3 共有

 四人はリビングに集まっていた。

 四人用のテーブルがちょうど埋まっている。祐理の隣には日向。向かい側には志乃で、その隣が沙弥香。

 女子三人の手元にはカップが置かれ、コーヒーの湯気が立っていた。

 日向の手元には何も無い。日向は嗜好品を飲まない。


「――ふうん。事情はわかったわ。もちろん他言はしない」


 祐理は自分達が孤児であり、児童養護施設『村上学校』に属していることを端的に話していた。


「学校側はこの事を知っているんですか?」

「うん。ちゃんと配慮してもらえてるよー」


 沙弥香がコーヒーをすする。次いで祐理、つられて志乃も。ずずっと響かせる沙弥香と祐理に対し、志乃はほとんど音を出さない。

 日向は他人事のように傍観していた。


 全員のカップが置かれる。


「……」

「……」


 しばし沈黙が訪れていたが、


「もうっ、二人とも!」


 祐理が両手で机を叩いた。


「変に遠慮とかしなくていいからね! 本当の両親は生まれた時から知らないけど、今は幸せなの。みんなもいるし、施設長パパもいるし、日向もいるしね」


 ちらっと視線を寄越す祐理。


「お兄ちゃん離れしないとな、祐理」

「うぅー……」

「なんだその不満そうな顔は。腹減ってるのか?」

「ひなたのばか」


 時刻は九時に近い。晩飯は志乃がつくったものを既に食べたと聞いている。台所にも調理の形跡があった。

 日向は対面の志乃を見る。

 台所を見た限りでは使い方や洗い方、ゴミの捨て方まで主婦力の高さをうかがわせた。成績も学年トップクラスだし、読書家のようだし、地味にスペックが高い。

 好感度と同時に警戒度を上げつつ、一応述べておく。


「東雲さん。料理をつくってくれたんだってね。ありがとう」

「え、あ、はい……」

「コイツ、よく食べるでしょ?」


 祐理と目を合わせる志乃。


「わたしは普通くらいだよ。ねっ?」

「あ、あはは……」


 志乃が苦笑いを浮かべる。


「ひくくらい食べてたわね」

「沙弥香ちゃん!」

「私は嬉しかったですよ。あんなに美味しそうにたくさん食べていただいて」

「志乃ちゃんまでー……」


 日向の肩に祐理がもたれかかってきた。


「ねー日向。よく食べる女の子はイヤ?」

「いきなり何だ。正直どうでもいい」

「つれないなー。いいもんっ。日向の筋肉を満喫するから」

「意味わからん」


 肩や腕の筋肉をつっつき始める祐理をスルーして、ふと前を向くと、沙弥香と志乃にまじまじと見つめられていた。


「何だ?」

「お二人は仲がいいんですね」

「バカップルにしか見えないわね」


 沙弥香が再びコーヒーを飲む。

 祐理はともかく、自分まで同じカテゴリーに入れられたことが日向には少ししゃくだった。お返しとばかりに、


「妹みたいなもんだよ。兄離れできてない、いわゆるブラコンってやつだな。どっかの誰かさんと同じだ」


 どんっ。

 沙弥香がカップを置いた音だった。


「どうした沙弥香。テスト勉強のしすぎでカップを支えられないくらい手が疲れたか? もう休んだ方がいいな」

