5 合流

 練習会開始から一時間少々が経過――

 基礎トレを終えた参加者一同は壁泉エリアを後にした。


 その様子を眺めながら、「ふぅ……」日向は一息ついた。


 今日のミッション――女性参加者の至近盗撮は無事成功を収めた。

 大木から降りた日向はカメラからSDカードを抜き取り、それを、ポケットから取り出した定期入れのに収納した。この定期入れは佐藤が開発したものであり、隠しポケットにはSDカードを裸のまま三枚まで収納できる。加えて防水性と耐衝撃性も備えていた。


(ホント何でもできるよな佐藤さん)


 尊敬と感謝を胸中で示しつつ、上着をぱたぱたとあおぐ。


「暑ぃ……」


 日向は枝葉や虫から身を守るために長袖長ズボンのスウェットを着ていた。その状態で、さっきまで心身ともに酷使していたのだ。サウナと表現するには大げさだが、全身びしょびしょに近いレベルの汗をかいている。


 人目につかないように茂みから出た後、持参したスポーツドリンクや携帯食を吸引しながら次の会場とは反対側、大池おおいけこと大きな湖のそばにある休憩施設に向かった。

 男子トイレの個室に入り、下着も含めて着用物を全て着替える。ちなみに着替え後も同じ衣服だ。日向は気に入ったウェアを複数着購入して使い回すタイプである。

 びしょ濡れの衣服は絞って圧縮した後、ビニール袋に入れた。


 トイレを出てからは自動販売機でスポーツドリンクを補充する。

 それから最終会場に向かおうとしたが、


「ちょい待ちいな」


 背後から声を掛けられた。

 振り向くと、二人の男性が興味深そうな眼差しで日向を見ていた。


 年は日向より少し上で、おそらくは大学生程度だが、髪の色が眩しい。一人は青色、もう一人は金髪だ。

 着用したスウェットには風神と雷神のリアルなイラストが描かれている。

 金髪の方が口を開く。


「キミ、アラタの知り合いなんやろ? 聞いたことないわ、どこのトレーサーや?」

「ダメだよライジ、馴れ馴れしすぎるよ」

「なんでや? フウジも見たやろ? 誰とも馴れ合わんアラタがあんなに打ち解けとったんやで? 絶対ただ者やないわ。なっ?」

「はぁ」


 日向は当惑しつつも、準備運動時に調べたばかりの結果を思い出していた。


 大阪が誇るトレーサーコンビ『フウジライジ』。

 風のように涼やかに障害物をヴォルトする飛び越えるフウジと、雷のように鋭く激しい上下移動――ドロップ飛び降りウォールラン壁登りを得意とするライジのコンビネーションパフォーマンスで知られ、息の合った連携とセンスの良い構成や表現力は群を抜いている。

 またコンビではなく単体でも実力者であり、国内の大会ではアラタの初優勝を何度も阻むトッププレイヤーでもあった。


(こんなのと知り合いになったら目立ってしまう)


「趣味で軽くたしなんでいるだけですよ。新太さんとは以前パルクール教室で教えてもらって以来、仲良くさせてもらっているだけです。ほら、もう一人、グラマラスな女の子がいたでしょう?」


 ジェスチャー付きで尋ねる日向に、二人とも首を傾げた。


「沙弥香とあともう一人おったけど、それか?」

「そうだっけ?」


 その覚えがなさそうな様子に日向は感心していた。

 祐理は人並以上の美人であり、スタイルでいえば沙弥香よりも出るところは出ている。格好こそスウェットではあるものの、並の男子なら目が行くはずで、印象に残らないはずがない。


(新太さんに負けないパルクールバカなのかもな……)


「えっと、その子――祐理と言うんですが、祐理が沙弥香や新太さんと仲良くてですね、あ、祐理と俺は幼なじみなんですが、いわば友達の友達という形で、まあそこそこ親しくさせてもらってるんです。ちなみ沙弥香とは同じ高校です」

