4 ビビ

 体調不良の演技で早退を勝ち取った日向は、ジンのタワーマンションに足を運んだ。

 玄関にはヒールが一足。もちろんジンの物ではない。客人である。


 リビングに顔を出すと、「あらっ」その客人が第一声を発した。


「こんにちは。今日もぺろぺろしてきたの?」

「ビビさんこそぺろぺろしに来たんでしょう? ジンさんを」

「そうだけど文句ある?」


 ワイン片手の女性が妖艶ようえんに微笑む。

 胸元の空いたシャツにジーパンという格好で、額にはサングラス。クールビューティーというよりは大人の色香を漂わせた小悪魔系。その容姿はモデルや女優だと言われても違和感が無い。


 撮り師『ビビ』。


 カミノメの動画提供者コンテンツプロバイダーの一人で、トイレや浴場などのいわゆる『女の園』での盗撮を生業にしている。得意なのは変装。Fラン大学の派手な女子大生からお嬢様学校の地味な女子高生まで自在に使い分ける。


「来たな日向。早速打ち合わせだ」


 ジンはソファーから立ち上がり、ビビを乱暴に押し退けた。


「あぁんもう、ジンさん。乱暴なんだから。今日は出してもいい日だけど、少しは優しくしてね?」

「日向。打ち合わせにコイツがいてもいいか?」

「普通に嫌です。というか企業秘密です」

「だよな。別室行くぞ」


 二人はビビをスルーして打ち合わせ用の部屋に入る。


「もー、童貞のくせに邪魔しやがってぇー。ジンさんもジンさんで可愛がってるみたいだしー。私だけでいいじゃないのよぅ」


 ビビは独りごちてから、ぐびっとワインを飲み干すのだった。






 打ち合わせは二時間にも及んだ。


 議題は『日常』シリーズの運営について。

 参加者はジンと日向、そしてリモート遠隔参加者としてカミノメ運営スタッフが数名。映像ではなく音声のみでやりとりする、いわゆる音声会議だ。

 内容は日向によるコンセプト説明から運営側の解釈や見解の共有、それに対する質疑応答やすり合わせ、その他運用をスムーズに進めるための不明点の確認など多岐に渡った。

 喋り慣れない日向はぐったりしていたが、おかげで検討事項を全て潰せた。この後、運営側は体制を整えた後、早ければ数日後には動画公開が始まる予定だ。


「しっかりしろ、天下のJKPJKぺろぺろだろ」

「ぺろぺろは関係ないです」


 ノートパソコンを抱えたジンとリビングに向かう。


「コーヒーでも飲むか?」

「嗜好品は摂取しないと決めてます」

「ブレないねぇ。眠い時とかどうしてんだ?」

「規則正しく生活すればそんな状況には陥りません」

「ああそう――」


 ぴたりと言葉と動きを止めるジン。

 その視線を追うと、リビングの中央にビビがいた。

 後ろ姿だ。髪が結ってあり綺麗なうなじが覗いている。全身をバスローブで包んでおり、湯気が立っていた。

 そんなビビが間もなく振り返る。色っぽい笑みを浮かべたかと思うと。


「どう? 最近シェイプアップしたんだけど」


 ふわりと。惜しげも無くバスローブをほどいた。

 瑞々しい裸体が晒される。その相貌はジンだけを見ていた。隣の日向など眼中に無い。

 しかし日向は口をはさんだ。


「ジンさん。パイ●ンを仕事以外で初めて見ました」

「どうだ。キレイだろ?」

「否定はしませんが、どんなにキレイでもババアはババアですね。子アワビの美しさには敵わない」

「だってよビビ」

「……ジンさん、何なのこの子。怖いんだけど」


 ビビが裸のままジンに寄り添う。


「所詮は童貞だ。何ならもらってやってもいいぞ」

「だってさ、ぺろぺろ君。どうする? 私と気持ち良くなっちゃう?」

「お断りします」


 全く動じない日向を見て、ジンが人の悪そうな笑みを浮かべる。


「見ろよ日向。ビビのおっぱいは凄いぞ」


 ビビの胸を揉んでみせる。その乳房は巨乳というほどではないが、平均よりは大きく、弾むような弾力が見て取れた。

 ジンの指がその先端を撫でる。「あんっ」ビビが身をよじる。見た目も大きさも色も、全てが遜色のない乳首だと日向は思った。


「好きにしていいのよ?」


 今度はビビが日向にすり寄ってきた。

 柔らかい感触と甘い匂いに包まれながら、日向はふと思いついたことを言う。


「じゃあヴォルトの練習台になってもらってもいいですか?」

「――え? ボル、何?」

「ヴォルトですよ。パルクールの飛び越え技です。普通はレールやフェンスといった障害物で練習するんですが、人間の方が細かい体勢を指示できる分、使い勝手がいいと思うんです。前々から試したかったんですよ」