「アンタ、忘れてないわよね?」


 身体能力を隠している件をバラされたくなければ、沙弥香がトレーサーであり、かつブラコンであることも隠せという交換条件。


「忘れてないけど、俺のことはもう知られてるからなぁ」


 日向は志乃を見ながら答える。


「え? 私、ですか?」

「うん。リニューアルの時とか、普通に張り切っちゃったし」

「あっ、あの件ですね。あれは凄かったです。惚れ惚れしました」

「惚れ惚れ?」

「え、いや、その、見惚みとれたといいますか、別に特別な意味があるわけではなくて――」

「別に慌てて誤魔化さなくてもいいと思うけど」


 優れた身体動作には人を引きつける美がある。

 洗練され完成された日向の動きにはそれがある。日向自身そう考えていたし、あの新太からも褒められたことがある。自惚れではない。

 しかし、トレーサーはともかく、素人であろう志乃が理解できるというのは意外だった。

 その志乃は、照れているのかしゅんと縮こまっている。耳まで赤い。


「ねえねえ沙弥香ちゃん」

「何よ」

「志乃ちゃんなら大丈夫だと思うよ。今後もやりづらいだろうし」


 パルクールの件に、新太の件。

 志乃になら話してもいいと言っているのだろう。


「……そうね」


 沙弥香が再びコーヒーをすすろうとする。


「さっき飲み干したろ」

「うっさい」


 気恥ずかしそうにカップを置く沙弥香。

 隣の志乃を見据えてから口を開く。


「志乃。パルクールって知ってる?」






 自分達がトレーサー――パルクール実践者であること。

 沙弥香には世界的に有名なトレーサー、『アラタ』こと新井新太という兄がいること。そんな兄を慕っていること。

 兄はなぜか日向と仲が良くて、日向自身も地味だがベテランに違わぬ実力を持っていること。

 そんな日向が非常に腹立たしく、兄のそばから、そして自分の視界から一刻も早く消えてほしいこと。


「おい、最後はお前の私怨じゃねえか」

「うっさい。お兄ちゃんをたぶらかした罪は重いわよ」

「誑かすって……BLじゃあるまいし」

「び、びびびBLですって!? アンタらそういう関係だったの!?」


 沙弥香がテーブル越しに胸倉を掴もうとする。

 無論、反応できない日向ではない。その両腕をがっしり掴んで阻止した。


「ふざけるのもいい加減にしなさいよ! お兄ちゃんはアタシと結ばれるのよ!」

「ふざけてるのはお前だろ……」


 二人が、というより沙弥香が一方的に白熱しているその隣で、祐理と志乃は会話に花を咲かせていた。


「祐理さんも実は何か力を隠し持っていたりするんですか?」

「え? なんで?」


 新井新太の名は志乃でも知っている。以前もスポーツ番組で他の追従を許さない圧倒的勝利を収めていた。

 そんな兄と一緒にパルクールをして過ごしてきたという沙弥香。運動部を抑えてスポーツテストで一位を取るのにも納得だった。

 そして日向は、その新太に一目置かれているらしい。実際、志乃もその非凡なる力は何度か目撃している上、実は男子スポーツテストの一位を取っていることもさっき聞かされた。


