4 男女別

 準備運動を終えた一団は次の会場に移動する。


 花博記念ホールを過ぎると、正面には大きな湖――大池おおいけが姿を表す。これを右折し、『山のエリア』と呼ばれる自然エリアの出入口ゲートを通過すると、自然公園のような緑豊かな光景が広がっていた。

 といっても歩きづらさや見通しの悪さはなく、歩道は整備されている上にだだっ広い。所々植えられた木が木陰をつくっており、親子やカップルがくつろいでいた。


 しばし直進したところで目的地に到着。


「続いてはこちらで、男女別に分かれて基礎トレを行います」


 六十人を超える集団に対して堂々と説明する運営陣の一人、シュン。

 その後方には高さ二メートルほどの壁泉へきせんがある。水は一滴も流れておらず、壁の手前――幅二メートル、深さ五十センチの堀部分にも水溜まりは一つとない。そのため、実質ただの壁であり、パルクール練習に重宝する練習場所スポットであった。


「基礎トレとは、その名のとおり基礎的なトレーニングのことで、パルクールの根幹を成すものです。パルクールというとビルからビルに飛び移ったり、宙返りしながら飛び降りたり、と派手な動きをイメージしがちですが、実態は全く異なります。パルクールの本質はパフォーマンスではなくトレーニングにあります。体を動かすことで自分の身体を知り、限界を知った上で、少しずつそれを底上げしていくという個人的なアクティビティとでも言えばいいでしょうか。なので初心者だからとか、下手だからとか、そういった劣等感は捨ててください。自分のペースで行きましょう」


 パルクールに関する端的な説明の後、男女別に分かれて基礎トレが始まる。


 女子グループには祐理と沙弥香含めて十二人ほどが集まっている。

 CM出演歴もある実力者リイサが前に出た。


「これからモンキーウォークという動きをやります。えっと、口で説明すると難しいんですけど、こんな感じの動きです」


 リイサは地べたで四つん這いとなり、膝を浮かせ、胴体を地面と水平に保った。

 その状態で右手と左足を前に出す。次は左手と右足――それを繰り返して前へ前へと進んでいく。


「イメージとしては四足歩行の動物ですかね。犬や猫を飼っている方は、その歩き方を思い浮かべてみるとわかりやすいかもしれません」


 リイサは解説しながらモンキーウィークで前後に歩いてみせる。

 身体のブレが無く、体幹の強さをうかがわせる。「おー」祐理は思わず感嘆の声を漏らした。


「パルクールにおいては体幹の強さが重要になってきますが、モンキーウォークはその体幹を鍛える運動になります。野球でいうと素振りみたいなものですね。体が引き締まるのでダイエットや美容にも適してますよ。まあ私は鍛えすぎて割れちゃってますけど」


 リイサが恥ずかしそうに苦笑しながら自らのシックスパックを披露すると、今度は参加者全員から感心の声が上がった。

 その傍らで祐理がスウェットの裾を上げる。みずみずしい腹部が露わになった。


「ちょっ、何してんのよアンタ!?」

「んー、割れてないなぁ」


 ぎょっとする沙弥香は気にせず力を込める祐理だが、割れていると評するには微妙なラインだった。

 その様子を見ていた小学生の女の子が「わたしも割れてなーい」真似をしてTシャツを上げる。付き添いの母親が苦笑しながらたしなめていた。


「えーと、それでは、皆さんのいる地点からこのペットボトルを置いたところまでをモンキーウォークで進んでみましょう。恥ずかしさもありますけど、私も隣でやるので頑張ってみてください。あ、でも無理とかは全然しなくてもいいので、無理そうだったら遠慮なくやめていいです」


 女子参加者が一列に並び、一人ずつモンキーウォークで歩いていく。女性が行うには抵抗の大きい動作だが、男子グループも同じくモンキーウォークをしており、またリイサによる真隣のフォローもあって抵抗感は軽減。初心者の参加者も数巡する頃にはそこそこ様になっていた。

