ぎようとすると、腕を掴まれた。

 構わず歩く。祐理が踏ん張ってきたが、絶対的な筋肉量も身体の使い方も日向が勝っている。祐理ごと引きずった。

 足裏がれて痛いのか、祐理はすぐに諦め、日向の腕に抱きついてきた。


「……汗くさいね」

「当たり前だ」


 日向は隠れ家で一度シャワーを浴びているが、自宅まで走って帰ってきた。習慣、というよりもはや習性となっているトレーニングのためでもあるが、祐理への言い訳のためでもあった。


 洗面所に入る。

 祐理はまだひっついたままだ。


「服脱げないんだけど」

「はい」


 祐理はあっさり手を離したが、日向を凝視したまま立ち去ろうとしない。


(今日は妙にしつこいな。何を考えてんだ)


 祐理に背を向けたままかえりみるものの、まるで心当たりがない。

 もし盗撮絡みで危機的クリティカルな何かがバレていたとしたら、祐理の性格上、黙ってはいない。逆を言うと、今はそこまで辿り着いてないということだ。

 なら心配は要らない。いつも通り、適当に誤魔化すだけだ。


 変わらぬ見解を出したところで、日向は制服を脱ぎ始める。

 一瞬、背後がはっとしたのを感じたが、構わず脱ぎ進め、残すところパンツのみとなった。

 振り返ると、まじまじとした祐理の目があった。


「相変わらず気持ち悪、じゃなくて面白いカラダしてるね」

「わざとらしいんだよ。ほっとけ」


 視線が上から下へと下りていく。下りきったところでピタリと止まった。


「なんかつるつるだね」


 ぴょんっとそばに跳躍してきたかと思うと、そのまましゃがみこみ、至近距離で覗き込んできた。


剃毛ていもうしたんだよ」


 厳密に言えば剃毛、除毛、脱毛という違いがあり、日向が行ったのは脱毛であるが、脱毛と言うと何やら訳ありなニュアンスが漂う。剃毛、であれば要するにムダ毛処理であるから、そこまで違和感はない。


「女の子の肌みたい」

「こんなにゴツゴツしてないけどな」

「触っていい?」

「触りながら訊くな」

「おー、やっぱり日向のカラダは気持ちいいですなー」


 すりすり、もみもみ、ぷにぷに、と好き放題やってくれている。


「筋肉が好きなら他の男子のを触らせてもらえ。美人のお前なら誰も断らないだろ。ほら、成瀬とかどうだ。色黒だし、下手なトレーサーよりもマッチョだったぞ」

「むー」


 不服と言わんばかりに頬を膨らませる。

 さりげなく容姿を褒めるキーワードも混ぜてみたが、今は効果が無いようだ。


「わたしが好きなのは日向のカラダだもんっ」

「はた迷惑な話だ。そんなに好きなら仕方ない、一緒に風呂に入って触りっこでもするか?」

「いいねー――……よくないよっ!?」


 日向の太ももをぱちんと叩いてセルフツッコミをきめる祐理。


「なぜ? 俺とお前の仲じゃん」

「何か間違いが起こったらどうすんのさ?」

「それは100%無いから安心しろ」


 日向は普段通りにからかっただけだった。

 祐理は下ネタに弱い。こうすれば今回も引き下がるだろうと。


 しかし、祐理の相貌そうぼうには闘争心のような色があった。


「――じゃあ入る」

「……は?」

「入る」


 祐理は上着に手を掛け、一瞬の逡巡しゅんじゅんの後、脱いだ。豪快な脱ぎっぷりだった。

 キャミソールが姿を表す。発育の良い胸部もくっきりとしている。


「それでパルクールできるのか?」


 凝視しながら感想を漏らしてみると、両手でサッと隠された。


「……へんたい」

「何を今更。風呂入ったらどうせ裸だろ? まさか水着で入るなんてチキンなことは言わないよなぁ?」

「い、言わな――ひゃぁっ!?」


 凄まじいスピードでそっぽを向く祐理。

 背後では日向がパンツを下ろしていた。洗濯かごに放り込む。


 ばたん、と浴室の戸が閉まるのを聞いてから、祐理は振り返った。


「びっ、びっくりした……」


 顔を赤くして立ち尽くす祐理だったが――

 決意したかのようにかぶりを振る。


 衣服を全て脱ぎ、バスタオルを手にとってから戸を開けた。

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