3 スナイパー

 チャイムと共に前半戦が終了した。


 休憩を挟んだ後、男女の仕事が入れ替わる。

 男子は校舎に戻り健康診断のため待機。反対に女子は校舎を出てグラウンドまたは体育館でスポーツテストだ。


 しかし日向はというと、変わらず屋上で過ごしていた。


 尿瓶しびんに用を足す。

 まだ昼には早いが、ストックのおにぎりに手を伸ばした。手も洗っておらず不潔に思えるが、手指を汚す真似はしていない。そもそもラップ越しに取るため関係がない。


「大変なのはここからだな……」


 もぐもぐ食べながら独りちる日向。

 後半戦はスポーツテストに勤しむ女子を盗撮するつもりでいる。屋上滞在はそのためだ。保健室の報知くんを制御するだけなら学外からでも可能であるため、こんなリスクを犯す必要はない。


 食べ終えた日向はリュックからカメラを取り出した。

 キロ単位の重量がありそうな、重厚な代物。高倍率ズームを備えたデジカメだ。

 それを眼下、50メートル走のレーンが設けられたエリアに向けて構えてみる。すぐに下ろす。


「うーん。撮るのは何とかなるけど……バレバレだよなあ、これ」


 屋上からグラウンドの女子が見えるということは、逆を言えば女子からも屋上が見えることを意味する。

 たとえ屋上が普段から立入禁止で、生徒にとって縁も存在感もない場所であっても、偶然目に入ることは十二分にありえる。場所が場所――終日立入禁止なだけに、一度たりとも存在を悟られるわけにはいかない。


「……やはりあそこだな」


 日向が目を向けたのは出入口、その建物の天頂部。

 屋上よりも更に高い位置にあって、フェンスさえもない場所だ。

 高さで言えば身長の倍程度、おおよそ3.5メートルだが、そもそも上ることが想定されておらず、はしごも見当たらない。

 それを日向は、「上るか」簡単に言ってのけた。


 荷物を積めたリュックを背負い、壁に向けて走り出す。

 勢いは止まらない。まるでタックルをかますかのように、ただただ直進していく。


 一歩手前のところで日向が跳んだ。

 続く足が壁に繰り出される。


 壁を蹴る。

 純粋な脚力と壁からの反作用が合算され、日向の体がふわりと浮いて。伸ばした手がぐんぐんとてっぺんに近づき、間もなく届いた。

 しっかりと掴んでから身体を引き上げ、あっという間に上りきる。


 ウォールラン。


 パルクールにおける基本技の一つだ。


「ここならいけそうだな」


 リュックを置いてカメラを取り、その場でうつ伏せに寝転がる。

 手を伸ばしてカメラを構えた。グラウンドから見るとカメラだけが見える格好だ。伏せている日向は見えない。その分、視覚的に気付かれる可能性はぐんと減る。

 どころか事実上、レンズの太陽光反射にさえ気を付ければ、気付かれることはまずないと言って良かった。というのも、女子が屋上のカメラに気付くためには、屋上を偶然視界に入れるだけでは足りず、何かを探すつもりで注視する程の注意が必要だからだ。

 そんな酔狂な生徒はいない。確率ゼロではないが、限りなくゼロに等しい。

 そんな人間の心理や傾向を、日向は経験則で知っていた。


 このように遠方から被写体を盗撮する撮影方法は狙撃スナイプと呼ばれ、日向は学校以外でもしばしば練習している。

 街に出かけ、高さのあるビルに不法侵入して、通行人の女性を撮るのだ。

 そんな実践的でスリリングな練習に比べれば、今回の屋上からの盗撮は低難度イージーモードでしかない。


「――よし」


 最終調整を終えたところでチャイムが鳴った。

 数分もしないうちに各種目の受付に女子が殺到する。それを教員が誘導して列に並べていた。


 屋外で行われる種目は三つ――50メートル走、ハンドボール投げ、シャトルランだが、日向のお目当ては一つのみ。


 50メートル走のレーン、そのスタート地点に二人の女子が立つ。

 レーンは二本で、一度に二人ずつ測定する方式のようだ。

 日向は二人の様子を、特に容姿がはっきりとわかるように映した。


 日向は主観でを選び、フォーカスを合わせる。

 慣れた手つきでつまみをいじり、ボタンを押した。液晶には被写体ターゲットの胸部がズームで映されている。


「位置について」


 スタッフの掛け声に女子二人が構える。


「よーい――」


 パンッとピストルの空砲が鳴り、被写体が駆け出した。


 普通に考えれば被写体を収め続けることは不可能である。

 ただでさえ何十メートルも離れたところから高倍率ズームで収めているために――たとえ補正機能に頼っても――手ブレが大きく、加えて被写体は動体動く。動く被写体を収め続けるだけでも至難の業である。


 しかし液晶には被写体の胸部が、途切れることなく映り続けている。

 体操服の質感、魅惑的な膨らみ。そして走行に伴って揺れる様までもが鮮明に、かつブレも無く表現されていた。


 被写体が走り切る手前で停止ボタンを押す。

 保存が完了する前にレンズをスタート地点に向けつつ、次の走者を目視で観察。鮮明に捉えるための撮影設定を頭に思い描き、カメラが保存を終えて応答可能になったところで即操作に移った。

 さっきと同様、走者二人の全身を捉える。


「位置について」


 構える走者達。

 うち一人を選択し、その胸をズームで映す日向。


「よーい――」


 直後、空砲が放たれる。


 被写体のスタートダッシュ。それを日向のカメラが追い――またも間近で見ているかのような乳揺れを収めた。


 停止ボタンを押し、再びスタート地点に戻す。


「やべえな。最後までもたない」


 計測スタッフが迅速なせいで休む暇が無い。

 ただでさえ集中力を総動員している上に、手ブレを抑えるのにも相当の筋力を発揮している。この耐久は極めて瞬発的な発揮であり、何十分と継続できるとは到底思えなかった。


 しかしながら逃すにはあまりにも惜しい。

 女子全員の、体操着越しの乳揺れ。それも最初に容姿を映しており顔までわかる。盗撮作品として価値があることは自明だ。

 まして狙撃スナイプは日向の得意分野であり、特に動体のズーム撮影については他の追従を許さない。


 ――カリスマとして変態どもに崇められることも不可能じゃない。


 それはジンの言葉だったか。

 もしカリスマと慕われるレベルになれたら収入も格段に増えるだろう。去年の一千万は軽く超えられる。

 日向は別に金の亡者というわけではないが、つまらない仕事に人生を費やす気は毛頭無く、一生自由に生きられる程度の経済力を欲している。その一環として、学生時代のうちに盗撮で稼げるだけ稼ぐつもりでいる。


 今回の作品には、そんな野望を現実的なものにするポテンシャルがある――そう日向は直感した。


「出し惜しみはやめだ」


 日向には切り札があった。

 それは諸刃の剣で、使えば消耗も著しい。万が一誰かに気付かれた時の逃走さえもままならなくなる。

 安全を考えれば使うことなどありえないが、日向は保身を捨てた。


 ごくりと生唾を飲み込み。


 女子を撮影しながらも、切り札を切る覚悟を決めた。

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