5 客人

 スポーツテストから二日が過ぎた金曜日。

 放課後すぐに帰宅し、盗撮作品の公開コンセプトを練っていた日向の元に、一人の来客があった。


「やあ。久しぶり」


 玄関ドアを開けると、体格の良い好青年が応えてきた。

 メガネとマスクを付けている。まるで芸能人が素顔を隠しているかのような装いだ。

 間もなく外された。見覚えのある顔が現れた。


「新太さん……」


 新井新太あらいあらた

 日向より六歳ほど年上で、日本を代表するパルクール実践者トレーサー


「あっ! 新太さんだー。お久しぶりですっ!」


 通りがかった祐理が遠慮無しに飛び付いた。

 タックルみたいな勢いで並の人間なら吹き飛びそうだが、新太は難なく受け止める。


「祐理ちゃんは変わってないね。体はだいぶ色っぽくなったけど」

「でしょでしょー。この魅惑のぼでぃーを見たまえ」


 セクシーポーズを決めているつもりだが、まるで様になっていない。それでもスタイルの良さは健在で、並の男子なら目を背けられないだろう。


れつさんから聞いたよ。二人暮らししてるんだって? 日向君は毎日ムラムラして大変でしょ?」

「イライラはしてますけどね」


 もっとも、新太も日向も並ではなかったが。


「少しはムラムラしろやー」


 祐理はジト目のまま日向に近寄り、その腕を手にとって豊満な胸にはさみこむ。


「日向君、ムラムラした?」

「いえ全く」

「だよね。――ブレないなぁ」


 最後は小声だったが、日向の聴力はかろうじて聞き取っていた。声音が妙に冷たかったが、些細な機微を気にする日向ではなかった。

 ひっついてくる祐理をあしらいながら、新太に尋ねる。


「それで新太さんは一体何の用で? まさか泊めてとか言いませんよね」

「ひどいね。泊めてくれないの?」

「新太さんならお金あるでしょ。タクシーからのホテルも余裕なはずです」

「僕は新太君と泊まりたいんだよ」

「俺は別に用はありませんが」


 嫌そうな顔を隠そうともしない日向を見て、新太は苦笑する。

 生活管理がストイックな日向は、新太が泊まることで自分のルーチンが崩されるのを嫌がっているのだろう。普通なら人間関係を優先して妥協するところだが、日向にそんな常識は通じない。


「いいじゃんいいじゃん。泊まってもらおうよ!」

「お前はもう少し慎みを持て」


 彼女にはずいぶんと気を許しているな。

 祐理とのやり取りを眺めながら、新太はそう思った。


 彼女だけは特別なのかもしれない。そもそも二人暮らしを容認している時点で相当なことだ。

 しかし一方で、日向が祐理に微塵も欲情していないのは見て明らかで、そこに新太は違和感を感じていた。


(施設育ちだから恋愛より家族の絆が強いのかもしれないな)


「それで話を戻しますけど、何の用です?」

「……ああ。そうだね」


 新太は真剣な面持ちをつくってから続ける。


「勝負がしたいんだ」


 新太はパルクールのプロで、日向と祐理は新太からパルクールを教わった関係である。それがパルクールに関する勝負事であることは自明だった。


「――勝負になりませんよ。俺はただの実践者トレーサーで、あなたは日本を代表するプロだ」

「僕はそうは思っていない」


 新太は懐古する。

 当時高校生だった新太は経験の幅を広げるべく、児童養護施設『村上学校』にて児童にパルクールを教える仕事を受けた。

 そこで出会ったのが小学生の渡会日向だ。


 日向は最初から異質で、異常で、逸脱していた。


「何の勝負をするんです?」


 パルクールと一口に言っても動きは多用で、筋トレのような鍛錬もあれば宙返りのようなパフォーマンスもある。


「鬼ごっこだよ」

「チェイスタグですか?」


 日向が最近生まれたばかりのニュースポーツ、パルクール鬼ごっこチェイスタグの名を挙げる。


「いいや。場所が無いからね。普通にその辺の公園で鬼ごっこをしようかと思ってね」

「めちゃくちゃ目立つと思いますが……」


 パルクール前提の鬼ごっことなれば、アクションは派手になると考えられる。

 場所にもよるが三メートル以上の壁を上り、高低差を飛び降り、距離差を飛び越えるような動作も含まれるだろう。子供達、特に男児に見られたら興奮されることは間違いない。

 事実、地味な日向もトレーニング中に注目を集めてしまい、近所の子供達からヒーローのような扱いを受けている。

 まして新太はプロであり、パルクールを知らない一般人でさえも『なんかテレビで見たことある』という程の知名度を持っているのだ。


「それに事務所が許さないんじゃないですか?」

「何言ってんの日向君。僕はフリーだよ」

「さいですか……」


 プロのトレーサーは芸能事務所に所属することが多い。『パルクールができる俳優』というキャラクターで自分を売り込むのだ。芸能界だけあって知名度、人脈と給料は大いに獲得できるが、反面、トレーサーとしては自由を奪われる。

