第3章

1 仮病

 新年早々、祐理の押しかけやら図書委員やらに振り回されてきた日向だったが、一応の落ち着きを取り戻していた。


 四月十九日、水曜日の朝五時。日向はキッチンに立っている。

 炊きあがったご飯にわかめやそぼろを混ぜ込んだ後、おにぎりを握る。手元を見れば異様に力が込められているのがわかる。まるで圧縮するかのようだった。


「できた」


 それをおにぎりボックスに収納し、水筒にお茶を注いでから部屋に戻る。

 出入口を本棚で塞ぎ、部屋の隅に鎮座する金庫を開けた。

 多種多様なカメラが配置されている中、いかにも高価そうなデジカメを手に取る。


「くくっ、楽しみだ……」


 笑みをこぼしながら日向は支度を進めていた。




      ◆  ◆  ◆




 名簿を持った担任がどこか落ち着きのない教室を見渡す。


「今日の欠席は――新井と渡会か」


 名簿にチェックを入れた後、プリントを配っていく。


「主に男子がお楽しみのようだが、今日はスポーツテストだ。健康診断も行うぞ。詳細はプリントにも書いてある通りだが、前半後半を男女で分ける。前半は男子がスポーツテストで、女子が健康診断。前半終了の放送後は交代で、女子がスポーツテスト、男子が健康診断。まあ去年と同じだな」


 ちなみにスポーツテストはグラウンドと体育館で行われ、健康診断は保健室と一部の空き教室で行われる。


「去年もいたが、うっかり校舎に入るんじゃないぞ男子。覗きになっちまうからな」

「せんせー、女子は入ってもいいよね? 体育館のトイレだけだと行列だし」

「ああ。女子は一階だけなら構わん」

「先生先生、男子もええよな? 男子トイレも結構混むで?」


 最前列に座る成瀬誠司なるせせいじが挙手しながら口を挟んだ。


「だから男子はダメだと言った。そんなに混まないだろ」

「えー、なんでやー。男でも大だと長いんやで。タクマンもそうやろ?」


 誠司が二つ右隣に座る佐久間琢磨さくまたくまに振る。


「俺に振らないで。あとタクマンはやめて」

「ほんならたくあん」

「先生。こいつ覗き魔なんでマークしといた方がいいですよ」


 愉快な笑い声が響いた。


 それからも担任の先生が少し説明を続けた後、A組のホームルームが終了した。

 間もなく隣のB組男子が入ってくる。着替えのためだ。春高では着替えの際、二クラス毎に男女別で教室を充てる。A組とB組の場合、A組教室が男子、B組教室が女子だ。

 女子達が教室から出て行こうとする中、琢磨と誠司は既に制服を脱ぎ始めていた。


「琢磨。今年は負けへんで」


 日焼けした誠司の上裸があらわになる。

 腹筋は割れ、胸筋も程よく盛り上がっているが、ボディビルダーのような暑苦しさは無い。いかにも優れたスポーツマンという風な肉体だった。あちこちから感心や羨望の声が漏れる。


「俺は今年もゴールドバッジを手に入れるつもりだけど?」


 挑戦的に微笑む琢磨もまたカッターシャツを脱ぎ、下着姿になった。上裸ではなく日焼けもしていないが、二の腕やボディラインから力強さとたくましさがうかがえる。

 校内トップクラスの容姿を持つだけあって、嬌声さえ発生した。


「去年も取ったんやからもうええやん。譲ってーな」


 ゴールドバッジは春高独自の制度であり、各学年男女別に学業成績首位者とスポーツテスト首位者に与えられる。その効用は一年間の金銭的免除。学費はもちろん学食代も免除される他、教科書代やその他教材代、果ては交通費まで支給される。


「そういうわけにはいかんなー」

「お前んち裕福やん」

「お金の問題じゃないさ。一位が好きなんだ」


 爽やかな笑顔で応える琢磨。

 誰も嫌味と受け取らないのは、琢磨が完璧超人だと一年の頃から知れ渡っているからだろう。運動に限らず学業成績も優秀で、史上初のゴールドバッジダブル制覇も期待されている。


