4 ガールズトーク

 日向宅を解散したのは午後九時過ぎのこと。

 見送りには祐理だけが付き添った。沙弥香曰くガールズトークがしたいのだとか。


 麓のターミナル駅までおおよそ一キロの道のり。

 綺麗に整備された生活道路を三人並んで歩く。住宅街の夜だけあって喧噪とは無縁の静寂に包まれていた。

 三人は他愛の無い雑談をしていたが、ふと会話が途切れたところで、沙弥香が本題に切り込む。


「ねえ志乃。アンタってアイツのことが好きなの?」

「ふぇっ!?」


 びくっと志乃が飛び上がる。


「そうなの志乃ちゃん!?」


 志乃は祐理にまじまじと見つめられ、ばつが悪そうに顔を伏せていたが、やがて決心して。


「――はい」


 はっきりと祐理を見据えてから言った。

 その表情にはいつもの穏やかさと柔らかさがない。


 真剣、本気。


 その二文字が祐理の頭をよぎった。


「じゃあライバルだね」


 にこっと笑う祐理に、志乃は拍子抜けする。同じ相手を好きになったことで険悪になってしまうのでは、と心配していた。


「あ、あの……いいんですか?」

「志乃ちゃんが誰を好きになるかは志乃ちゃんの自由だよ。もちろん日向もね。わたしがどうこう言っていいことじゃないよ」

「でも嫉妬とか――」

「志乃ちゃんはする?」


 言われてみて志乃は気付く。

 日向と祐理が仲良くじゃれ合っている光景を見ても、むしろ微笑ましいと感じる。なぜだろう。祐理の一方通行でしかないからか。自分の想いが浅いだけなのか。


 思考に沈み込みそうになったので、口を開く。


「……全くしないと言えば嘘になりますが、特に激しいわけではありませんね」

「でしょ。わたしもゼロじゃないけど、今はむしろ嬉しいもん。日向のこと好いてくれたんだって」

「祐理さん。いい子なんですね」

「あんがと。でも日向は手強いよ? オススメはしないなー」

「手強くても、どうしようもないんです……好きになっちゃったんだもん」


 口を尖らせる志乃を見て、祐理は「志乃ちゃんが可愛すぎてやばい」抱きついた。


「ゆ、祐理さん!?」

「ええやんええやん」

「青春してるわねぇ……」


 祐理が一方的に頬ずりする光景を見ながら沙弥香が呟く。気持ち悪い虫でも見るかのような表情だ。

 よほど日向のことが気に入らないんだなと志乃は苦笑する。


「沙弥香ちゃんもでしょ」

「まあね」

「しかも前途多難」

「それは言わないで」


 沙弥香は実の兄、新太を慕っている。その兄は日本一有名で、忙しいトレーサー。パルクールにしか目が無い。


 兄妹という制約に、パルクール一筋という性質。

 沙弥香の前には二重の壁が立ち塞がっている。

 仮に後者だけだとしても厄介だろう。パルクール一筋な新太のエピソードは少なくない。その一つを沙弥香は思い出し、不満気ふまんげに漏らす。


「少し前も女優からのアプローチを煩わしいって言ってたわ」

「女優、ですか。どなたなのかはご存じなのですか?」

「わたしも聞きたいっ!」

「……他言はダメよ」


 沙弥香がちょいちょいと手招きする。耳を寄せてきた二人に、とある有名女優の名を暴露した。「うそっ!?」「すごい……」二人とも顔に出るほどの反応を示した。

 ちなみにその名前は去年の『恋人にしたい女優ランキング』一位に載っている。


「あとお兄ちゃんの名誉のために言っておくと、お兄ちゃんは女性の告白をぺらぺらと喋るような人間じゃないからね。アタシに話したのは『僕は女優にも見向きもしないよ』というアタシへの牽制けんせいね。もちろんアタシが誰構わず自慢する軽率な女じゃないと知った上でよ?」

「でもわたしと志乃ちゃんには喋った」

「アンタらのことは信用してる」

「信用された! 嬉しいっ!」


 祐理が今度は沙弥香に抱きついた。


「暑苦しい」

「いいじゃんー」


 沙弥香は鬱陶しそうに引き離そうとしながら現実を突きつける。


「言っておくけどアンタらも他人事じゃないからね。アイツは相当手強いと思うわ」

「……沙弥香ちゃんのいじわる」


 ふて腐れながら離れていく祐理を眺める。この子は表情も、言動も声音も、同性の自分から見ても可愛らしいと沙弥香は思う。スタイルだって自分に勝る。転校初日から何人もの男子の視線を集めていた。


