2 表舞台と裏舞台

 春日野かすがの高校――通称『春高』のスポーツテストは、比較的新参の業者に委託している。

 ハイテクを駆使した正確な測定と迅速な集計が特徴で、今日水曜日の実施結果が、校内における平均やランキングも集計された上で来週月曜日に返ってくる速さである。

 その分、費用は従来の老舗業者よりも高く、利用校の大半はスポーツ校か、お嬢様学校である。しがない私立高校である春高には苦しいはずなのだが、実態はそうでもなかった。


 春高の経営は『春日家』――春日野町の基盤として君臨する大地主によって行われている。

 この経営はどちらかといえば趣味であり、採算については度外視なところがあった。それはあらゆる費用を免除するゴールドバッジを各学年四名ずつ、計十二名分も整えていることからもうかがえるだろう。

 ちなみに、その対象は警備システムにも及んでいる。導入されたシステムはITによるフルコントロールをサポートし、夜間でも警備員の配置を必要としないものであった。

 もっとも、それがあだとなって、天才ハッカーの佐藤に『ガシア』――学校侵入アプリを開発されてしまっているわけだが。


 それはさておき、春高ではスポーツテストが盛り上がる。

 午前中に帰宅できることや、一位にゴールドバッジが与えられることもそうだが、何より注目が集まるのである。


「メロディーがこんなに続くの初めて聴いたわ」

「これ全国でもいい線行ってんじゃね?」

「このスポーツテスト、校内順位だけだった気がするけど」

「つかこの後に測定する人、ハズすぎるでしょ……」


 各種目の計測は専用スタッフが行っているが、それでも何百という生徒を一瞬で計測できるわけではない。必然的にそれなりの待ち時間が発生する。そして待機する者にできる暇つぶしと言えば、私語あるいは被計測者の鑑賞だった。


 待機しているのは男子だけではない。


「凄いねー、あの二人」

「二年生の子でしょ?」

「去年の体育祭でも大活躍してたよ」

「遠目にもイケメンだってわかるわね」


 教室の窓から女子達が顔を覗かせていた。

 今日の日程は、前半は男子がスポーツテスト、女子が健康診断となっているが、女子は自クラスの出番が来るまでは教室待機だ。一応自習という体裁にはなっているものの、教員もいちいち注意はしない。外で男子が計測していることを考えれば、それを鑑賞するのは至極自然だった。


 グラウンドは、とある種目に取り組む男子二人の独壇場となっていた。


 ドレミの音階が上り、折り返して下る。

 その間に白線と白線の間を行き来する二人。


 音階が止むことはない。合図となる一音が挟まれているだけだ。

 ペースは少しずつ早くなり、二人の顔つきも苦しくなってくる。聞いているだけでもただならぬ難易度がうかがえた。


 どこまで耐えられるかという持久力を測定する種目『シャトルラン』。


 残っているのは佐久間琢磨さくまたくま成瀬誠司なるせせいじ――二年A組、いや二年生の運動神経ツートップだ。

 そんな二人を周囲の何十という男子と、少し離れた校舎から健康診断を待つ女子らが見物していた。視線の数を合わせれば優に100を超え、賑やかさも放課後の運動部に匹敵していたが――


「……」


 屋上にただ一人で座り込む日向は脇目も振らず、ノートパソコンと向き合っていた。


 画面には二枚のウィンドウが並び、それぞれ保健室内を映している。

 左のウィンドウではパーティションの手前、身体検診を待つ女子達が並んでおり。

 右のウィンドウではパーティションの奥――検診を受ける女子が、ちょうど体操着をまくし上げたところだった。


 体操着の色から新一年生であることがわかる。絹のような肌の白さはインドアをうかがわせた。

 しかし胸は控えめに言っても大きく、容姿もクラスでトップレベルだと思われる。近いうちに男子達の話題オカズになるだろう。あるいは既になっているかもしれない。

 そんな後輩の下着姿を、日向は何一つたぎらせることなく、淡々と眺めていた。


 目的はあくまで女子全員の姿を収集することだ。


 なら、重要なのは女子の容姿を確実かつ鮮明に捉えることである。

 本来ならキーボード操作で報知くんの撮影設定を微調整しなければならないが、日向には抜群の空間認識能力と天性の勘がある。最適な調整は既に適用できており、事実、被写体ターゲットの上半身を余すことなく移していながら、彼女の左乳房にあるホクロまで鮮明に見えるほどピントも合っていた。