「それに楽しいじゃん、こういう勝負事って。だから誠司だけじゃなくてさ、みんなもかかってきてくれると嬉しい」

「調子乗るなよたくあん」

「ご飯と一緒に食べるぞたくあん」

「このイケメン完璧超人、マジ腹立つわー」


 男子らがブーイングを表明し、琢磨はそれを笑って受け流す。

 女子も全員退室して、本格的に着替えが始まった。




      ◆  ◆  ◆




 スポーツテストが始まろうとする頃、日向は屋上で地べたに座っていた。

 身バレ防止のために覆面マスクを付けている。格好は体操服だが、胸には名前が無い。協力者の天才エンジニア佐藤から入手したものだ。

 そんな日向はあぐらをかき、目の前にノートパソコンを置いている。画面には二枚のウィンドウ。どちらも一つの室内を映していた。

 洗面台と薬品棚が見え、白衣の女性がベッドを折り畳んでいる――保健室だ。


 日向は二日前から火災報知器型カメラ『報知くん』を二台設置しており、今朝も内蔵バッテリーを交換したばかりであった。


「どれだけ待ち望んだか……」


 全校生徒が一教室を出入りする機会は一年に一回、健康診断も並行して行われるスポーツテストの日のみ。

 その場所は保健室で、実施内容は身体検診。

 そして検診では上着を脱いで上半身下着姿になるということを、日向は女子達の会話から知っていた。


(今日は女子全員の下着姿を連続的に盗撮できる唯一の日なんだからな……)


 くくっ、と日向がほくそ笑む。


「まずは報知くん一号。女子の容姿と、できれば室内の雰囲気も映したいところだな」


 キーボードを叩く。左側のウィンドウに映る景色アングルが微妙に変化した。

 『報知くん』は佐藤開発の高性能盗撮カメラであり、遠隔から無線通信で挙動を制御できるようになっている。もちろん制御中に音や光などは発しないため、被写体に気付かれることもない。


 日向は持参したおにぎり頬張ほおばりながら、どのように撮影を進めるかを振り返る。


 報知くん二台のうち、一台は女子の容姿と室内の雰囲気を映すことに特化させる。これには春高の女子を網羅する目的以外にも、もしこれを作品化する際は、視聴者の期待や興奮を煽る前菜として活用できるというメリットもあった。

 そして残る一台で身体検診中の女子――ブラジャー姿の上体をばっちりと収める。


「問題は二号。どう映そうか……」


 無難なのは容姿全体が映るように設定することだ。

 そうすれば日向としても二号を放置したまま過ごせるし、全身を映せばそれは『女子の容姿を記録した情報』となり、今後盗撮対象ターゲットを選ぶ上で参考になる。さらに作品として使えば、多くのフェチに訴求できる。


 しかし逆を言えば尖ったポイントが無いとも言え、特にこの場合は肌や胸をアップで視たい『近フェチ』のニーズに応えることができない。

 日向は盗撮動画販売サイト『カミノメ』にて多くのファンを獲得しているが、多額の金額を出してくれる信者熱烈なファンは少ない。一方で、何百万と出してくれる近フェチのユーザーが複数人いて、今回のシチュエーションが彼らにとって垂涎モノであろうことは確認済だ。

 彼らに訴求したいという思いがあった。


「近フェチ成金向けに作ったところで必ずしも届くとは限らない。年に一度のチャンスをそんなギャンブルに使ってもいいものか……」


 近フェチで一攫千金か。それとも情報収集か。


「――情報収集だな。近フェチ向けの動画は後でも作れるが、収集のチャンスは今しかない」


 結論を出した日向は報知くんの設定を手早く済ませ、持参したおにぎりを消化する。

 その後、リュックから尿瓶しびんを取り出し、用を足した。


「はぁ。今日は長いぞ……」


 ため息をつきながらも、声音と表情は嬉しそうだった。

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