 たとえば事務所に無許可で、不特定多数に見られる屋外――公園などで練習することは禁じられる。


「そんなことも知らないとは、君は本当に関心が無いんだね」

「まあ、そうですね」

「……日向君。ちょいちょい」


 目が笑ってない笑顔のまま手招きをされる。嫌な予感しかしない。


「……なんですか」


 近寄ると、新太が耳打ちしてきた。


「烈さんから日向君のことを聞かれたよ。ちゃんとやってるのかって」

「げっ」


 日向は――本当は盗撮活動に専念するためだが表面上は――プロトレーサーになるための修行として一人暮らしをする、と施設長に伝えている。

 その証拠としてブログや動画サイトのアカウントをつくり、記事や動画をアップしているのだが、お世辞にも活発ではない上、かれこれ数ヶ月は更新していない。たまにかかってくる電話も適当に誤魔化しているし、自分から掛けることもない。


「ちゃんと誤魔化しておいたよ」


 新太は日向の数少ない知人であり、パルクール界隈にも顔が利く。施設長がこっそりと様子を訊いてくる可能性は十分にあった。

 そこで日向は新太に真相――もちろん盗撮面は伏せて単に一人暮らしを満喫したいという理由に留めている――を白状した上で、もし施設長から訊かれた時は誤魔化してほしいと頼んでいた。


「……ありがとうございます」

「僕のお願い。聞いてくれるよね?」

「も、もちろんですとも……」


 そう言われては頭が上がらない。


 かくして新太との鬼ごっこが確定した。






 結論を言うと、鬼ごっこは成立しなかった。


 圧倒的優位の逃げる側が同じ場所をぐるぐると巡る『ループ問題』が発生したからだ。よほどの実力差が無い限り、鬼側がループを壊すことは叶わない。

 日向は新太のループを壊せなかったが、新太もまた日向のループを壊せなかった。瞬発力では新太に軍配が上がっていたにもかかわらず。

 スピードの差を何でカバーしているのか、新太は全てを掴めないでいたが、それでも一つだけは明らかだった。


 スタミナだ。


 激しく息を切らす新太に対し、日向にはまだまだ余裕が見えた。

 仮にさらに数十分続けていた場合、新太が先に枯渇してループを崩されていただろう。

 速筋と遅筋の配分が違うと言えばそれまでだが、新太はプロであり、日向は教え子のような存在で、プロでもないアマチュアだ。顔や言動にこそ出さなかったものの、新太の胸は悔しさに満ちていた。


「らちがあかないので勝負内容を変えましょう」


 幸か不幸か、鬼ごっこが成立しないと判断したのは日向であった。

 迷った末、新太は提案を受け入れる。


 パルクールレースを行うことになった。

 パルクール鬼ごっこチェイスタグとは違い、公式のルールや事例が存在するわけではないが、やることは単純で、『A地点からB地点に至るまでの時間を競う』のみ。

 A地点として地面、B地点として大型複合遊具の最高点――屋根を指定する。


 日向のターン。

 階段や滑り台は使わず、高くなっている足場をつかんで体を持ち上げた。続く柵には軽々と飛び乗り、更に上部の足場を掴んでは、また同じように持ち上げていく。


「ひなたちゃんかっこいい」

「にんじゃみたい」

「なーなー、ねえちゃんもあれできる?」

「わたしはむりだよー」


 いつの間にか集まった子供達が盛り上がっており、しれっと祐理が溶け込んでいた。

 その手にはストップウォッチ。記録は祐理が測ることになっていた。


 一方、少し離れたところでは、新太が腕を組んだまま観察している。


「水平移動を抑えて上る動作クライムに帰着させたか。ちょっと上半身に頼りすぎかな」


 間もなく日向が屋根に到着し、祐理がストップウォッチを止める。

 タイムを見ようと子供が群がるのを眺めながら、


「だいぶ短縮できるかな」


 新太は自分のルートを脳内に描く。

 自分が決めたA地点に向けて歩きながら、ふと日向を見上げた時だった。


「――は?」


 思わず声が出た。

 日向が一瞬、その場から一気に飛び降りようとする動作――ジャンプ前の溜めを見せたからだ。


(今あそこから飛び降りようとしなかったか?)


 目測では九メートルほど。アパートやマンションの三、四階から飛び降りるようなものだ。

 入念に準備をすれば新太にも可能な高さではあるものの、レースの直後にふらりと行える動作ではない。


(まるで息をするように飛び降りようとしたよな……)


 気のせいだろうか。

 それとも自己顕示や見栄のためにそういう演技をしたのか。


(いや、日向君に限ってはありえないか)


 トレーサーは顕示する生き物である。

 物書きが文章を、絵描きが絵を公開するように、トレーサーもまた自らの動きを公開する。

 ところが日向はそうしない。目立ちたい、モテたい、勝ちたいという欲望がまるで見られない。それは自らの作品を誰にも見せない芸術家のようなものであり、稀有レアな価値観なのだが、日向は昔からそういう人間だった。


 なら、日向が見せた動作は、おそらくは日常的なもの。

 そしてそれを途中でキャンセルしたのは、注目を防ぐためだろう。


 顕示には無関心でありながらも、屋根からの大ジャンプが注目を集めることは自覚している。

 その上で注目を回避する行動を取った。それはつまり無関心というよりも――意図的に隠しているということ。


「新太さーん! 用意はいいですかっ!?」

「……」


 さっきのスタミナといい、日向にはどこか底知れなさや得体の知れなさがある。

 そんな風に怯んでしまう自分がまた悔しかった。


「いいよ祐理ちゃん! いつでもカウントダウンしてくれ!」


 払拭しようと大声を返し、レースに集中し――


 結果だけを見れば新太は圧勝した。

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