 中でも目立っていたのは祐理と沙弥香で、一目で経験者とわかるほど安定感があり、リイサは思わず声を掛けた。

 しかし、あのアラタの妹である沙弥香はともかく、祐理についてはヒナタという名のトレーサーに聞き覚えがないこともあり、実力の根源はわからなかった。


 それからさらに数巡したところで、モンキーウォークのレクチャーが終了する。

 体幹にダイレクトに負荷が加わっただけあって参加者の大半が、というより経験者であるリイナと祐理と沙弥香、他二名の女子を除いた全員が疲れ果てていた。

 しかし、その顔には一様に達成感や爽快感が浮かんでいる。体を動かすことの楽しさと気持ちよさ、そして全員で努力したり励まし合ったりするという場の雰囲気と居心地。全てがプラスに作用した結果と言える。

 リイサの配慮はもちろん、気さくで明るい祐理と面倒見の良い沙弥香のおかげでもあった。


 リイサは水分補給をする二人に近づき、「お二人ともありがとうございました」お礼を述べる。


 そこから話が弾み、三人はLIMEのIDを交換するまでに至っていた。







「――祐理のコミュ力、半端無いな」


 そんな様子を日向は眺めていた。


 壁泉の奥は木々で生い茂っているが、その一つに二十メートルに至ろうかという大木がある。日向はそこに登っていた。

 枝の付け根に足を乗せて体を支えつつ、手に持つカメラを下方、基礎トレ中の女性グループに向けている。

 枝葉がそれなりに茂っており、また高所に位置することもあって、参加者は誰一人気付かない。逆を言えば日向側も簡単には盗撮できないはずだが、日向は不安定な大木を自由に行き来し、枝葉の隙間を見つけて、難なく撮影していた。


 日向は準備運動が終わった時からここに先回りしていた。

 事前の調査にて、この鶴見緑地でどのように練習会が進行するかについては把握済だ。その上で、撮り師『ぷるん』として女性の胸部や臀部、太ももを捉えるチャンスは、この壁泉エリアにしかないと結論付けていた。


 モンキーウォークのデモを行うリイサの尻。その後、恥ずかしそうに腹筋を披露する前後で見えた、そこそこ膨らみのある胸部。

 たどたどしい女性参加者達の尻や太もも。

 モンキーウォーク終了後にくつろぎ、だらける彼女らの胸――


 日向は手元のカメラで、ズームで捉え続けた。

 手ブレもなければ被写体のロストもない。まるでゲームのオートプレイみたいな安定感と正確性で、日向は着実に戦果を積んでいた。

 無論、それほどの所業を易々と行えるはずもない。日向は全身と全神経を総動員して撮影に望み、結果として、その場にいる誰よりも汗をかき、疲弊していた。


 それでも日向は気を緩めない。


(次の会場に移動してしまえば、もうチャンスはない)


 休憩は差し込むものの、女性グループへの注視を絶やすことはなかった。


 やがて女性グループが壁泉に集まる。

 リイサが壁に手を掛け、しがみつくようにぶら下がった。


「クライムアップか」


 日向が呟く。


 壁にぶら下がった状態で体を持ち上げる動作であり、ぶら下がる持久力と持ち上げる瞬発力の双方が要求される。並の男子でも易々とはこなせない、登竜門とも言える技だ。

 とはいえ実は大部分をやり方の工夫で補うことができ、体が柔軟ならば、ひよわな女性でもこなすことができる。リイサに参加者らをそこまで導けるほどの指導力があるか、と日向は考えて、直後、頭の隅に追いやった。


(パルクールはどうでもいい。盗撮に集中しろ)


 練習会には魔力がある。同じ趣味や目的を持つ者が集まり、楽しそうに練習する光景は、淡白な日向さえもその気にさせる力があった。

 日向はそんな誘惑に抗う。


「……


 日向が居座る大木は壁泉の、女性グループがクライムアップを行っているあたりのちょうど奥側に位置しており、日向はほぼ真上から見下ろせる格好となっていた。

 壁にしがみつき、登ろうとする女性参加者の胸元が見える。


「奇跡に近い角度だ。俺は運がいい。くふふっ……」


 不敵に微笑む日向は、胸元をズームで捉え続けた。

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