「高校の同級生かー、ええなそういうの」


 今度は日向が首を傾げると、フウジが応えた。


「ボクたち高校は行ってないから」

「そや。パルクール一筋やで」

「はぁ、そうですか」

「なんやその反応? ジブンも『高校くらい通わへんとあかんで』言うタイプか?」

「いえ、そこは自分の好きにすればいいと思いますけど、まあぶっちゃけどうでもいいなと」

「……キミ、面白いけど冷たいな。オモロ冷たいわ」

「……」

「あーごめんね、ライジの発言は基本的に寒いから気にしなくていいよ」

「誰が寒いや! 今日もポカポカのパルクール日和やで!」


 日向が立ち回りを考える間に会話が進んでいく。

 このまま長引いても面倒だと考え、日向は強引に割り込んだ。


「とにかく、俺は別にお二人のような実力があるってわけじゃないんですよ。パルクールにも大して興味無いし。ついでというか付き添いというかおまけみたいなもんです」

「――ふうん。どおりでこんなところにおるんやな」


 実力者でもないのに練習会に参加せずこんな所で油を売っているのか、とライジが遠回しに皮肉る。

 その意味を日向は認識したが、どうでもいいため何の感情も抱かなかった。


「まあゆっくりしいや。行くでフウジ」

「うん。――それじゃ」


 ぺこりと青髪を下げるフウジに対し、日向も会釈を返した。


「よし回避っと。――てかまだ足りないな」


 補給が十分でないことを感じ取った日向は売店で焼きそばを注文し、ぺろりと平らげてから最終会場に向かった。






 壁泉エリアから更に奥に進んだ先には国際庭園がある。

 過去、鶴見緑地にて催された『国際花と緑の博覧会』に参加した各国毎に、その国の伝統的な庭園や特徴的な植物などを端的にまとめ、見学できるようにしたエリアだ。国の数は50を超える。中にはファンタジーの舞台に出来そうな国もあり、コスプレ客で賑わっていた。

 練習会の最終会場は、そんな国際庭園エリアの中に設置された休憩施設だった。


 ユニオンスクエアガーデン。


 軽く百人以上を収容できそうな背もたれ無しのベンチと屋外ステージ、そして背後には砦のような展望台が建っている。基本的に出入り自由だが、今日は練習会用に貸し切りとなっていた。


 ステージ上には参加者の荷物がまとめられている。

 向かって左側では男性グループがヴォルトのレクチャーを受けている。お腹ほどの高さがある壁に手をつき、飛び越える。それを一人ずつ繰り返し、ぐるぐると回して何度もこなす。そばに講師役のトレーサーがいて、適宜アドバイスをしていた。

 逆に右側では女性グループが集まり、ベンチからベンチに飛び移ってピタリと着地するプレシジョンジャンプの練習を行っている。

 そして中央の砦付近では、レクチャーを受ける必要のない上級者――大半がメディア出演者だったり大会優秀者だったりと実力者である――が宙返りをしたり、身長を軽く超える壁をウォールランしてみせたり、と左右に気を配りつつも好き勝手に遊んでいた。

 ちなみに前の会場では見なかった者も見えており、最初からここで遊んでいたか、途中でここに合流したものと思われる。フウジとライジの姿もあった。


 一通り見渡した後、ステージ上に突っ立っている日向は呟いた。


「さてどうやって時間を潰すか」


 女性グループに混ざるわけにはいかないし、男性グループ側も内容が基本的すぎてつまらない。

 かといって中央のベテラン勢もパフォーマンスはさておき、日向が注力する実践的な移動能力については面白くなさそうだ。それにあそこに混ざれば目立ってしまう。


 日向にとってパルクールとは自身の身体能力を高める方法論メソッド、あるいは己が肉体のみで効率的に地形や障害物を移動するための道具ツールでしかない。

 そしてそれらは日頃の盗撮活動において大いに役立っており、侵入や逃走で重宝したことも一度や二度ではない。

 いわば日向の武器であり、したがって、おいそれと見せびらかすものではなかった。


 一方で、パルクールという運動が純粋に楽しいこともよくわかっているし、こうして目の前で見せつけられている。たとえ実力的に面白くなさそうでも、混ざりたいと思うのが人のさがだ。


「……」


 日向は葛藤しつつも、ステージの端っこに移動。

 荷物の塊に自分のリュックを加え、腰を下ろした。


(――俺は撮り師だ)


 トレーサーであることは二の次。

 そもそも遊びたければ春日野街で事足りるし、何なら休日に一人で遠出とおでしてもいいのだ。無理にここで楽しんでリスクを犯す必要はない。


 日向は欲望の片方を押さえ込み、次の行動を決める。


 会場中央、ベテラン勢に目を向け――

 食い入るように観察を始めた。

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