「だってアンタにも全然なびかないんでしょ?」

「そうなんだよねぇ……」


 夜空を仰ぐ祐理。

 沙弥香はそんな祐理の、主に胸元を凝視している志乃に話を振る。


「それで、志乃はどうするつもりなの?」

「わ、私ですか!?」

「そっ。アンタはピンと来ないかもしれないけど、アイツは普通の男子とは違うわよ。女子には一ミリも興味を示してないんじゃないかしらね」

「……知ってます」

「知ってる?」

「はい」


 志乃は日向との出会いから話し始めた。

 最初は遠慮がちだったが、次第に流暢りゅうちょうになっていく。静かな声だが、想いの強さが込められているような力強さがあった。


「――そう。あの山下先生にもなびかないのね。もしかしてアレなんじゃないの? LGBTだっけ?」

「それは違――」

「違うと思う」


 断言したのは祐理だった。


「日向はノーマルだよ。ずっと見てきたから間違いない」


 施設で過ごした日々に思いを馳せる。

 日向に自覚はないが、祐理は日向が自分をそういう目で見たタイミングを――数えるほどしかないが――全て覚えている。普段は腹立たしいくらいに見向きもしないだけに、はっきりと感じ取れた。

 決して性的少数派マイノリティでもなければ、何らかの欠落や欠如でもない。普通の男子と同じく、女子に対する興味はあるはずなのだ。


「でも日向はこっちを見てくれない。だって日向は――強いから」


 物心つく頃から日向は変わり者で、ハブられていて、いじめられていて。それでも全くめげずに自分を貫き続けて。

 練習やトレーニングも念入りで。それはオリンピック選手を目指す少年のような、あるいは見ていて気の毒になるような、そんな並外れたもので。

 何を目指しているのかは知らないけど、日向はただただストイックだった。その上、本人は楽しそうだった。


 届かない想い。通じない歯がゆさ。

 街灯に照らされた祐理の横顔には、歴史の重みが感じられた。


 沈黙が続くと思われたが、沙弥香がすぐに破る。


「なら良かったじゃない」


 祐理が首を傾げるのを見て、沙弥香は続ける。


「もっと積極的に攻めたらいいのよ」

「積極的、と言いますと?」

「そうね。風呂入ってる時に乱入して誘惑するとか」

「ゆ、誘惑!? はしたないですよ沙弥香さんっ!」


 志乃が顔を赤くしてたしなめる。沙弥香は顔色一つ変えない。


「はしたなさも必要なのよ志乃。幸いにも祐理は暴力的な武器を持っている」


 沙弥香は祐理の胸を掴んだ。


「これなら男なんてコロッと落ちるでしょ」

「ちょっとならしたことあるもん。効果無かったよ?」

「祐理さん!?」

「ちょっとじゃないわよ。もっと大胆にやると言ってんのよ。それこそ襲われて一線を越えるくらいのつもりでね」

「さ、沙弥香さん……」

「男には性欲がある。いくら硬派でも男であることに変わりはないのよ。全力で押したら落ちるはずだわ」


 沙弥香は兄、新太の自慰行為を思い浮かべていた。

 まだ新太が一人暮らしを始める前の中学一年、思春期まっただ中の頃だが、沙弥香は新太の自慰行為を一度だけ目撃したことがあった。その時はすぐに「何してるの?」と声を掛け、掃除をしていたのだと説明されて納得したのだが、今では、あの偉大な兄ですら男なのだと結論付けている。


「そういう沙弥香ちゃんはどうなの?」

「アタシらは兄妹よ? 誘惑したことはあるけど、普通に止められたわ。家族会議になった」


 さらりと黒歴史を暴露する沙弥香に場が沈黙する。


「兄妹間の恋愛が異常アブノーマルってことはわかってるのよ。だからアタシは慎重にならざるをえない。女の魅力でゴリ押しするという簡単な方法が取れないの。でも祐理は違う」