 それでも何が起こるかはわからない。

 何か起きた時に一秒でも早く対応できるよう、日向は画面から目を離さなかった。




      ◆  ◆  ◆




 スポーツテストを仮病で休んだのは日向だけではない。

 新井沙弥香あらいさやか――同じく二年A組に属する彼女もまた休んでいた。隣県で行われる『パルクール』の大会を観戦するためだ。


 広々とした屋外ステージには台や壁、ぶら下がれるバーなどが配置されている。観客席には何千という座席が360度、階段状に配置され、満員となっている。

 その最前列、選手の家族のみに許されたVIP席に沙弥香はいた。

 今まさに番が始まろうとしている、壇上の選手に向かって叫ぶ。


「お兄ちゃん! ファイトッ!」


 壇上の新井新太あらいあらたが妹に微笑む。

 いつもどおりの頼もしい笑顔。リラックスしており自信もうかがえる。今日は優勝できるかもしれないと期待に胸が膨らんだ。


 沙弥香は――普段の派手な身なりはともかく――仮病を使うような不真面目な生徒ではないが、今日ばかりは譲れなかった。

 春高なら『家族の応援』でも欠席の正当な理由になるのだが、そのためには担任に兄の事を話さねばならない。沙弥香は今のキャラクター兄を慕う妹を学校に持ち込みたくなかった。


 実況の掛け声により新太の演技が始まろうとしている。


 ステージ上で構える新太。

 耳が痛くなるような静寂。


 間もなくBGMが流れ、新太が動き出した。


 テンションもBPMテンポも高めの曲だ。それが音楽ゲームの楽曲であることを沙弥香は知っている。

 一年以上前に新太と一緒にゲーセンで遊んだ時のことだ。リズム感と鍛えるのに最適な上、曲自体のノリも良いから、ハマればパフォーマンスが映えるはずなんだ――と兄は言っていた。

 その作戦と努力は功を奏したようだ。


 新太のパフォーマンスは、他の選手よりも曲に合っていた。


 通常、パルクールパフォーマンスではBGM合わせはあまり行われない。というのも宙返りや大ジャンプなど動きがえてして大がかりになり、またスイング――ぶら下がって勢いを付ける動作や、あるいは助走といった『溜め』の動作も多々あるせいで、曲に合わせづらいのだ。