「……」


 性欲とは違った身の危険を感じたビビは日向から離れ、ジンの背中に隠れた。


「あー、でも弱そうなんでやっぱいいです。見た感じ、体幹無さそうですし。コングとかしたら吹っ飛びそう」

「ジンさん、この童貞は何を言っているの?」

「ただのトレーニングバカだよ。ほっとけ」


 ジンがソファーへと移動する。

 そばのテーブルにノートパソコンを置いた後、どかっと腰を下ろした。


「ジンさぁん。今日こそセックスしましょうよー。ね?」


 ビビはその膝の上に座り、首に両手を回す。キスするかのような勢いだ。


「悪いが仕事でそれどころじゃな――」

「ちゅー」


 唇が接触した。

 恍惚の横顔を浮かべるビビ。対してジンの目はため息をついたかのような呆れを宿していたが、観念したのか、その唇が微かに開く。

 すかさずビビの舌が乱入したのが、外から見てもわかった。


めないのかジンさん。いや、これは……」


 日向は一人頷き、その場に腰を下ろす。


 ――セックスシーンを見学したいんですけど、どうすればいいんですかね?


 日向はそんな相談をジンにしたことがあった。

 これに対しジンは、日向の存在を屁とも思わないビビならチャンスがあるかもしれないと答えた。ジンに露出趣味は無かったが、セックスシーンを鑑賞させれば、この機械のような怪物から初心な反応を引き出せるのではという目論みがあった。


「ビビ。日向がいるんだぞ」

「だから何? オナニーでもさせてりゃいいじゃない」


 ビビが積極的に促し、ジンも服を脱いでいく。

 盛り上がった胸筋に、割れた腹筋。迫力のある大男に見合った肉体だ。

 ビビが舌を這わす。

 彼女のテクニックは凄まじい。ジンは堪えながらも、日向の様子をうかがった。


 日向は見ていた。

 両の目を見開いて、食い入るように。

 あるいは獲物を逃さない獣のような眼光で。


 反応が無いジンを不審に思い、ビビが顔を上げる。間もなくその視線を追って日向と目を合わせる。


「なあに見てるのぼく?」

「ビビさんを観察しているだけです。気にしなくていいですよ」

「もしかして3●あるんちゃう? とか期待しているの? 悪いけど冴えない童貞を救ってあげるほどお人好しじゃないの。そこでオナニーでもしてなさいな」


 ビビが挑発するように言葉を投げかけるも、日向はぴくりとも動かない。

 ビビは虚勢だと捉えていたが、ジンは違った。


 コイツに性欲という概念はあるのか?

 もしかしてLBGTなのか?


 そんな根本的疑問――精神的障害ハンディキャップや性的少数派マイノリティの可能性を疑うほどに、日向は無関心だった。

 しかし確かに見ている。ビビを。

 見て、視て、観ている。


 何を?

 何のために?


 ちくりと抱いたのは恐怖。次いで芽生えたのは好奇。

 前者を誤魔化し、後者を満たすために、ジンは努めて平静に声を掛ける。


「……やけに熱心じゃねえか日向。こんなのがタイプってわけでもねえだろ?」

「ちょっとジンさーん。こんなの呼ばわりはひどいんじゃない?」

「何を企んでんだ?」


 ビビを無視して問う。

 日向はビビから目を離さないまま、


「そうですね。強いて言うなら――ケッコンに勝つためです」


 事務的にそう答えるのだった。






 二人のセックスを余すことなく見学した日向だったが、ジンの目論みはかすりもしなかった。日向は何一つ興奮していない。しかし何やら得心が行ったらしく表情は明るい。

 ビビがシャワーを浴びに行ったタイミングで、ジンは尋ねる。


「結局何を観察してたんだ?」

「女性の身体的特徴と言動です」

「……もう少しわかりやすく頼む」


 ジンは裸のままだったが、そんなことを気にする日向ではない。


「女性の言動を真似ることができれば幅が広がる、ということは前々から思っていましたが、大変そうだからと真面目に取り組んで来なかったんですよ。でもケッコンもあるし、そうもいかなくなった。今日はちょうどいい機会でした。観察だけ行う、という贅沢な使い方は滅多にできません」

「お前、まさか――」


 使い方、のくだりは理解できなかったが、ジンの頭に一つの可能性がちらついた。

 にわかには信じられないし、やり方も見当すらつかない。しかしJKPJKぺろぺろという稀有な撮り師であれば、きっと実現してみせるのだろう。


「女装する気か?」


 日向はニヤリと口角を上げる。


「さすがジンさん。ご名答です」

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