 ターミナル駅が見えてきた。

 放課後は春高生と春日野街の住民で賑わうが、今は深夜の駅前のように静まり返っている。


 無言のまま歩く。響くのは三人分の足音。

 ロータリーにさしかかる。スーツを来たサラリーマンが乗用車に乗り込んでいた。運転席には女性。迎えに来た妻だ。これから温かい自宅に帰るのだろう。

 乗用車が発進し、住宅街へと通じる上り坂に消えていくのを祐理は目で追っていた。


「祐理さん。今日はありがとうございました」

「え、あ、うんっ! わたしも楽しかったよ! また遊びに来てねっ」


 志乃の手を取り、がっしりと包み込む。

 そんな祐理の両手に、志乃の空いた手が重なった。


「――負けませんので」

「うん。わたしも負けない」


 祐理と志乃はお互いに再認識する。

 知り合ったばかりだが大切な友人であり、同時に恋敵でもあると。


 改札を越えた志乃ともう一度手を振り合う。

 志乃が完全に見えなくなったところで、沙弥香が口を開いた。


「ねぇ祐理。一つ訊いていいかしら」

「うん」

「アイツの生活費は施――お父さんに支援してもらっているの?」

「ううん。施設長パパは一銭も送ってないよ。わたしは結構もらってるけどねー」


 祐理がぺろりと舌を出す。しかしすぐに引っ込めると、真面目な顔つきになった。


「……アイツがどうやって稼いでるか。アンタも知らないみたいね」

「なんか支援してもらってるとは言ってた」


 沙弥香は隅にあるベンチをチラ見した後、歩き出した。

 祐理もそれを追いかけ、並んで座る。


「日向はね、プロを目指してるみたい」

「プロ? アイツが?」


 プロのトレーサー、つまりはパルクールのプロフェッショナル。

 パルクールはメジャースポーツとは違い、公式試合が無いため、何を以てプロとするかという厳密な基準は存在しない。しかし、おおよそ通用する共通認識はある。たとえば全国放送のメディアに出演する、大会で入賞する、アルバイト無しで生活できるほどの収入を得る――

 いずれにせよ、人並以上に注目を集めることが好きでなくてはならない。あるいは指導者タイプなら老若男女誰とでも気さくに接することのできる対人的興味や要領。沙弥香から見た日向は、どちらも備えていない。興味すら無いように思える。

 実力は申し分無いだろうし、そこいらのプロは凌ぐかもしれないが、それでも実力だけでやっていけるほど今のパルクール界隈はメジャーではない甘くないのだ。


「うん。一つだけ伝手つてがあって、その人と二人三脚で頑張ってるみたい。生活費を支援してもらってるんだって」

「……聞いたことがないわね」


 芸術家ならわからなくもないが、パルクールに大した経済効果は無い。たとえ才能があろうと、実力があろうと、生活費を援助してまでサポートしようとする者がいるとは思えない。


「その話って――本当なのかしら?」


 祐理は黙りこくった。


「アンタも疑ってるのね」

「そういうわけじゃ、ないんだけど……」


 好きな相手を疑うのが心苦しいのだろう。はっきり否定できない様子を見た限りでは、何か根拠や心当たりがあるのかもしれない。


「これはアタシの考えなんだけど――アイツは何かを隠している。そんな気がするのよ」


 学年一位というスポーツテストの結果も。

 トレーサーとして新太に一目置かれているほどの実力も。

 そもそも学校生活でも、まるで自分の存在を隠すかのように冴えない地味男を演じていて。


 わからない。

 沙弥香は渡会日向という男がわからなかった。

 日向は一体何がしたいのか。何を思い、考え、過ごしているのか。


「わたしもそう思う。でも日向は教えてくれない」

「こっそり尾行してみるとかは?」

「もうやった。普通に逃げられたよ」

「あー……」


 沙弥香と祐理も女子にしては相当身体能力が高く、男子の中でも上位に食い込めるほどだが、それでも所詮は女子である。

 トレーサーとしても一流で、かつ純粋な身体能力としても日本男子の中でトップクラスであろう日向に敵うはずが無かった。


「それに日向、たぶんわたしが疑ってることに気付いてる。部屋にいる時もね、たまにドアが開かないよう本棚で塞いでる時があるの」

「それは怪しすぎるわね」


 沙弥香が腕時計をチラ見する。


「沙弥香ちゃん。時間はいいの?」

「よくないわね。すっかり遅くなったわ」


 立ち上がり、券売機へと向かう。祐理もついてきた。


 沙弥香は小銭を投入し、最寄り駅までの切符を買った。


「ねぇ祐理。一つ提案があるんだけど」


 券売機から出てきた切符を取り、祐理に向き直る。

 人の悪そうな笑みを浮かべてから言った。


「アンタとアタシでアイツの秘密を暴いてみない?」


 祐理もまたニヤついて同意する。


「いいねぇ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る