 そのためBGMは、あくまで雰囲気を表現する手段にすぎず、動きと連動させて統一感や律動感を表現する用途には用いられない。


 そんな常識を新太は変えた。


 BGMと一体となってリズミカルに登る。

 飛び降りる。

 跳ぶ。

 回る――


 ただの技自慢や組み合わせフロウではない。

 一つの芸術作品として消化させた、新太の新境地だった。


 数分間のパフォーマンスが終了する。

 新太はフィギュアスケーターのように激しく息を切らしていたが、嬉しさを隠しきれず顔をほころばせていた。


 刹那、大歓声が会場を包む。

 新鮮な視点と確かな安定感のダブルコンボに、聴衆は興奮し、審査員が酔いしれ、実況さえも唖然として仕事を一時放棄していた。


 その後は新太ほどの盛況は訪れず、新太は念願の優勝を手に入れた。






「ふふっ――お兄ちゃん。うふふ」

「沙弥香。腕から離れなさい」

「イヤよ。どうせすぐ帰るんでしょ? お兄ちゃん成分を補充しないと」


 大会を終えた新太は、家族と一緒に帰路に就いていた。

 四人乗りの乗用車で前席に両親、後部座席に新太と沙弥香が乗っている。

 新太の腕は沙弥香によって拘束され、柔らかな感触と温かい体温に包まれていた。正直言えば暑苦しかったが、妹の懐き具合は今に始まったことではない。

 観念して、沙弥香の頭を優しく撫でてやる。


「新太。帰るのはいつになるの? 明日? 明後日?」


 助手席に座る母が問う。


「いや。今回はゆっくりしたいし、会いたい人もいるから」


 新太はちらりと妹を見た後、答えた。


「今週いっぱいはこっちにいるよ」


 瞬間、沙弥香がガバッと抱きついてくる。


「母さん助けて」

「沙弥香も嬉しいのよ。久しぶりに構ってあげなさい」

「父さんも何とか言ってよ」

「兄妹仲が良いのはいいことだ。週末にでもデートしてきたらどうだ」

「えー……」


 妹に振り回されるという意味で、ゆっくりできそうにない。

 頭が痛い新太だった。


「デートは土曜の午後からだからねっ! ちゃんとおしゃれしてよお兄ちゃん」

「決定事項なのか……」


 新太は嘆息しつつ、今週の予定を組み立てる。

 明日と明後日は沙弥香が学校だから、用事はそこで済ませておくべきだろう。そして土日は散々振り回されることになる。

 下手に断って気分を損ねても面倒だ。それにここ最近、大会だの仕事だのとストイックに張り切りすぎていたから、妹と過ごしてリフレッシュするのも良いだろう。


「――ん? 午後から?」

「そっ。午前はスポーツテストがあるのよ」

「懐かしい響きだな。沙弥香ならAランク取れるかな?」


 学校でよくつるむ琢磨や誠司と同じく、沙弥香も運動神経が抜群だった。

 部活こそ入ってはいないものの、幼い頃からプロを目指す新太に多分に影響されてきたおかげだ。


「当たり前でしょ。学年一位だって取ってみせるわ」

「去年は二位だったものね」

「お母さんも見ててよ。ゴールドバッジ手に入ったらお小遣い頂戴ね」


 沙弥香は去年の雪辱に燃え、自主的にトレーニングをするほどだったが、それでも今日の本番をサボった。兄の舞台には遠く及ばない。迷う余地すらなかった。

 それにスポーツテストは週末、運営会社の系列ジムに行って受けることができる。土曜午前に受けに行くのだ。


「頑張るのはいいけど、女も磨いた方がいいんじゃないかな」


 新太が沙弥香のお団子ヘアーをぷにぷにと触る。

 普段は髪を下ろし、制服を着崩してメイクも張る沙弥香だが、今日はとにかく地味で、格好もジャージだ。今は外しているが大会中は伊達メガネも掛けていた。


「磨いてるわよっ! 今日は学校の人らにバレたくないから変装してるだけっ! これでもアタシ、モテるんだからね?」

「容姿じゃなくて内面の話だよ」

「うっ……」


 前席の両親が声に出して笑ったが、当たっているので沙弥香は言い返せなかった。


「あー、でも仲の良い男子が二人いたよね。すごいイケメンとガタイ良くて焼けてた子」


 去年の体育祭を見に来た時に記憶で新太は喋っていた。


「……琢磨と誠司ね。ただの友達よ」

「気を持たれたりとかしてるんじゃない?」

「してないわよ」


 琢磨とは一時期お試しで付き合ったことがあったが、家族には言っていないし会わせてもいない。

 一月もせずに別れた。結局わかったのは兄の偉大さと兄への愛だけだった。


「アタシが付き合うとしたらお兄ちゃんだけよ」

「それはない」


 新太は即答する。沙弥香の顔に手を伸ばし「ぐえっ」頬をつまんでぐにぐにした。


「いいかげんブラコンは卒業しような」


 こうしてボディタッチすると沙弥香はおとなしくなりやすい。

 今も不満そうな顔を浮かべながらも、なすがままにされている。


 それからも新太は妹の愛を受け流しつつ、家族と他愛ない話に花を咲かせた。

 会場から自宅までは遠く、一時間経ってもまだ到着しない。沙弥香のテンションはみるみる落ちていき、ついにはすやすやと眠り始めた。


「まったくもう。沙弥香が疲れてどうするのよ。というより新太が頑丈なのね。お母さんも眠たいわ」

「頑丈に生んでくれたおかげだよ。今日も応援ありがとう。父さんも」

「なんだかんだ疲れは溜まっているだろう。今日はゆっくり休みなさい」

「うん」


 すっかり静かになった車内で、新太は窓の外をぼんやり眺める。

 個人的に最も気になる人物について思い浮かべていた。


「今はどうしてるかな、日向君」

「ん? 何か言ったか新太?」

「何でもないよ」


 女の子みたいな名前で。

 弟のような、あるいは弟子のような存在で。

 しかし誰よりも頑固で、ストイックだった、そんな男の子。

 沙弥香と同い年で、高校も同じだったはずだ。


(化けてるんだろうなあ……)


 楽しみとも不安ともつかない、微妙なため息をこぼすのだった。

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