 ただ者じゃない人ばかりだ。

 自分も、運動こそダメなものの本をたくさん読むし、勉強も熱心で、料理や家事も得意だ。志乃は地味ながら自信を持っていたが、その鼻は既にへし折られている。

 もっと頑張らねば。

 趣味も、勉強も、――恋も。


 志乃は日向を好いている。

 日向の、彫刻のような美しさに見惚みとれたのが最初だが、こうして過ごすうちに、無愛想ながらも優しい人柄に惹かれていくのを感じている。

 しかしそんな日向には祐理という親しい異性がいて。

 日向にその気は無いようだが、少なくとも祐理にはその気しか無さそうで。


 負けていられない。

 負けたくない。


 まずは知ることからだ。

 自分はあまりにも知らなすぎる。みんなが熱中しているパルクールさえも知らない。


 けれど、知らないということは知っている。

 何を知らないのかもわかった。

 なら、あとは前進あるのみだ。


 祐理のことも、もっと知りたい。

 友達としてはもちろんのこと、恋のライバルとしても。


「その、渡会くんと一緒に、よくパルクールをされていたんですよね」

「うん。そうだよー」

「沙弥香さんの境遇に似てるなって思ったんです。物凄い実力者のそばで過ごし続けるというところが」


 志乃の言葉を聞いて、祐理は思わず顔が緩む。

 日向を新太と同格に見ているということだ。


「んー、力というほどでもないけど、沙弥香ちゃんよりは動けるよ?」

「そうかしらね。アタシの方が上手いと思うけど」


 日向と取っ組み合っていた沙弥香が口をはさむ。

 日向に掴まれた腕を乱暴に引き離し、どかっと椅子に座って肘をつく。祐理を睨む。


「わたしは日向の一番弟子だよ?」

「弟子にした覚えはないぞ」


 祐理もまた好戦的な眼差しと口調で応えていた。


「アタシはお兄ちゃんの妹よ? 日本一の手ほどきを受けてきたわ」

「新太さん、ぶっちゃけ妹が煩わしいっつってたけどな」

「渡会あとでしばく」

「日向は黙ってて。これはわたしと沙弥香ちゃんの戦いなんだよ」

「二人とも大差無いと思うけどな。誤差だよ誤差」


 ばっと二人同時に日向を睨んだ。

 祐理は「ぐぬぬ……」と愛らしい小動物にしか見えない顔。対して沙弥香は心を底冷えさせるような鋭利な雰囲気。

 二人とも実力的に格下だと言われたことがしゃくだった。しかし事実でもあるため言い返せない。

 もっとも日向にそんな意図は無く、単にこれまで見てきた様子から二人が同程度の実力であると思っただけだったのだが。


「……沙弥香ちゃん。わたしも手伝うよ」

「オッケー。後でしばきましょ」


 二人相手でも余裕で逃げられるぞ、と言おうとして、火に油をそそぐだけかと思い直す日向だった。

 なおを言い争う二人を横目に、カップを回収して台所に向かう。


 ぺたぺたと控えめな足音が届いてきた。それだけで日向は志乃だと断定できた。


「私も手伝います」

「いや、いいよ」

「やります」


 ぐいぐい来るなぁ。そう不思議に思いつつも、「なら任せるよ」カップを全部預けてみた。

 志乃はてきぱきと洗っていく。手際が良い上に、洗剤や水の使い方にも無駄がない。手慣れている。


「良い奥さんになれそうだね」


 ゴトッとカップがシンクに落ちた。

 志乃はそれを拾い、洗い直す。目を落としたまま、


「家庭的な女子はお嫌いですか?」

「正直どうでもいいけど、印象は悪くない。出来ないよりはずっといい」

「……興味無いんですか?」


 水を止める志乃。

 その手も止まる。カップを拭く様子はない。返答を待っているのだ。

 いまいち意図は図りかねるが、志乃にとっては重要な質問なのだろう。


「それは色恋や性欲という意味かな?」

「はい」


 ぽたっ、ぽたっ、と水滴が落ちる様子を見ながら、日向は考える。


 興味が無いわけではない。

 ただ、強くはない。

 少なくとも盗撮やパルクールに割ける間は手を付けないし、そうでなくともよほど暇を持て余しているか、気が向かない限り、手を出すことはないだろう。


「いや、それは性欲だけか」

「……性欲?」

「ん、独り言だよ。――たぶん俺は恋という概念がわからない。何となくだけど不向きだと思う。そのために貴重な時間や気力を費やす気もないしね」


 少し自虐が過ぎたか、と日向は思ったが、志乃はなぜか柔らかな笑みを浮かべていた。


「大丈夫だと思います」

「別に心配はしてないけどね」


 言外にどうでもいいと告げる日向。

 しかし志乃はそれを上書きするかのように続ける。


「そういうのは向き不向きではないんです。夕立のように突然訪れてきて、激しいものなんですよ」

「……本か何かの又聞き?」

「経験です」

「ふうん」


 志乃がカップを手に取り、ふきんも取って、外側を手早く拭く。

 裏返してカップ置きに置いた。


「私も頑張りますので」

「よくわからないけど、応援するよ」


 傍からもわかるほど適当なコメントに、志乃は「ふふっ」相好を崩し、


「はい。よろしくお願いします」


 可憐な笑顔と丁寧なお辞儀でそう返すのだった。

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